第3話 メッキの剝がれた街
新英歴914年8月1日。
ルスヴィア帝国は、隣国のアルデガリア帝国とリヒトラント帝国の二ヵ国と戦争状態になった。
最初の一ヶ月は、ルスヴィア軍の快進撃を告げる放送が街中に響いていた。「戦争準備が整っていない両国はすぐに陥落するだろう」と告げる放送が、国民に安堵と余裕を与える。
大通りには戦争協力を推進するポスターが張られ、号外には兵士たちの雄姿が一面を飾る。それは、戦争という恐ろしい現実を美化させた、短い幻のような日々だった。
迎えが来るまでは……。
ルスヴィア帝国国境沿いから鉄道で4時間の地点。アルデガリアが誇る自然の要塞、ヴラドニア山脈。
雄々しくそびえるその山々を背景に築かれた美しい貿易都市、タルクレスト。
かつてはルスヴィア、アルデガリア両国の商人や外交官が行き交い、穀物や工業製品、鉱物や宝石などが市場に溢れ、夕陽に照らされる様は「金の湖」とまで称えられた。
はずだったが……。
「あれが、タルクレスト? 教科書の絵とは似つきませんね」
軍馬が引く兵員輸送車に乗りながら、要塞都市とでも言えるような、堅牢なそれを眺めていた。
外周には一定間隔でトーチカが造られ、間には塹壕。有刺鉄線が幾重にも張られたその様は、まるで地獄の剣山。
孤児院の教科書で見た美しい街並みは、その中心。タルクレスト中央役場と、それを囲むような停留広場にしか残っていない。
「アルデガリアは、30年前にリヒトラントと防線同盟を組んで、各主要都市を即座に要塞化出来るようにしたって話だが……ヴェレーナ。そいつは、いつの教科書だ?」
ライの質問に、私は少しの間言葉に詰まる。
私が読んでいた教科書は全て寄贈された物であり、その年代にはかなりのバラつきがある。
事実、あの教科書は作りこそ良いものの、ページは色褪せて湿気を吸い込んで歪んでいた。
その特徴をライに伝えると「やっぱりか」と額に手を当てる。
「それじゃ、俺より年上の教科書だな。下手したら50年近く前、アルデガリアの建国間もない時期かも知れん」
「……そうですか。何ていうか、損した気分です」
まるで、勉強したテスト範囲が間違っていたような気分になり、私のテンションは急降下してゆく。
それを察してか、アルがくすっと笑って見せた。
「まあ、あんまり教科書通りに考えても仕方ないさ。今のタルクレストも、意外と悪くないだろ?」
冗談交じりに言うアルの顔は、発言前のニッコリとした笑顔から、徐々に口をへの字に曲げ、後ろに映るタルクレストを恨めしそうに睨むものへと変わっていく。
冗談じみたその顔には「な訳あるかよ」とでも言いたげな、敵意に満ちた雰囲気が砂塵の一粒くらいには混じっていた。
「装填急げー!」
大隊長の声に続き、砲兵隊の一斉砲撃が街の一角を吹き飛ばさんと繰り返される。
周囲のトーチカや有刺鉄線、敵兵が隠れられそうな民家などを面制圧により叩きのめす。
いつまで続いているのだろうか。
放物線を描く榴弾の怒号は止まることを知らず、頭を下げてゆっくりと前進を開始する私たちの頭上を絶え間なく飛ぶ。
移動弾幕。ローリングバラージと呼ばれる戦術は、本来敵の塹壕まで前進する歩兵部隊を援護し、突撃準備が整うまで時間を稼ぐ為に行われる砲撃である。
塹壕やトーチカは榴弾による砲撃に強く、中に居る限り死ぬ事は稀だ。しかし、身を隠している間、前進する歩兵の発見率は大きく下がる。
今回の作戦では、敵の防衛地の殆どが民家などの非装甲目標。榴弾の数発を浴びせれば崩れる事は必至であり、必然的に敵は最前線のトーチカと塹壕内に密集。
砲撃から避難した敵は、反撃体制を整える前に私たちの突撃によって踏みつぶされ、左右の援軍が到着する頃には、こちらが防御態勢を整えて迎え撃つ事ができる。
言葉の上では完璧な作戦。防御側の得意な弾幕射撃を封印し、攻撃側の得意な白兵戦に持ってゆく。
だが、実際には簡単な事ではない。
練度や通信手段にもよるが、砲兵の弾幕にはバラつきがあり、確実にトーチカを狙えるとも限らない。
防御線を破壊して目の前に迫った瞬間、ミンチマシンが唸りを上げる可能性も高いのだ。
そんな地獄の真ん中で、私たちは有刺鉄線の前まで迫る。
