第4話 人間でいるという事
SCOREデバイス。
兵士一人一人の戦力管理と士気向上を目的に開発された無慈悲な証明装置。今や世界中の兵士に義務付けられ、戦果を色で刻むそれは、戦場の現実を残酷なほどに可視化していた。
その主機能――――――等級システム。
兵士たちはその色を誇りに――そして、時に呪いながら戦場に立つ。
等級システムには幾つもの段階があるが、戦場の大部分を占めるのは以下の二つ。
無等級:前線に出たばかりの新兵たち。彼らのデバイスは無色透明であり、目だった戦果も挙げていない。
班等級:4〜7人撃破。デバイスが淡い青緑に染まるその瞬間は、新兵が“兵士”になる境界線。戦場の彼らは、これを皮肉交じりに“童貞卒業”と呼んでいた。
――命を奪った証、初めての“殺人”の記念である。
それは誇りか、それとも呪いか。
誰がなんと考えようが、色は真実を確かに刻む。
――「お前は何人殺したのか」と。
===
「……っ」
「うっ……吐きそう」
「あー……コレは、なぁ」
拳大の手榴弾。軽々と放ったあの瞬間――許せと言ったあの光景が、今も脳裏に焼き付いている。
トーチカの中に入った瞬間、鼻腔を突く臭い――生臭い鉄の臭いと、零れ出たモツの臭いだ。
それが一気に五感を犯す。
ライは目を見開き口を押さえ、アルは言葉を失ったようで顔を強張らせたまま立ち尽くしていた。
あの時顔を見た敵兵が、惨状の上に重なる。
――四つ分の死体。
ズタズタに裂かれ、壁に張り付いたまま息絶えた者――肉塊の群れ。
私が……これをやったのか?
ピンを外した指先が小刻みに震える。
確かに私は、慣れた手つきで放り投げた。初めての戦果をこの目に焼き付けんと、多少の哀れみと共に。
結果、この空間に撒き散らされたのは、こんなにもおぞましい悲劇。
赤い地獄。無数の金属片に切り刻まれ、爆風に四肢を引き千切られて……。
そこに、人だった痕跡はほとんど無い。
「なんて……酷い……」
ビチャリと粘る音が、膝の下から鳴る。
力が抜けて震える足も、服に染みる血も、何処までもリアルに絡みつく。
――リアル。
……ああ、そうなんだな。
今までの私は、まるでゲームの延長だった。本当の自分は前世の――成人した男のままで、今の自分はゲームのアバターのようなものだって、思い込んでいたのだろう。
基地に連れられてからも、まるで少女兵のロールプレイに興じるようで。
それは余りに――
「最低だ……」
心の奥底から言葉がこぼれる。
「ああ……ックソ! 全くだよ!!」
怒声が響く。
私はビクリと肩を跳ねらせ、声のした方を見る。
そこには肉塊の胸を蹴り、色の光るSCOREを睨みつけるライの姿。
青緑――班等級。そして中には、オレンジ色の光もあった。
「何人殺したんだ、こいつら……!!」
それから数時間後。夕日も落ちて、煙草の小さな赤色がはしかの様に映る頃。
防衛線を打ち砕き、市内への足掛かりを手にした私たちは、部隊の再編成の為に塹壕の中に集まっていた。
「1/5が死傷……ですか」
「運が良かった。俺たちはな」
未だ苛立ちが収まらないライの言葉に、私は自分の胸を隠すように座る。
足を抱えて腕を乗せ、前のめりに座る私の格好は、はたから見れば戦火に怯えて縮こまる子供にしか見えないだろう。
――ある意味、それは間違っていない。
「あのトーチカの前、D小隊が壊滅的な被害を受けて、殆ど消滅したと……」
D小隊とは、D1~10班を纏めて編成した部隊であり、私たちと同じ徴兵組。同じ基地で訓練した者たちである。
そして、彼らの部隊が消滅しかかっているという事は、40人近い新兵たちがあの重機関銃や塹壕の兵士に殺されたという意味だ。
「なぁ、ヴェレーナ」
「……何でしょうか?」
ライが放つその声は短く、暗雲立ち込める夜空よりも暗い。
私は多少身構えつつ、彼の言葉を待つ。
「……お前、何人殺った?」
「ライ、そういう話題は――」
「兄貴は少し黙ってくれ」
窘めるアルの言葉を遮って、ライが私の隣に座る。
ぶっちゃけ、あまり見せたくなかった。
顔を上げ、組んだ腕を解き胸のSCOREに手を触れる。すると、青緑色の液体が僅かに発光し、私の戦果を可視化した。
4人以上の殺し。ライの瞳に淡く映る。
「そうか……」
視線を逸らす私の頭に、妙に重く硬い感触が乗る。
驚きに肩を震わせた私に掛けられたのは、暗くはあるが妙に優しく、嘘偽りない賞賛の言葉。
「良くやったな」
深夜。私は何度も目が覚めた。
夢の中で、あのトーチカの光景が繰り返される。爆風に散った肉片、絶命する間際の兵士たちが浮かべた顔。
頭を振っても、逃げようとしても、どこまでも追いかけてくるようで……。
「はぁ……冷えるなぁ」
塹壕の中をよろよろと歩く。周囲の兵士は殆どが眠りについており、耳を澄ませても聞こえてくるのは最前線から響いて来る銃声だけで、昼間に比べかなり少ない。
「夜は楽……な訳ないか」
タルクレスト攻略戦。その詳細な作戦は知らされていないが、私達が塹壕やトーチカを固めている間に待機していた第2波が攻め込んでいった。
きっと、今頃市内のどこかで防衛線を構築しているのだろう。
「ん? 獣臭……馬房?」
