2-9:宙へ続く道


 百葉箱について、サニーとアルバートの試行錯誤は続いていた。

 温度計は目途がついている。赤ワインの酒精をガラス管に密封することで、現代と変わらないものができそうなのだ。気温が上がると酒精が膨張し、赤い線が上に伸びる仕組みである。

 一方で、湿度計。

 こっちが難航した。開発を始め10日が経っても、まだ十分な成果はない。

 アルバートは実験室アトリエの椅子に腰を落とし、白の上着を直す。目元を揉むのは、どう考えても寝不足だ。

 昨日、サニーはついに実験室アトリエに泊り込もうとする若様を引っ張り出している。


「少し、整理しよう」

「で、ですね……」


 山小屋の実験室で、アルバートが銀髪をかいた。

 なお机には、失敗作が山となっている。死屍累々。


「濡れた時に長さが変わる材料は、いくつかある」

「はい。乾いた素材が空気中の水蒸気に触れ、吸湿すると、長さが変わります。なので、湿度で長さが変化する素材なら、理論的には湿度計が作れるのですが……」


 濡れた時(湿度100%)、そして完全に乾いた時(湿度0%)、それぞれの長さを記録しておけばいい。

 原理的にいえば、100%と0%、その中間が湿度50%だ。

 要は、湿気で伸びたり縮んだりする素材を見つけて、その長さで湿度を計るだけなのだが――。


「……しかしどれも、濡らしてもわずかな変化だな」

「ですねぇ」


 たとえば。

 サニーの青い目、光学センサによる正確な測定でも、楽器のガット50センチから計測できた伸びは約2ミリ。ほとんど誤差みたいなもので、音楽家が『音が違う』と気づくのはわかるが、測定機にするにはあまりにわずかだ。


「問題は、やっぱり素材の感度ですねぇ……」


 果たして、この程度の感応度で、毎日の正確な測定ができるものだろうか?

 『湿気で伸び縮みする糸』を提案してくれた素材屋には感謝だが、今一つ、実用には至らない。


「新たな素材を買うか?」

「けっこう試しましたけどね」


 馬車が壊れて村を騒がせた素材屋は、あの後もたびたび子爵領に来ていた。しばらく、この辺りを中心に活動していくらしい。

 なお騒がせたもう一人、ベアトリスの方は早々に峠を越え村を後にしている。もともと旅の途中で立ち寄っただけだったのだろう。


「……でも、ですよ? 水に濡らしてもわずかしか変化しないなら、かなり蒸し蒸ししたところでも、まったく変化しない――なんてこともあるのでは?」

「うむ。可能性は、あるな」


 そうなると、湿度計としてはまったく使えないということだ。

 サニーがいるので観測にはなんの支障もないが、『サニー以外誰もデータがわからない』というのはまずい。予報は信じてもらえないままだし、アルバートが今後論文を増やしても、誰も検証できないのだから。


「今の内に確かめねばならん、な」

「……わ、わたし、見てきます!」


 動物の骨に、木片、ガットなどなどを詰めた木箱を抱え、サニーは実験室を飛び出した。


「蒸し蒸しするといったら、あの場所ですっ」


 駆けて向かったのは、子爵の邸宅だ。


「……サニー様? なに、してるんですぅ?」


 リタ達が働いている洗濯部屋。今日は領主一家の服を洗う日で、サニーの『渦巻洗濯』に出番はないが、リタ達は竈に火を入れている。


「じめじめして蒸し暑い場所がいいんです」


 リタの引きつった笑顔には『邪魔』と書いてあった。


「――村の蒸し風呂はいかがです?」

「蒸し風呂!? あるんですか!? 完璧です!」

「…………広場に出てから、川の方へ歩けばありますよぉ?」


 素材を抱えて服を着たまま蒸し風呂に突入する金髪の少女は、村人から苦情が出て、結局リタが山小屋まで連れ帰った。


「もう若様! 助手はちゃんと見ていてくださいませ」


 助手を管理する助手が要るな、とアルバートは思ったという。

 しかし結局、ガットも木板なども、計器にできるほどではないとはっきりした。蒸し風呂の湿気でさえ、長さの変化はわずかである。

 湿度計には急速に暗雲が立ち込めた。



     ◆



 その日も夕方まで、サニーとアルバートは研究に取り組んだ。錬金術師は『気圧』に関する論文もほぼ仕上げていて、2人で百葉箱の開発と天気予報、それに執筆を並行する。


「……サニー」

「はい?」

「今更だが、君自身に、この世界での望みはないのか?」


 アルバートは、羽ペンをインクに浸した。


「君にはもう手足がある。魔法もある。『キショウエイセイ』という前世も、信じよう。しかし――私に気象を教えた後、望みはあるかね?」


 神様は、転生前に言った。

 ミッションを探せ、と。


「――人の役に立つのが、私のミッションです」

「誰かが、君にそう言ったのか?」

「それは……」


 どうしてそんなことを問うのだろう。


「今は、君ものはずだ」


 アルバートは、毎日の気圧と天気の関係を紙片に書き留めると、立ち上がって気圧計に向かった。整った顔を窓からの夕日が照らしている。


「私は、気象を解析すると決めている。だが真面目に器具を作ると、誰かを敵にすることがある」

「アルバート様?」

「――私の失敗を話そう。そろそろ、君に話さないのは公平性を欠く。聞いてくれるか?」


 言いよどみ、声が――音波の調子が安定しない。ちらり、とアルバートは実験室に置かれた天体望遠鏡を見やった。


「錬金術師は、魔法によってさまざまなものを作れる。一方で、パン職人、武具職人、紙職人、布職人――魔法を使えない人も大勢この世界では暮らしている。ゆえに、彼らの組合は錬金術師を警戒しているのだ」