「うわっ……マジかよこれ」
「私が切断します。砲撃の穴に隠れてください」
棘に指を這わせるアルを横目に、私は持たされたワイヤーカッターで鉄線を除去してゆく。
何本も立てられた杭に巻かれるような鉄線。砲撃中の短い時間では、完全な排除は難しい。
「急げ急げ!」
押し殺すようなライの声が背中を押す。味方の砲撃は依然として頭上を越えて、前線を叩き続ける。
だが、敵の銃撃もまた、白煙の中から私たちを薙ぎ払おうと闇雲に放たれていた。
カッターを握る手がじっとりと汗ばむ。冷えた鉄線に刃を当て、私は無心で切り続ける。
「代わろうか?」
アルが私のそばに膝をつき、トーチカを警戒しながら問いかける。
その顔には、子供がどうのと言う感情も勿論あるが、自分の方が早く終わると言う効率的な面の方が強い。
確かに、彼が鉄線を切った方が早く片付くだろう。
だが、リーダーである彼がこんな作業をしている暇など無く、小銃を持てる他の人員を遊ばせる余裕も無はずだ。
「大丈夫、あと少しです!」
短く答え、集中を切らさないよう意識を研ぎ澄ます。
有刺鉄線は複雑に絡み合っていて、切っても切っても次が現れるように思えるが、結局は数本の線がぐちゃぐちゃと横に伸びているだけ。
正しい場所を切れば、そう時間はかからない。
「よくやった!」
アルが私の肩を軽く叩く。
===
「砲撃は順調です。騎兵隊の弾着観測も正確で、30分後に突撃予定です」
砲兵隊から少し後方。天幕の中で数人の男たちがうんうんと頷く。
「タルクレストは典型的な盆地だ。セミル……騎兵隊が陣取った丘からなら、戦場を俯瞰して見れるだろう」
地図に指を這わせて解説する男。この中で一番の年長者であり、この軍――ルスヴィア陸軍第4軍を指揮する大将。
アレイス・バルシーエフ。
頭の中で戦場を動かす彼の指が、地図の上で止まる。
そこは、ヴェレーナたちが必死になって有刺鉄線を切断している中央戦線。
タルクレスト中央から延びる大通りに一番近い場所であり、徴兵された部隊が補充された人の多い戦場。
トントンとその場所を指で叩き、彼は砲兵隊の指揮官に思い付きの言葉を掛ける。
「ここは多めに叩いてやれ。できる範囲で構わん」
===
有刺鉄線を切り終えた私たちは、砲撃で出来た穴に隠れながら突撃合図の照明弾を待っていた。
大体30分ほど……いや、もっと短い時間だろうか。丘の向こうから細い閃光が尾を引き、夜空に赤い花を咲かせる。
それは、まるで爆弾を前にしたマッチ棒のよう。
「照明弾! 全員突撃、俺に続けー!」
我先にと、アルが穴から飛び出して崩れた有刺鉄線を踏み越える。それに続いてライとヴァリスが左右を走り、私は彼らの後方に控えて――
コートの紐を外す。
上着の下に隠されたハーネス。そのベルトには左右に三つずつ、丸いものが括り付けられている。
この班において、小銃の練度や機動性で見れば私は下の下――桁が違うほどの無能だろう。
しかし、そんなものは装備一つで覆る。
私の武器は計6個の手榴弾。こと一撃火力において、私より大きなものは無い。
「フラグ行きます!」
三人が塹壕に入る前。私は手榴弾を一つ手に取り、塹壕の中に放り投げる。
重い金属が地面に転がる音の後、爆音が塹壕内を震わせた。爆風で土埃が舞い上がり、耳鳴りが一瞬、鼓膜を支配する。
「ヴァリスの兄貴! 後ろは頼んだ!」
「ああ」
隊列を確認しながら、スライディングで塹壕へと突入する。
「よし、敵はいない。そっちはどうだ?」
塹壕の中に入ったアルが、進行方向の安全を確かめる。後方を警戒するヴァリスに向き直り状況を確認すると、既に空の薬莢を飛ばしていた。
「もう居ない」
「……頼もしいな」
頭を撃ち抜かれた敵の死体を眺める。全員が一瞬呆けたような面になるが、鳴り響く撃音が短い微睡みの靄を晴らす。
「おい。持ってけ」
「ありがとうございます。これは?」
「ああ、それ敵の銃剣か? こっちとは違うんだな」
ヴァリスが殺した敵の小銃から銃剣を外して私に手渡す。ルスヴィア軍が使う銃剣は尖った槍のような形であるのに対し、向こうの銃剣は外しても使いやすいナイフ形。
塹壕内の白兵戦では、こちらの方が重宝する。
