第3章:暴風警報

3-1:夏の子爵領

 黄金に色づき始めた麦が、夏の風に揺れている。

 麦わら帽子を被ったサニーは、額に貼り付く金髪ごと、ぐいっと汗をぬぐった。昼過ぎの強い日差しに、青い目を細める。


「これが、夏の暑さ……です、か」


 日射角度、すなわち太陽の高さが上がり、面積あたりの熱量が増加する。原理を知ってようがいまいが、暑いものは暑い。

 右手に鎌を持ったまま、半袖ワンピース、その胸部分を左手で掴み、パタパタ風を送り込む。


 サニーが異世界にやってきてから、4カ月ほどが経っていた。子爵領の畑では、早熟の麦、それに夏野菜は収穫期に入っている。『刈り取りでもお役に立ちたい』と申し出ると大歓迎され、今日の人工衛星は刈り取り機コンバインだ。

 さあっと涼しい風が渡り、色づき始めた畑と、丘の緑を波立たせる。

 遥か彼方に見える山脈から、湿気を帯びた涼しい風が吹き下ろすのだ。おかげで風が渡る度、火照った体も少しだけ冷やされる。


「サニーちゃん、調子はどうだねぇ?」

「っ!? はい、問題なしです」


 胸をパタパタする『空冷』は、リタやノーラ夫人が見たら目を三角にするほどはしたない。が、幸いやってきたおばあさん達には、見られずに済んだ。


「どれどれ……?」

「ほう、いっぱい獲れたねぇ!」

「えへへ……」


 サニーが指差すのは、夏野菜がぎっしりと詰まったカゴ。土の匂いが心地よい。


(けっこう、地球に似ているお野菜があるんですよねぇ……)


 この世界の野菜に、サニーはいくつかあだ名を付けていた。

 瑞々しい真っ赤な実はトマト。ヘタから紫色の実を伸ばすのはナス。土からゴロゴロ掘り出されるのは、ジャガイモ。

 どれも美味しそうに見えるのは、自分で収穫したからだろうか。


(湖にはお魚もいますし、放牧もされてますし……)


 なだらかな丘では、羊や牛が美味しそうに草を食んでいる。

 サニーもまた『今日のご飯はなんだろう』と頬に手を当てた。


「こっちもお願いできますかあ!?」


 遠くの畑で、青年が人を集めている。

 サニーは声を張った。


「もちろんっ」

「ほ、本当に働き者だなぁ」

「お気になさらず。サニーをお役立てください」


 集まってくる人々に、サニーはにこりと笑顔を向ける。太陽のような明るさに、顔を赤くした若者も少なくない。

 実際、『身体強化』の魔法があるため、作業がとても早いのだ。


「では、どなたをお手伝いしましょう?」


 サニーが空色の目をきらめかせると、また青年達は顔を逸らしたり、頬を染めたり。

 でも次々と手が挙がる。


「――?」


 不思議がるサニーに、ご婦人達も囁き合った。


「本当、カワイイし働き者だし、アルバート様も隅におけないわねぇっ」

「そりゃあんだけ美形なのだもの!」


 若様。

 その言葉を出されて、少しだけが胸が跳ねる。ぴたりと作業を止め、サニーはおばさま方に近づいた。


「どうしたの、サニーちゃん」

「……『隅に置けない』とは、どういった言い回しでしょうか?」

「「へぇ?」」


 時折ボロを出したりするが、総じてサニーは子爵領の人気者となっていた。やがて午後の作業も終わり、彼女は若様のいる実験室アトリエへ向かう。



     ◆



 山小屋への坂にも、季節は訪れていた。木漏れ日はすっかり夏の色。輝く小川は涼しげで、サニーは息を切らせて道を急いだ。

 農作業のために後ろで縛っていた金髪が、馬の尻尾のように揺れる。


(早く、話したいな――)


 気づくとそんな気持ちになっている。

 気象のこと。今日の収穫のこと。

 周波数を合わせて、いっぱいやりとりしたい。

 開け放たれた窓に向かってサニーは声を張る。


「アルバート様! サニー、畑から戻りました」


 アルバートが窓から顔を出す。

 銀髪が陽にきらめき、エメラルドの瞳が眩しそうに細められた。


「早かったな。収穫はどうだ?」

「豊作です。素材屋さんから買った種も、無事に実ってます」

「そうか」


 顔をほころばせるアルバート。若様は、村の豊作が嬉しいのだ。


「すまないが、井戸から水を汲んできてくれるか? お茶を淹れよう」


 サニーは一度山小屋に入り、水差しを取ってくる。裏手の井戸に回り、冷たい水を注いだ。

 水面の反射と手にかかる冷たさが、心まで楽しませる。

 少し魔力を使って、天気図も確認した。


(気温26℃、湿度41%、今日と明日は過ごしやすい天気になるでしょう)


 やはり、本格的な夏だろう。この世界でも、1年は12カ月、1月は30日前後であり、今は7月の半ばといったところだ。北半球が全体的に温められ、南では低気圧、つまり『嵐』が発生しやすくなる。

