3-2:嵐 ―温帯低気圧―

 ごうという風音が、サニーの耳元で鳴った。

 今、サニー達は嵐の中、馬に乗って先へ急いでいる。手綱を繰るアルバートから決して離れないよう、ぎゅっと背中にしがみついた。


「サニー!」


 雷鳴はまるであの時を――サニー1が破壊されたあの時を思い出させて、恐ろしい。


「平気だ。私に、じっとしがみついていろ」

「――はい!」


 分厚い革のマント越しに、心臓の音が伝わってしまいそうだった。

 周りには、同じように先を急ぐ馬。みんな背を低くして、向かい風をやり過ごそうとしている。


 ――隣町を出発した急行馬車が、悪天候で街道を踏み外し横転した。


 そんな連絡が夕刻に飛び込んできたのだ。

 話を持ってきたのは、同乗していた旅人である。まだ動ける馬車馬に鞍をつけ、子爵領まで駆けてきたらしい。


(怪我人もいるし、夜になったら乗客は夜通し雨に打たれてしまいます……!)


 だから助けてほしいと、旅人は乞うたのだ。

 一時より雨脚が弱まったとはいえ、空には雲が立ち込めている。すでに薄暗いが、夜となれば本格的に動けまい。

 陽が落ちる前に、そして雨がさらに強まる前に、乗客を助け出さなくてはいけない。


(間に合うでしょうか……!?)


 口を結んだまま、サニーは少し前の混乱を思い出す。



     ◆



 時間は、やや巻き戻る。

 嵐となった子爵領、その領主屋敷に、事故を知った行商人達が詰めかけていた。危険と隣り合わせの彼らは、仲間意識が強い。馬車の人々を助けたいと嘆願に来たのである。

 子爵は客間で、静かに言った。


「落ち着きなさい。必ず対応するが、迂闊に動けば助けにいった者も被害に遭うぞ」


 行商人たちに、少しの安堵が広がった。古く『峠守とうげもり』を先祖に持つクライン子爵家は、旅人を見捨てまい――そう思われたのだろう。

 アルバートがサニーを見た。


「天気はどうだ?」

「周辺はまだ大荒れです。でも――」


 頭に浮かぶ天気図は、領地の上空を大量の雨雲が通過するのを映していた。


「海上から移動してきた温帯低気圧が渦を巻いて、閉塞前線を作っています」


 上空に、巨大な渦巻きがあるようなものだ。渦の中心から前線が延びて、あたかも長い縄のように陸地を横断している。それが子爵領を横切ったのがつい数時間前。

 つまり横転した馬車は、雨が最もひどい時間帯に街道を疾駆していたのだ。


「――ですが」


 もし、彼らが天気を知っていたら、この事故は起きなかっただろうか?

 考えて、サニーはぶんぶん首を振る。

 今はまだ考え込む時ではないから。


「今から2時間だけ、雨は小降りになります。それまでに戻って来れないと、助けに行った方々も大雨に遭いますし、道も暗くなるでしょう」


 子爵は窓際に進み、ガラス越しに雨を見る。口ひげを指が撫でていた。


「馬車の乗客は14名、行商人の荷車は8台は必要だな……」

義父上ちちうえ


 深く考え込んでいたアルバートが、ゆっくりと肯く。


「私も行きましょう。子爵領として救援を出すのなら、誰かが指揮をしなければ」


 ノーラ夫人が口を押え、子爵も目を厳しくする。


「……確かに、それも領地を守る者の義務だ。しかし、危険だぞ」

「サニーを信じましょう。彼女の言葉が確かなら、次の大雨までに救援は十分間に合います」


 アルバートはリタから革のマントを受け取り、玄関へ向かう。その後ろ姿を、一人の少年が不安げに見つめていた。

 セシルだ。赤い瞳は揺れ、口は何かを我慢するように結ばれている。ノーラ夫人が無意識か、セシルの肩に手を置いていた。その手も小刻みに震えている。

 彼の言葉が頭を過ぎった。


 ――両親はある嵐の晩、馬車で崖から落ちて亡くなった。


 そうだ。

 嵐で、時に人は死んでしまうのだ。


 ――絶対、いや!