「警戒……?」

「錬金術師は、なんでも作れるからだ。たとえば、錬金術師が新たな技術を開発、普及させれば、職を失うかもしれない」


 サニーは前世のことを思い出す。

 なにかの新しい製法が開発され、大幅に工程が変わったり、省人化が実現した場合。今までの職人が不要になるのは、確かに歴史上もあり得た。

 現代では3Dプリンターなどの高級機械。産業革命では紡績機で糸車での内職がなくなった。さらに遡れば、活版印刷が写本師を減らしたことも、同じだろうか。


「1年前、私は錬金術でガラスからレンズを作る術を編み出した」


 ビーカーや試験管など、ガラス器具は実験で多用される。故郷で自給する内に、アルバートは錬金術でガラス器具を作るのが得意になったという。


「仲間内だけで発表したが、それがガラス職人組合に漏れ、激怒させてな。高度なガラス器具は、彼らの商売そのものだ。発表した内容も悪く、同時に伝令組合も怒らせた」

「伝令……」


 郵便のようなものだろう。


「レンズを通せば、遠くの景色もよく見える。すると、理論上は人が手紙を持って移動するより早く情報をやりとりできるはずだ。そうだな――魔法式のランプで夜間に発光信号でも送れば、もっとわかりやすい」


 うわ!とサニーは思った。

 発光信号の発想は、前世のモールス信号に近い。前者も、腕木通信というものが確かあったはずだ。


(こ、この人……!?)


 やっぱり、ちょっとスゴイのでは?


「おそらく、私の発表を故意に漏らした者がいたのだろう。足を引っ張られたといえばそれまでだが、師への相談や、周りへの根回し――もてはやされ舞い上がり、私はそうしたことさえ欠いていた。我ながら、付ける薬もないよ」


 肩をすくめるアルバート。


「教訓は、発明と、それが喜ばれるのは別――ということだ」


 アルバートは羽ペンを置いて、サニーを見やる。


「子爵領はのどかで、いいところだ。私から子爵殿に、なんとでも言う。もし静かな暮らしを望むなら――どこかで力と知識を隠しなさい。ずっと私の研究に付き合う義務はない」


 アルバートのいうことは、ぼんやりとわかる。

 サニーの存在がまだ知られていないうちに、彼女を守ろうとしている。


(したいこと……?)


 それもまた、ミッションと関係しているのだろうか。

 『しなければならないこと』ではなく。


(なんだか、不思議です)


 人工衛星サニー、どんどん人になっていく。体の組成は転生してきた時のままなのに。

 リタ。素材屋にベアトリス。

 アルバートやセシル達。

 そんな繋がりの中にサニー自身がいるのが、とても不思議だった。

 若様は立ち上がり、書類の片づけを始める。


「ミッション……」

「どうした?」

「わたし、あなたのお役に立ちたいです!」


 最後の言葉は、するりと自然にこぼれでて。

 アルバートは閉めかけた棚に指を挟み、慌てて開いた棚の戸に額をぶつけた。

 なにしてんだ。


「少し外す」


 若様は口を押え、目を泳がせる。ひどく動揺して見えた。自分が動揺していることに、動揺しているように見えた。

 隣室に消えたアルバートは『私は何を』『相手は――』『研究に障る』などぶつぶつ言っていた。

 やがて、戻ってきた。


「……アルバート様?」


 きょとんとするサニーに、アルバートは仏頂面となり、つんと額を突いた。最近、よく額を突かれる。


「あまり、男性にそういうことを言わないように」


 それで、その日の研究はお開きになった。

 弟や子爵という家族について、道すがら、アルバートは語る。胸のつかえがとれたかのようだ。


(人には、色々な面があるのですね……)


 そんな繋がりの中にサニー自身がいるのが、やっぱりとても不思議だった。


 ――君自身に、望みはないのか?


 ものを大事にする人は、人にも優しい方だった。

 木漏れ日の中、サニーの足が止まる。


「どうした?」


 夕陽でよかったと思う。

 頬が熱くなったのだ。


(……今、恥ずかしい、のでしょうか? 私は……)


 なぜか。

 どうしてか。


(『恥ずかしさ』は、本心をけして知られたくない時の気持ち……)


 本心?

 俯くうちに、春風が頬を冷ましていく。沢のせせらぎが心地よい。

 人間は、どうして内面を明かす機能が多いのだろう?

 サニーはアルバートに並んで、追いついた。 


「大丈夫ですよ、アルバート様。きっと、大丈夫です」

「よくそう励ましてくれるが、根拠はあるのかね」


 アルバートに振り返る。


「サニーが根拠ですから」


 いつか人は宇宙にだってゆけるのだ。

 天気がわからないままなんて、そんなことは――けしてないだろう。


「湿度計も、うまくいきますよっ」

「……そうだな」

「…………た、たぶん」



     ◆



 お屋敷に帰ると、妙にほかほかしたセシルが大型犬ロビンのブラッシングをしていた。

 リタがたくさんのタオルを運んでいる。


「あ、若様! セシル様、ロビンに引っ張られて小川に落ちてしまったみたいで――」


 リタの言葉に、なるほどと思う。セシルもロビンも、仲良くお湯をもらったのだ。


は濡れると縮れてしまうので、大変なのですよぉ。サニー様も、雨の日は髪を整えるのが大変でしょう?」


 頷きかけ、はっとアルバートと顔を見合わせる。


「あ、アルバート様」

「……うん」


 2人でへなへなと力が抜け、床にへたり込んでしまった。


(お安くて、とっても手に入りやすい、湿度をよく感知する素材――あったじゃないですか!)


 サニーの頭にようやく、前世の知識が思い出される。それは単純明快、しかし気象庁でも使われた、正式な湿度測定方法だった。

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