2-8:峠守
温度計、湿度計の開発が始まって7日ほど。
昼過ぎ、サニーは両手で木箱を抱えながら歩いていた。畑沿いの道には、明るい日差しが注いでいる。
「お天気のお姉さ~ん!」
可愛らしい声がして、サニーは振り返る。幼子が3人、塀に乗って手をメガホンにしていた。
「お洗濯ものは、干しましたかぁ~!?」
サニーは手を振り返した。
「はい! 干しましたよ!」
わぁ、と小さな子達は塀から降りて駆けていく。
サニーはくすりと笑い、きっと『あの話』のせいだろうと思い出した。
――天気が知りたければ、子爵様のお屋敷で洗濯物を見るといい。
――干してあったらその日は晴れさ。
数日前からそんな冗談が流行っていた。
子爵家の客人、サニーの天気予報はよく当たる。だから子爵家で洗濯物が干してあれば晴れだろう――ということだ。
彼女が領地に来て15日、いつの間にかすっかりなじんでいる。歩く先々で、農夫やおばさま方から挨拶された。
「こんにちは。今日も大荷物ねぇ」
「意外と軽いですよ? 中身は、筆記具ですから」
そよ風が吹く。若木の匂いに混じって、木箱からインクの香り。
最近の若様は、筆記具の消費がとにかく早い。多忙を縫って、論文をバリバリ書くせいだ。どうやら『気圧』の存在について論文で共有し、反応をみるつもりらしい。まだ紙が高価な時代だが、1日に2回もお屋敷へ補給しに行ったこともある。
「おう、サニー様。今日も、天気予報をありがとうよっ」
サニーの働きは特に宣伝しているわけではないが、広場の予報看板をマメに変えていればみんな気づくものだ。
また一人、年配の農夫が遠慮がちに近づいてくる。
「のう、朝もやが出ていたんだけど――本当にずっと晴れかい?」
「ご心配なく。朝もやは、むしろ晴れのサインなんです。夜の間に冷えた空気を、高気圧が地表に下ろします。それで地面の近くで気温が下がって、一時的にもやが出るんです。空気が降りてきているということは、雨を作る湿気は上空に行きにくいのです」
ほう、と農夫らは何度も頷く。
「なるほどのう……」
「あたしらも、あなたみたいに天気に詳しければいいのだけどねぇ」
「だいたいですけど、雲から雨を予想する方法もありますよ?」
たくさん雲がある場合。
空に向かって人差し指を立て、指先からはみ出すようなら
どう違うかというと、高度が違う。『ひつじ雲』の方が低いので、『うろこ雲』から『ひつじ雲』に空が変わった場合は、地表に水蒸気の塊が近づいてきている――つまり雨が近づいているということだ。
「へぇ、物知りだな……」
「アルバート様も、よい方を助手にしたもんだわい」
「ウチの旦那もあんたほど役立ってくれればいいんだけどねぇ」
農夫やご婦人達は感心して仕事に戻っていく。
「ふふ」
気持ちが嬉しいと、足取りだって弾む。
春の空には筋雲が1つだけ出来ていて、誰かが筆でまっすぐな線を引いたみたいだった。そうして進む先から、10歳ほどの男の子達がわぁわぁ言いながら駆けてくる。
「どうすんだよ」
「しらねぇぞ」
少年達はサニーに気づくと、ばつが悪そうに視線を交わす。
しゃがんで目を合わせた。
「どうしたのですか?」
大きな青い目に、たじろぐ少年達。
「う……あっちだよ」
1人が森を指すと、みんなで逃げてしまった。はて、と首を傾げつつサニーがそちらへ向かうと、次は犬の声。
「わんっ」
「セシルさん……」
セシルとふわふわの大型犬ロビンが、切り株で身を寄せ合っていた。
「お一人ですか?」
「――」
セシルは目をそらし、微笑む。
(いつもより、元気ないです……)
辺りを見回すと、木になにかが引っかかっていた。
「ボール……?」
革を貼り合わせ、中に空気を吹き込んだもの。鮮やかなゴムボールとは比べ物にならないが、村の子には大事な遊び道具だろう。
セシルもいくつか持っていて、ロビンと遊んでいたはずだ。
「さっき、ここから走ってくる子達をみました」
「――」
セシルは恥ずかしそうに耳を赤くする。
(……『恥ずかしい』は、本当のことを知られたくない気持ち……)
最近、どうしてかアルバートの前でもたまに同じ思いになるが。
とはいえ気持ちを変えてまで、話してもらうことはない。
サニーは微笑む。
「わたしにお任せを!」
荷物を切り株に置くと、『身体強化』で木に登る。ほんの数歩で枝に乗れたので、奥様お下がりの衣服を汚すこともない。
サニーは屈んで、ボールが引っかかっている枝を揺らした。
「――!」
ぽてんと落ちてくるボールを、セシルが慌ててキャッチ。
「よかったです」
地面に降りると、セシルが駆け寄ってくる。サニーに傷がないのを確かめてから、ぺこりと一礼した。口が、『ありがとう』の形に動いた気もする。
空気を入れたボールに、ふと何かが過ぎった。
(ボールといえば、空気を入れた……?)