 サニーが実験室アトリエに戻ると、アルバートはお茶の準備をしていた。


「少し疲れただろう? 休んでいてくれ」

「ありがとうございます」


 椅子についたところで、窓際にイーゼル――絵を描くための、木で組まれたスタンド――が出してあることに気づいた。

 近くの棚にも、木炭や紙が載っている。


「絵を描かれていたのですか?」

「練習をな。もう終えた」


 この世界に写真はない。論文や手紙に実験器具を載せるのは、絵でやるしかなかった。そのため、若様は絵もかなり上手い。


「サニー、片付けますよ」

「……! い、いや、私がやる」


 きっぱり断って、アルバートはそそくさと片付けてしまう。

 怪訝に思う内、揃いの錫製のマグカップにお茶が淹れられた。爽やかな香りが鼻をくすぐる。


「いい匂い――」

「飲むのは少し待ってほしい」


 アルバートがガラス棒を振ると、お茶の湯気が急速に消え、氷が浮いた。


「錬金術の『変質』で、お茶の温度を変化させた。この季節は、こいつが最高だよ」


 いつも顔を引き締めているのに、時々優しく笑うの、ずるいと思う。なにが『ずるい』と感じるのか、原理のところは分からないままなのだが。


「あ、ありがとうございます……」


 アルバートも、サニーと並ぶように座った。氷入りのお茶が、火照った体と心をなだめてゆく。


「早速だが」

「はっ、はいっ!」

「今日は質問書への回答をしようと思う。君には、計算や理論の検証をしてほしい」


 アルバートは、机に3通の手紙を置く。サニーは胸のもやもやを、苦労して思考から切り離パージした。


「――これは、気圧や湿度への質問書、ですね」

「うむ。観測を手伝いたいという者が現れた。これで8人目だな」


 天気予報が広がり始めていた。素材屋が宣伝する『百葉箱』、そしてアルバートが公開した論文が、研究者の間で話題を呼んでいるらしい。

 心強い反面、また少し、胸がちくりとする。


「わたし、最近は農作業とか、他のお仕事をすることも多いです。どれもやりたいお仕事ですけど、アルバート様はお一人で大変なのでは……」

「確かに、君の協力は助かる」


 だが、と長い足を組み替えるアルバート。


「もともとは私の実験だし、私が忙しいのは当然だよ。長く研究するなら、君が村に馴染むのも大事だ」


 サニーがいなくても大丈夫――そんな平然とした態度に、また心がざわめく。

 前までなんともなかったのに。


「し、診療でも、お役立ちできますよ?」


 アルバートは美しい顔で苦笑した。


「……君がいると、健康でない者も、不健康と偽ってやってくる。特に若い男がな」


 あ、とサニーは思う。

 確かにそういう日もあった。なぜか花を持ってきたりする青年もいて、アルバートが仏頂面で「用がなければ帰れ」と言ったほど。

 不思議な親切に、時々、戸惑ってしまう。


「……なんででしょう?」

「そ、それは」


 若様の目が、困ったように泳いだ。


「リタからは教わって……いや、リタがいる前でそういう声をかける者もいない、か」

「?」

「……君くらいの年頃の女性は、特に男性から近づいてきたり、親切をされたりする場合があるのだよ」

「それは……風習ですか?」


 眼精疲労のように、目元をおさえるアルバート。眉がひくひくと跳ねている。

 からん、とお茶の氷が音を立てた。


「……まさか農作業でも、君に声をかける青年はいなかったか?」

「そういえば――」

「……! き、気をつけなさい。君は、きれいなのだから」


 サニーは空色の目をパチパチさせる。


(きれい……?)


 時間が、止まったようになる。

 アルバートは口を押さえて硬直し、サニーはその情報を処理しきれずに固まった。

 山小屋の入り口が激しくノックされる。


「若様、若様ぁ!」

「り、リタさん!?」


 侍女のリタが騒々しく入ってくる。

 あっつい、あっつい、なんでまた診療所も兼ねてるのに坂の上にあるんですかぁ――などと、間延びした語調でまくしたてるという、器用なことをした。


「若様あてのお手紙がですねぇ――って、なんです、この空気」

「り、リタさん。サニー、きれいですか?」


 リタは「はぁ?」という顔をした。


「これまた急にぃ。『うん』って答えないと暗い場所に連れて行く系の妖精ですかぁ?」

「……若様に、言われて」

「は!?」


 ぎゅりん、とリタの首がアルバートに旋回する。


「違う! 私は、無用なトラブルにならないよう、客観的で一般的なことをだな」

「きゃ、客観的に『きれい』と言ったんですかぁ!?」


 騒がしくなる山小屋。リタの背後を見ると、弟のセシルもテトテトついてきていた。彼は、リタの手からこぼれ落ちた手紙をそっと拾い、サニーに見せる。


「――♪」

「ありがとうございます」


 ざわめく胸、そしてなんだか熱い頬に戸惑いつつ、渡された手紙に首を傾げた。


「『追放された天才錬金術師殿へ』……変わったあて名ですね、差出人は、ベアトリス・フローレンス」

「……なに」


 アルバートは目を険しくして、サニーから手紙を取り上げた。


「そろそろかと思ったが、もう目をつけたか」


 状況が呑み込めない彼女に、リタが青い顔で囁く。


「そう、大変ですよお! 以前、領地に来られていたベアトリス様、令嬢のようなんです」


 爵位は、公爵、候爵、伯爵、子爵、男爵の順番で偉くなる。

 一度領地に来たベアトリスは、クライン子爵家よりも相当に上位だ。


「錬金術師なんですけど、ものすごいお金持ちでぇ。なんでもかんでもお金で自分の事業にしちゃうから、『事業家』って呼ばれているとかなんとか――」


 蜂蜜色の縦ロールを揺らす美女が、頭を過ぎった。


(ベアトリス、さん……?)


 領地を竜巻が襲うイメージが浮かぶ。予感は、竜巻のような縦ロールだったから――というだけではないだろう。


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お読みいただきありがとうございます。

3章からは隔日更新で、次回は12月18日(水) 投稿予定です。カクヨムコンテスト中の完結目指して、頑張ります。

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