2-6:魔法という存在

 サニー達が百葉箱の材料を買い揃えると、素材屋は帰っていった。山小屋のテーブルには、動植物のさまざま素材が並んでいる。

 楽器のガット、大型海洋生物の骨、樹皮、羊毛――他にもアルバートが仕入れた金属類。

 一通り検品し手際よく木箱に収めると、若様は言った。


「そういえば、魔法についてあまり話していなかったな」


 サニーは金髪を揺らし、こくりと頷く。というか、見たのも今が初めてだ。珍しがっていたのを、彼も感じたのだろう。


「あんな風に、水や火を生み出せるのですね」

「うむ……」

「わたし、魔法についても知りたいです。もう一度できますか?」


 アルバートは、どうしてか義弟セシルの方を見る。10才の少年は、奥の椅子に一人腰かけ、いつものように静かにしていた。


「――残念だが、必要以上の行使はしないようにしている。村で錬金術師は私だけだし、急患のため余力を残したい」

「魔法は、そんなに消耗するものなのですか?」

「そうではないが、確かに物質を生み出す魔法は負担が重い方だ」


 そうなのだろうか? その割には、ベアトリスはあっさりと魔法を見せてくれたが。


「あ、そうそう!」


 リタがぽんと手を叩く。


「若様! サニー様、すごいんですよ! お洗濯の水槽に『ぐるぐる~!』って渦を起こしちゃって! おかげで、すぅぐ終わっちゃったんですから」

「な、なに」


 サニーは、またもこくりと肯いた。


「頭で考えたら、水がその通りに動いたんです」

「驚いたな……気象の知識だけでなく、魔法の才能まであるのか。いや、遠くの雨や雲がわかるというなら、それも当然か」


 若様は、難しい顔でしばらく腕を組んでいた。


「わかった、君にもそろそろ魔法について教えよう。危険があるから、まとまった時間がとれるまで後回しにしていたのだ」

「え? 危ないんですか?」

「……稀に、な。そして、そういう事故が起きるときは、だいたいが知識を付け始めた頃。君は、前世では――」

「気象衛星です」


 サニーは平然と応えるが、少なくともリタには微妙な顔をされた。


「う、うむ……いわば人ではなかった。人の感覚で魔法を教えて、思わぬ結果になるかもしれない。だから、少し様子を見ていた」


 サニーにしてみれば、魔法は本当に未知の領域だ。

 そう言われても「そうなんですね」としか言いようがないが、試運転が終わるまで様子見するというのは正しく思える。


「でも、サニーのことは気にしないで下さい。お役に立ちたいのです」


 青い目でまっすぐに見つめると、アルバートは苦笑を深めて銀髪をかいた。


「君をモノ扱いしようとは思わないが――さて、どう教えたものかな」


 ふと、リタとセシルを見やる。


「2人はどうする? 私は、サニーにここで魔法の触りを教える。リタには無用なことだし、セシルには……すでに教えたことの復習になる」


 セシルは黙って、アルバートの近くまで椅子を引いてきた。赤みを帯びた瞳が、きらっとする。


「――♪」

「おや、やりたいのかい?」


 肯いて、セシルは着席。


「じゃ、リタはお茶を煎れますねぇ」

「頼む。2人には、講義を開始しよう」

「はい! よろしくお願いします!」

「――!」

「今から、私達は少しの間、師と弟子だ。集中して聞きなさい」


 アルバートは、診療所の壁にかかっていた黒板を外すと、テーブルまで持ってきた。

 横長の机で、並ぶ2人に向かって小型黒板で講義する形である。机に黒板を立てるアルバートは、チョークを手に少し考え込んだ。


「そもそも魔法とは何か?」


 黒板の一番上に、何かを書き付ける。


 ――魔法とは、魔力を操ること。


「はいっ」


 サニーが手を挙げる。


「魔力って何ですか?」

「うむ。あらゆる場所に存在する何か、という説明しか今の魔法学でもできない。空気中にもあるし、もちろんコップの水にも、土中にも、人体にも。魔力は属性を帯びている場合が多い」


 アルバートは、黒板にチョークで4つの文字を描いた。


「属性とは、土、水、火、風の4種だ。風を動かすときには風の魔力に働きかけ、火を出すときには火の魔力に働きかける」

「へぇ……」


 説明によれば、空気中には『土』以外の魔力3種が含まれている。当初アルバートは、『水』の魔力と湿気、『火』の魔力が気温と関係があると思い、気象と魔法の関係を調べていたようだ。


(そうなると、『風』は風力、それとも気圧……?)


