2-11:伝わる技術
普通は、子爵家への来客は家令やリタらが応対する。が、素材屋の場合は体も声も大きくて、「なんだなんだ」とみんなで動き、結果的にサニーと子爵一家が玄関に勢ぞろいした。
「こ、これはこれは」
赤髪巨体の行商人、素材屋もさすがに面食らう。が、そこは商売人か、すぐに押しの強い笑顔に戻った。
「これは皆様、ご機嫌麗しゅう。近々、峠を越え、この領地を離れます」
帽子をとって、素材屋は深々と一礼。
「もう一度だけ、領地と東の街を往復しますが、これが最後。その後は峠を抜け海の方へ出てしまうゆえ、当分は子爵領に来られません。この素材屋を通した仕入は、この機会にどうぞお申しつけを」
サニーははっとして、アルバートに囁いた。
「アルバート様っ」
「――うむ、丁度いい。見てもらうか」
通した客間で、サニーは机に置いた『湿度計』を指す。
「おかげさまで、百葉箱、完成しました!」
「おお! 気象観測の器具でしたねっ」
ふむ、と唸る素材屋。
気圧計や温度計は、試作品がもともとこの部屋にも置かれている。そして完成したばかりの湿度計は、ちょこんとテーブルに載っていた。
湿度の測定にはサニーの髪を使ったものの、その他の材料でも素材屋にはかなりお世話になっている。
(お礼は大切ですっ!)
ぎょろっとした琥珀色の目が、しげしげと器具を見つめる。やがて、顔つきは真剣になっていった。
「――もしよろしければ、これらの事業を、この素材屋が宣伝いたしましょうか?」
急な提案に、アルバートが眉をひそめる。
「宣伝? まだ売れるほどの完成度にはないが」
「あ、いえ。無用ならお忘れください。ただ、有用な機器であっても、知られなければ活用されません。素材屋の顧客には、アルバート様のような錬金術師も数多い。もし必要なら『この気象観測器具にご興味がおありなら、クライン子爵領のアルバート様にお手紙を』――とお伝えできるかと」
アルバートは腕を組んだ。
「……その狙いは?」
「ずばり、ビジネスチャンス」
ぱん、と素材屋は手を打った。
「新たな器具、新たな機材には、『素材』が要るでしょう? 要は、市場規模を広げようという魂胆です」
「ふむ――」
「もちろん、錬金術ギルドや、商業ギルドで特許をお取りになるなら、装置を広めるのは後の方がよろしいでしょう。素材屋も、ここで見たことは忘れます」
サニーは目を瞬かせた。
この世界には特許、つまり『発明権』の概念があるらしい。そうなると、これはいよいよ錬金術師アルバートの領分だ。
「ずいぶん急だな」
「はは、自分でもそう思います。しかし、素材屋としていくつもの取引をしてきました。『これらの器具は歴史を動かす』と、そう直感しているのですよ」
「……サニー、君はどう思う?」
若様はサニーを見やる。助手として尊重してもらえているのが、少し嬉しかった。
「サニーは……色々な人に知って欲しいと思います。ただ、若様にお任せします」
サニーが気にしたのは、アルバートが言う失敗だった。
気象予報を広めたい――その気持ちはある。
でも、単に理論を叫ぶだけじゃだめだ。説明して、納得してもらわないと、信じてもらえない。反対する人だっているかもしれない。
このタイミングで気象観測器具を宣伝するのが正しいか、確証はない。
「子爵様は――」
「アルバート、君が決めていい。君とサニーの発明なのだから」
若様は腕を組み、すぐ首肯した。
「――やってくれ」
エメラルドの瞳は澄んでいた。
「今日、子爵領で発注を聞いて、数日後に納品に来るのだろう? その時に、気圧計、温度計、湿度計の試作を渡そう」
「いいのかね」
子爵の問いに、アルバートは頷く。
「論文を書きながら、協力者の必要性には気づいていました。気象観測については、旅人や船乗りなど、知りたいと思っている人は多いはず。彼らがもし百葉箱を設置して、観測を手伝ってくれるなら、各地の気象データが集められる。理論はまだ検証の段階で、『特許』といえるほどの完成度にはほど遠い。協力者や、データの方が大事でしょう」
まだ『気圧』という概念自体がない。まずは実証が先で、そのためには協力者が必要なのだ。
サニーは青い目をきらめかせる。
「て、天気予報、もっと広まってほしいです!」
人の役に立つことだから。
「では、お任せあれ!」
素材屋はくいと帽子を上げると、手早く他の商談をまとめる。そして大きな体で風を切り、颯爽と歩いて行った。
◆
数日後。
素材屋は大型馬車を操りながら、村を振り返る。クライン子爵領から離れ、すでにかなり峠を上っていた。
いい景色だ、と来るたびに思う。
山々の麓に広がる、美しい緑。子爵領は湖に寄り添うようにできた土地で、時折、川や泉が鏡のように照り返した。
春の陽に洗われながら、3台の馬車はなだらかな坂を進む。先頭の素材屋に、後続の弟子らが声を張った。
「兄貴! 旦那にいい土産話ができましたね」
「ああ。まさかアルバート殿に、あんな素敵な助手がいたとは」
おそらく只者ではない。
「天才錬金術師と、お天気令嬢……」
「なんです?」
「いや、宣伝には売り文句が不可欠だと思ってね」
素材屋は、馬車の車輪に目を落とす。
一度は車軸を壊したが、領地を訪れる間に改良があった。車軸と荷台の間に、板バネが挟まっている。原始的なサスペンションだ。
発案はサニー、バネはアルバートの錬金術である。あの領地には、今、知性とそれを実現するための技術者が揃っていた。
(さて宣伝するとして、〝事業〟といえば……)
見晴らしのいい峠を進むうち、山小屋が見えた。
「……いずれは、この峠にも百葉箱が置かれるのかもしれないな」
『気圧』や『湿度』で雨を予測できるなら、ここに観測装置があればいい。旅人が気象を読めれば、山道はもっと安全になる。あの少女なら、雨の前兆などを紙にまとめ、百葉箱と一緒に置いておくくらいやりそうだ。
「おや……?」
期待に胸を膨らませる素材屋だが、見下ろす子爵領の一点が目に留まった。
それは領地の山、その中腹から顔を出す大きな石像である。今は親指ほどの大きさに見える、大昔の賢者――
足元に、誰かがいた気がする。
(あのような場所、掃除以外で人がいくようなものではない。気のせいだと思うが……)
ずいぶん小柄だったから、子供かもしれないが。
まさか妖精ということもあるまい。
「兄貴?」
「なんでもないさ。さぁ、みんないくぞぉ!」
土産話に胸を膨らませながら、素材屋は次の街へ向かう。
揺れる馬車には、見本となる試作品――『温度計』、『気圧計』、そして『湿度計』が入っていた。
気象予報が広まる。
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お読みいただきありがとうございます。
これにて第2章は終了、2日ほどお休みをいただいてから、第3章を始めます。
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