2-7:セシルの秘密

 義弟セシルが声を出せないのは、魔法のせい――。

 アルバートと2人だけになった山小屋で、サニーは青い目を瞬かせた。静かになると、葉擦れや鳥の声だけになる。


「ごめんなさい。サニーには、どういう意味なのか……」


 若様は頬を緩めた。いつも表情を引き締めているが、整った顔は笑うと本当に優しくなる。


「――そうだよな、いきなり始める話ではなかった。まずは、買ったものを整理し、それから少しだけ話そう」


 2人で素材屋から買い付けたものを整理していく。商談したものは、まだ木箱にまとめられただけ。これを実験室に移し、分類しなければいけない。

 アルバートはメモ好きで、あちこちの棚にラベルが貼ってある。おかげで整頓もしやすかった。


(魔法のせい……? セシル様が、声を出せないのが?)


 引き出しを閉めながら、サニーは首を傾げた。

 真っ先に思い浮かぶのは事故だが、少年セシルは健康そのものに見える。


(怪我でないなら……気持ちや、精神面でしょうか?)


 消去法ではそういうことになるが。

 一通り整理を終え、サニーは空いている椅子に座った。


「どこから話したものか」


 アルバートは実験室の窓辺にもたれる。


「知っていると思うが、セシルは私の義理の弟だ」

「はい。アルバート様は、ええと……養子でいらっしゃいますよね」


 身も蓋もなく『養子』と告げるのはデリカシーをやや欠く――リタの丁寧な教えで、サニーは少し控えめな言い方をした。


「そうだ。私の実父は、子爵様の弟。聖職者となり、結婚し、子をもうけた。それが私だ」


 アルバートは目を伏せる。


「……両親はある嵐の晩、馬車で崖から落ちて亡くなった。ゆえに私は、気象を解き明かしたい。あの晩、家族が死んだのは、どういった原理によるものだったのか――知りたいのだ」


 口調は静かだが、どこか激しい。燃える星を彼方から見つめるとき、その温度までは伝わらないのに似ているかもしれない。


「14歳で身寄りをなくした私を、子爵様は養子にしてくださった。それまでも錬金術の修行はしていたが、子爵様の援助でよい師にも巡り会えた。やがて都にある王立学会で学ぶことまでできたし――今でも、感謝している」


 サニーは戸惑ってしまう。初めて聞く、アルバートの深い身の上話だったから。

 適切な反応ができる自信が、まだなかった。


「すまない、自分のことを話しすぎた」


 知らず、不安げな顔をしていたらしい。アルバートは話を切り上げてしまう。


(そんなこと……ないです)


 アルバートのことを、サニーはもっと知りたかった。

 『人について知る』ことが、ミッションには大事だから。


 ――私も、君のことを知りたい。


 先にそう言ったのはアルバートだったが、気づくとサニーもそう思っていたようだ。


(……あれ?)


 『もっと話してください』と言えばいいのに、うまく気持ちが音波に変わらない。頬にかすかな熱を感じ、サニーは両手の指を顔に沿わす。


「セシルが声を失ったのは、1年と少し前。当時、私は学会に属していたため、領地にはいられなかった。だから伝聞でしかないが――魔法修行の途中に声を失った」


 息を呑んでしまう。


「魔法で?」

「うむ。私は、セシルを診るためにも故郷に戻った。王立学会でその頃とある『失敗』をしてな……どの道、戻るしかなかったがね」


 口を歪める若様に、サニーはぶんぶん首を振った。


「ご立派なことだと思います」

「……君は優しいな。同じ頃、領地に長く勤めていた錬金術師が引退したから、その意味でもタイミングはよかったが」


 実際、気象予報から診療まで大活躍しているのだから、領地は大助かりだろう。


「戻ってきた甲斐はあった。セシルが言葉を発せなくなった原因は、すでに特定してある」


 呆気なく言われ、サニーは口を開けてしまった。


「これでも腕利きで通っていたものでな」

「そ、そうですか……」

「少し待ってほしい」


 アルバートは、隣の部屋から小型黒板を持ってきて、机に立てる。先ほど解説に使用したものだ。

 立ったまま、指で黒板を示す若様。


「魔法には、基本となる『感知』、そして事象を起こす『具象』『操作』『変質』の4つの力がある。セシルの場合は、『感知』が悪い。生まれつき魔力を感じる力が強すぎるのだ」