 サニーはアルバートの手を握る。


「サニー?」

「わたしも行きますっ」


 大反対された。領地の錬金術師と助手に何かがあったら、子爵領にとっての大きな損失。一方、サニーの『身体強化』や気象知識が救出でどれだけ有用かも、一番星よりはっきりしていた。


「あなた、行かせましょう」


 ノーラ夫人が静かに前に出る。


「峠を守るのに、こうした危険はあるものですわ。それに、こうと決めた女は曲がらないものよ」

「う、うむう……」


 夫人は、セシルと同じ赤みを帯びた目で微笑む。


「無事で帰ってきなさい」

「はいっ」


 サニーは強く頷いた。



     ◆



 そうしてサニーは嵐の中、アルバートが駆る馬の後ろに座っていた。

 魔力の太陽光発電は、まだかすかに機能している。午前中の晴れ間で余力はあるが、無茶をすればすぐに魔力を切らしてしまうだろう。


「アルバート様!」

「どうした!」

「地上風が強く吹いてます! わたし達は、今、等圧線に沿って進んでますっ」


 気圧が等しい地点を結び、線を作ると『等圧線』が得られる。地図などで描かれる等高線の、高度を気圧に置き換えた概念だ。

 上空では、この等圧線をなぞるように風が起きる。


「向かい風ですが、この風向きはしばらく変わりません! サニー達は、低気圧の中心を右に見ながら進んでいます!」


 その時、右側の丘陵で稲光。凄まじい明るさが、サニー達を照らした。一拍遅れて轟音。

 馬の鼻息が荒い。

 アルバートが声を張った。


「全員、隊形を乱すな! 身を寄せ合って風の抵抗を少しでも減らせ!」


 救援隊の先頭5騎は、できるだけ密集する。アルバートを先頭に、矢尻のような三角形を描く形だ。


「頑張って! 帰りは、追い風ですから!」


 サニーが叫んでから、さらに駆ける。

 ようやく事故現場に辿り着いた。

 横転した大型馬車。近くの大木に、10名ほどが身を寄せ合っている。足を挫いたり、怪我人を介抱したりして、動けなかったのだろう。その大木も風で枝が巨大な怪物のようにしなっていた。

 ごうごうと、曇天で風が唸る。


(これが、天気……!)


 人として感じると、なんて巨大なことだろう。


「くそっ、こんな時に嵐が起きるなんて」


 救援の行商人達はそう嘆くが、サニーの思いは違った。


「……嵐は『起きる』んじゃなくて、移動してくるんです」

「へぇ?」


 彼らは首を傾げて、救助に向かう。

 みんな『低気圧』が――嵐が南で発生して、移動してくるとは、知らない。これが『温帯低気圧』という種類で、寒気と暖気の衝突によって起こる空気の移動が、渦を作るせいだとも知らない。


(サニー、低気圧の予兆は掴んでました。子爵領でも予報してましたし、大きそうな嵐だったから、隣の町には警告のお手紙も送ってたはず……)


 なのに、今日、村行きの馬車が出た。

 理由はなにか。

 サニー達の警告は、おそらく信じてもらえなかったのだ。

 ぽんとアルバートが肩を叩く。


「気にするな。全てを救うことはできない」

「でも――」

「救う力を持った人は、全てを救わなければいけないのか? では、医者は休みをとってはいけないのか? そうではないだろう。できることをやるしかない」


 アルバートは荒れ狂う空を見上げた。

 ぱらつく雨が、サニー達の外套を叩く。


「これが天気だ」


 アルバートは人々の容態を看に大木へ向かう。

 おおい、と誰かが叫んだ。


「横転した馬車を、動かすぞ! 荷物が挟まっている!」

「! わたしが行きます!」


 『身体強化』の魔法が体を巡る。


「よい、しょ……!」


 男達と力を合わせ、空車とはいえ10人乗りの馬車を持ち上げるサニー。大勢が目を点にしていた。

 行商人達は、体力自慢だけあって声を張り上げる。


「荷物はとったなあ!? 残っている者はいないかあ!?」


 荷物と怪我人を荷車に詰め込むと、出発となる。また1人、ずぶ濡れの女性が行商人の肩を借りて荷台に上がった。


「ありがとうっ」


 振り返った彼女は、サニーへも礼を言う。


「お気になさらず。それよりお怪我は……」

「あら、あなた――!」


 女性は目を丸くし、サニーの手を取る。


「『身体強化』を使ったあなたが……もしかして、お天気令嬢!?」


 ぽかんとしてしまう。

 荷台の奥から『お嬢様!』と護衛らしき数人が悲鳴をあげていた。女性がマントのフードを上げると、現れたのは蜂蜜色の縦ロール。


「――ベアトリスさん!?」

「まさか、こんな形で会えるなんてね」


 3ヶ月前にサニーと出会い、領地に『じき訪問する』旨の手紙を送っていた〝事業家〟ベアトリスだった。


「助けられましたわね、ありがとう」


 救出を終えたサニーとアルバート達は、追い風を受けながら帰りを急ぐ。幸い大けがの人はおらず、処置が早かったこともあって、わずかな軽傷者の他は数人が風邪をひいただけで済んだ。

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