「よし、準備はできたな?」
アルの言葉に頷き、トーチカへ向けて突き進む。塹壕内は水捌けが悪く、冷たい泥に血管を冷やされて危険な状態――塹壕足になると前世で学んだが、その心配はなさそうだ。
開戦直後の塹壕はまだ雨の被害には遭っておらず、水分を含んだ土が空気を多少湿らせる程度。
塹壕を走る私の耳には、重機関銃の射撃音が断続的に聞こえてくる。その音はだんだんと大きくなり、遂には他の音を掻き消すまでになっていた。
「止まれ」
右手を横に広げたアルの合図で足を止め、彼の指先に視線が集まる。
それは目標としていたトーチカ。敵の前線を守る石の砦。重機関銃の射撃音は、その細いスリッドから放たれていた。
あの銃声は今も味方を狙っている。もし見つかれば、あの鉛はこちらに向くのか……そう考えると、無意識に乾いた息を飲んでしまう。
「ここから先は、慎重に行こう」
顔を近づけたアルがそう提案する。
「だな。俺もその方が良い」
「私も賛成です。部隊を分けるのも良いかと?」
「挟撃……フラグを使った制圧か」
部隊を分ける。そういった私の提案にヴァリスが付け足す。息を整えるついでに詳細な作戦を組み、私たちは二手に分かれた。
私とヴァリスはトーチカ正面のスリッド横まで近寄り、十分時間が経った後に手榴弾をスリッドから投げ込む。それで殲滅できればよし、数人逃げられても兄弟が銃剣で処理する……と。
少し不安が残る作戦だが、周囲に味方がいない以上やるしかない。
頭を下げて、気付かれないよう忍び寄る。熱い空気が肺を満たし、血管まで焦がすかのよう。
火薬の焼ける臭いと、生臭い鉄の臭いが強まる。
その時――足元の泥に沈む影が、ふと目の端に――
「――んん!?」
「見るな」
それを見た瞬間、胃の奥から嫌なものが上がってくるようだった。泥に半ば飲み込まれた無数の死体。骨が露出した手、捻れた脚。砲撃で吹き飛ばされたものだろう、身体の一部がない者もいた。
敵兵と、そして見覚えのある同胞の死体。私と同じ徴兵組。
砲撃によって耕された土に滲みるおびただしい血液が、捲れた体の彼らを粘り付くように飲み込んでいた。
血の池地獄。子供の頃に絵本で見たポップなそれが、現実的にそこにある。
私は何となく理解した。いや、気が付いたと言った方が正しいのかも知れない。
地獄とは幻想ではなく、現つ世からの妄想なのだと。
断続的に響く重機関銃の声。その音を聞きながら冷たいコンクリートに背中を預け、今か今かと時を待つ。
深呼吸をして、地獄の空気に身を馴染ませる。
熱い硝煙と血の臭い。肺を満たすその空気は私の体を駆け巡り、死纏うドラッグのように身を焦がす。
だが、何故だか、そうしていると体から何かが抜けていくようで、温かく、気分が落ち着く。
握った手榴弾のピンに指を掛け、湖面のような面で待つ。重機関銃の射撃音、それだけが聞こえる籠った耳で。
ダダダダッ! ダダッ! ダダダッ――
間隔を開けた射撃は弾の節約になるだけでなく、リロードの隙を曖昧にする。血の泥に沈む彼らは、この音の罠に引き寄せられたのかも知れない。
だが、私の耳は騙せない。
ガチャッと金属音が鳴ると同時に、私は手榴弾のピンを抜く。
ガラガラと、重機関銃の弾帯がセットされる音が響いて――彼らの前に身を乗り出した。
「――――◇◇◇!?」
「◇◇、◇◇ー!」
突如飛び出した私を見て、彼らは驚き手を止める。反撃は無い。
それもそうだ。なんせ、いきなり手榴弾を持った敵兵が目の前に現れたのだから……。
「許せ」
私は短くそれだけ言って、彼らの前にソレを放った。
恐怖する顔。信じられないものを見て、阿鼻叫喚する人の声。ヴァリスに抱きかかえられてスリッドから身を離しても、その姿が瞼の裏に張り付いている。
私は今、人を殺した。
その事実が脳を焼く。恐怖の表情を浮かべたあの兵士たちは、今や鉄の破片に襲われ、見るも無残な姿になっているだろう。
心臓が締め付けられるようで、胸の辺りが熱く震える。
「これは……?」
そんな私の気を逸らしたのは、胸に輝くソレだった。
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