持ち場から離れない様に歩いていたつもりだったが、いつの間にか隣の部隊まで来てしまった。
ここは騎馬兵の馬房の様で、塹壕を拡げて板で屋根を作った簡素なもの……とは言え、雨が降ればずぶ濡れ状態の一般兵士よりも大分良い。
「私たちは馬より下か……ふふ、良い毛並みして」
馬房の一つ。唯一起きている馬の頭を撫でてみると、良く手入れされている体毛が指の間を抜ける。
「おや? ヴェーチキが懐くとは珍しい」
「え?」
声に後ろを振り向くと、分厚い雲を抜けた月が30代くらいの男を映し出す。丁寧に整えた口髭が、若干若く見える顔には似合っておらず、まるで付け髭のようだった。
そして、彼の肩には太い金の線と細い2本の線。軍曹の階級を示す肩章。
「……も、申し訳ありません軍曹! 直ぐに戻ります」
「ああいや、そう焦らなくていい。眠れないのだろう?」
「え、ああいや……はい」
彼の言葉に答えた瞬間、張り詰めていた緊張感と言うか、緊迫感と言うか、そういうものが解けるような感覚に陥る。どうやら、疲労と精神的な負荷で既に私の心は限界に近かったようだ。
軍曹は馬の横で足を止め静かに微笑むと、軽くその頭を撫でる仕草を見せた。
「こんな夜が続くと、皆眠れなくなる。ましてや、君のような新兵なら尚更だ」
「……はい」
再び短く返事をする。今の私に、それ以上の言葉は出てこない。
「馬は良い。戦場で恐れながらも、何も言わずに人間の命令に従う。だが、君たちは馬ではない。恐れや痛み、怒りや悲しみに震えるのは当然だ」
その言葉に私は少しだけ驚き、彼を見上げた。軍曹の顔には微かな疲労の色があったが、それ以上にどこか遠くを見つめるような――そんな表情が印象的で。
「軍曹は、眠れますか?」
不意に口を突いた言葉に、彼は苦笑する。
「はっは、私は軍に長く務めている。銃声も砲声も子守歌だ……10年前の戦場から、ずっとな」
彼は少し間を置き、私のSCOREをちらりと見た。その視線が何を意味するのか直ぐに理解できる。彼はその光を見て、私が“初めて”を迎えたことに何かを感じたらしい。
「初めての戦果……か。ううむ……」
彼の言葉に私は身を強張らせる。軍曹はそんな私を気にする様子もなく、馬の首を軽く撫でながら再び口を開く。
「辛いか? だが、その感情を失うことの方がもっと危険だ。君が今感じていること、忘れるなよ」
「……忘れるな、とは?」
辛いこと? これから何度も経験するというのなら、そんな感情さっさと鈍らせた方が良い。
どうしてと私が言う前に、彼はまた口を開く。
「そうだ。その震えも、恐れも、吐き気も――全てが、人としての証だ。それを手放してしまえば、この戦場で生きていても死んでいるのと同じになる」
彼の言いたい事は分かる。しかし、私はそれでも肯定しきれない。震えも恐れも、そんなものは間隔を鈍らせて死に至らしめる。
「………分かりません」
それが私の答えだった。
軍曹はそのまま私の顔を覗き込むように少し身を屈め、静かに微笑んだ。
「いい。それでいいんだ。分からないまま考え続けること、それが戦場で人として生きるということだ」
その言葉に、私の胸は少しだけ軽くなったような気がした。考え続け、悩み続ける。それが、戦場に生きる人間というものなのか?
「軍曹、どうしてそこまで……?」
震える声を絞り出すと、彼は馬房の柵に寄りかかって、遠くの何かを思い出すように目を細めた。
「……昔な、同じように苦悩する若者を何人も見てきた。中には震えたまま動けずに死んだ者も、感情を捨て兵器のように戦った者もいた」
彼の言葉は穏やかだが、その目には何の輝きもない。
「戦場では、ただ生き残るだけでも十分に価値がある。だが、どうせ生き延びるなら……人間のままで生きるべきだと、私は思っている」
私はその言葉に言い返すこともできず、ただ彼を見つめた。「人間のままで生きる」。その言葉が意味するものは、まだ完全には理解できない。
「この戦場で何を見て、何を感じたか、それを忘れないことだ」
彼はそう言うと歩を進めた。
「軍曹!」
「セミルで良い」
立ち止まった彼の背中に、私は一つだけ問いを投げかける。
「セミル軍曹は……貴方は救われたのですか? その、人間でいる事に」
どうしても知りたい私の問いに、しばしの沈黙がながれる。そして、彼は振り返らないまま答えた。
「さあな。だが、生きている間に考える価値は……きっと」
「お前、少し顔色が良くなったな」
「そうですか?」
「あ、確かに! 賢者タイムも終わりだな!」
冗談めかしたアルの言葉に、私は肩をすくめた。兄弟がクスクスと笑うことで、少しだけ空気が和らぐのを感じる。
「ほら、持て。今日はまた少し忙しくなるぞ」
アルは私に小さな弾薬箱を投げてよこした。私はそれを受け取り、小脇に抱える。何というか、ほんの少しだけ力が戻っている気がした。
「分かりました」
そう答えた私の声に、兄弟は一瞬驚いたような顔になった。それくらい、今の私は元気なのだろうか?
これが彼の言う、人間って事なんだろうか?
分かるようで分からない。だけど……今の気分は悪くない。
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