 サニーはこめかみの金髪に触れる。


「それは……センサーが敏感すぎる、ということでしょうか?」

「センサー……? 君の世界の技術かね?」

「ええと」


 はっと実験室に置かれた望遠鏡を指さす。


「レンズ! これが近いです! レンズを通して光を見ると、目を痛めます」

「なるほど。そうだな、セシルは魔力を感知する力が強く、それは光を強く感じることに似る。だから、怖いのだろう……魔法とは慣れぬと異質に感じるものだ」


 微かな疑問が胸を過ぎる。


(怖い……?)


 知らないことを知ることは、まだサニーにとって楽しいことだった。

 『怖い』とは、たとえば――人工衛星だった頃、地上に墜落して人を傷つけてしまうことに覚えた気持ちだろうか。


(同じ気持ちを、セシル様も……?)


 なにか変化が起きる時には、不安になるものかもしれない。

 ただサニーには、セシルが何かを怖がっているようには見えなかったが――。


「魔法とは、心で念じ、さまざまな事象を起こすこと。逆に魔法を封じるとは、心の一部を封じることでもある。セシルの場合、それが声を出すという機能だったのだ」


 自分の魔法を封じることで、同時に声まで封じてしまった――そういうことだろうか。

 若様は窓を眺める。視線の先は、初日にサニーがセシルを助け出した沢だ。


「もっと前、セシルには魔法を避ける傾向があった。おかげで、錬金術での調薬も一苦労でな」


 苦笑しながら、アルバートはサニーの向かいに座る。


「だがサニー。君が魔法を習うところに義弟おとうとは同席しただろう? 気持ちに変化があったのかもしれない」

「変化、ですか?」

「ああ。君が『身体強化』でセシルを助けたことで、魔法への怖さが少し薄れたのかも……そう考えたんだ。『感知』は個人差がある力で、少しのきっかけで改善した症例もある」


 アルバートは目尻を少し下げる。


「君に魔法を教えなかったのは、そうした事情だ。魔法への拒否感が薄らいだと確信できるまでは、状況を動かしたくなかった」

「――なるほど」


 急にサニーが魔法を上達させれば、セシルがまた警戒しかねない。


「もちろん、領地に来た君に負荷をかけたくなかったこともあるが……本当の事情はこちらだ。知らせないまま、君を利用した形になったのは、すまなく思う」


 ――気にされている。

 そんな心遣いが、少し嬉しくて頬を緩めた。


「サニーは気にしませんよ? お役に立てること、ですから」


 おそらく、サニー1を打ち上げたのはこういう人達なのではあるまいか。実直な専門家で、きっと知識と技術で問題をどんどん解決していくのだ。


「うん、でも、わかりました」

「なにがだ?」

「わたし、アルバート様だけじゃなく、セシル様ももっと知ってみます!」


 両手を握るサニーに、アルバートは銀の前髪をかき上げる。


「な、なんでそうなる……いや、確かに君に懐いているようだし、助かるが」

「サニーを見て安心するなら、どんどん見ればいいのですっ」

「話を聞いていたかね」


 もちろん聞いていた。サニー自身も、謎めいていて、でも優しく穏やかなセシルをもっと知りたいのである。

 本当に、『怖い』だけだろうか?


「きっと、大丈夫ですよ」


 温かい微笑みに、目を細めるアルバート。村の方からまた鐘が聞こえ、若様はやや慌てて言った。


「む、昼の2つ目の鐘だ。屋敷に戻ろう。午後から、また製作と実験で忙しくなる」

「はいっ」


 山小屋を出る2人。春の日差しで、外は緑と花の匂いだった。

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