なにか――気象にまつわる何かが、思い出せそうな。
首をひねるサニーを、ちょいちょいとセシルが突つく。
「え?」
「わんっ」
大型犬ロビンが吠えて、先導。セシルもサニーの手を引いた。
「ど、どうしたのですか?」
セシルは口に人差し指を当てる。
「内緒……ってことです?」
「――♪」
セシルは森をぐんぐん進む。途中で上り坂になって、少し下にいつも歩いている山小屋への坂道があった。
秘密の道とは、セシルもなかなか悪い子である。
やがて木々に挟まれた小道が終わる。
「わぁ――」
そこは、小さな小さな高台だった。
村全体を一望できる、おそらくは地形のイタズラでできた場所。この山を1つの大きな館とすれば、ここは出窓といえるだろう。
広がる畑に、穏やかに流れる川。
人々の暮らしが、生活が、普通が、眩しいほどになだらかな平地に抱かれている。
「――」
水筒を出してくれたので、ありがたく頂く。
視線を左から右へと移していくと、子爵領の収入源となる峠道も見えた。今日も関所を通って、行商人達が先を急いで行く。
穏やかな景色の中、サニーは何かが山から突き出しているのに気づいた。
(……アンテナ?)
よくよく見ると、それは中腹からそびえる巨大な石像だ。アンテナに見えたのは、掲げられた杖だろう。
遠いうえ、木々に隠れてよくは見えないが、ローブ姿のようだ。
「初めて気づきました……」
セシルが地面に文字を書く。
――
「大昔の方ですか?」
こくり、と頷くセシル。
――昔のひと。
――天気を当てた。
――クライン子爵家の遠い遠い、ご先祖。
なるほど。
子爵領の天気予報は、大昔からそういう役割を負っていたのかもしれない。もっとも現在の予報的中率から考えるに、伝承はだいぶ割り引かなければならないだろうが……。
セシルは、赤みを帯びた瞳でサニーを見る。
――サニーさんも?
天気を当てたという、峠守。
「……サニーも、ですか?」
赤い目の少年は、首肯する。転生時の、神様の姿を少し思い出した。
「ごめんなさい、サニーにも、わからないんです。どうして、わたしがこの場所に来たのか……ミッションが何なのか」
でも、と人差し指を立てる。
「皆さんのお役に立ちたいという気持ちは、ずっとずっと強くなってます」
セシルが頬を緩め、サニーも一緒になって笑う。毛皮をこすりつけてくるロビンが、くすぐったい。
言葉は話せないけど、セシルはとってもいい子だ。やはり、サニーには魔法を怖がっているようには見えないが……。
「戻りましょうかっ。教えてくれて、ありがとうございます」
「――!」
「わんっ」
元の場所に戻ると、さっき逃げて行った少年達がみんな揃っていた。
代表して一人が前に出る。
「あの、ボール……」
セシルが切り株に置いたボールを指し、頬を膨らませた。
「て、天気のお姉さんに助けてもらったのか?」
「その……悪かったよ。無理やり、ボール取って」
ようやくサニーにも事情が通じた。
ボールは取り合い、投げ合いになり、木に引っかかってしまったらしい。
ふんと鼻を鳴らすロビン。セシルはちょっと口を尖らせていたが、やがてボールを子供達に投げ返す。
「おっ? ――へへっ!」
その子がまたボールを投げ返す。
おそらく、ドッジボールに近いだろうか。子供たちは2組に分かれて、互いにボールを投げ合い、キャッチできずに落とした子が脱落する。
「危ないっ」
誰かが投げ損なったボールが、サニーのところにやってきた。けっこう速いボールだったが、あっさり捕球。
セシルが手を振って、投げる真似をした。
「こ、こう?」
サニーのボールは、機械じみた正確さでセシルの腕に納まる。
ロビンか「わんっ」と応援する中、セシルはまた1人にボールを当てた。
ぼんやり見てると、サニーにもボールが飛んでくる。
――やる?
セシルと目で通じ合えた気がした。電波でも、音波でもない意思疎通。
胸の、知らない機能が動く。
「は、はいっ! わたし、やりたいですっ」
「――♪」
「気をつけろ!」
「お、お天気のお姉さん強い……!?」
子供達と遊ぶサニーを、大型犬のロビンが尻尾を振り振り、目をキラキラさせて眺めていた。
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