 なお、『土』の魔力は地面に含まれているとのこと。

 金髪の毛先を弄んでいると、リタがお茶を置いてくれた。目の冴える、ハーブの香り。


「たとえば、ですけど――このお茶にも魔力はあるんですか?」

「当然、宿っている。お湯、つまり水で煎じているから、水の魔力を宿しているはずだ」


 なんとなく、前世の四元素説に近い考えだ。

 紀元前のギリシアからなされていた説で、『世界は「土水火風」の属性を持った四元素で構成されている』という内容である。


(この世界では魔法があるから、似た考えがまだ支持されているのですね……)


 アルバートは人差し指を立てる。


「先ほど述べたとおり、生物にも魔力は宿っている。ただし、これには特定の属性はない。ゆえに、魔力は生物が産みだしているという説もある。生み出されたばかりだから属性を持たない、無属性の魔力ということだな」


 そして、と言葉を継ぐ。


「魔法を行使するとき、魔法使いは身に宿る魔力を使うのだ」


 指先に火が灯った。


「魔力は、魔力同士としか反応しない。空気中に魔法の元、魔力があるといっても、声で『火を出せ』と命じて火を生むことはできぬ」

「なるほど……」

「人間は、自分に宿る魔力なら修行次第で動かせる。だから自身の魔力を放出し、空気中にある火や水の魔力と反応させ、さまざまな働きをさせる。それが魔法の原理だ」


 へえ、とサニーは思った。

 人の身にも魔力が宿る。

 だとするなら、サニーが太陽光を浴びて元気になり、身体能力も強化されるのは、やはり太陽光で魔力を得ているのかもしれない。


「アルバート様、太陽光を浴びて魔力が増える人って、いるんですか?」

「君はそう言っていたな。他に聞いたことはないが、魔力については気象並みに未解明だ。そして魔法は、使い手の思考で動く」


 アルバートは顎に手をやり、やがて頷いた。


「――そうだな。もしその人物が、日光から力を取り出す術や、原理を知っているなら、ありうるだろう」

「あ……わかりました」


 人工衛星サニー、ここでも太陽光発電。


「次に、魔法でできることを説明する。人間が魔法に対して持つ力は、大きく4つだ。まずは基本となる、感知」


 アルバートは、黒板から、『土水火風』の文字を消す。

 代わりに、真ん中あたりにチョークで一つの点を打った。


「『感知』とは、文字通り魔力を感じる力のこと」


 アルバートは点に、睫毛と瞼を足して『目』の形にした。


「魔法使いの根源となる。最低限、己に宿る魔力は感じられるし、周囲にどの属性の魔力が多いのかも修行次第で多少わかる。もっとも、厳密に測定する計器は私もまだ開発中なのだが……」

「あ、気圧計にしたやつですか?」


 『魔導銀』は、本来そのため――空気中の魔力の測定に開発された液体金属である。


「……思い出させないでくれ」


 肩を落とすアルバート。その背中をセシルがなでてやった。


「――」

「はぁ、まったく。次だ」


 目のマークを囲うように、3つの点を打つ。

 続いて、それら点同士を線で結んだ。黒板には、三角形に囲われた『目』という、かなり怪しい図形が描かれる。


「うわぁ、怪しいですぅ」

「茶化すなリタ。この図は、『感知』の力を中心として、魔法に3つの力があることを示している」


 滑らかな動きで、三角形の3つの頂点に、それぞれ文字を書いた。


 ――その1『具象』 ものを出現させる力。

 ――その2『操作』 ものを操って動かす力。

 ――その3『変質』 ものの固さや温度などを変える力。


 アルバートは飲み干したカップに、空気中で生み出した『水』を注ぐ。


「今見せたのが、『具象』だ。空気中に存在する水の魔力を用いて、水を発生させた」


 サニーは目眩がした。

 この時点で、質量保存の法則や熱力学第一・第二法則を景気よく無視している。


(て、天気予報が発達しなかったはず――!)


 確かに、人がこんな力を使えたら、気象は魔法と関係あると思うに決まっている。錬金術師はカップの水を渦巻かせ『?』マークのような形に立ちあがらせると、指を振って凍らせた。


「今のが、操作と変質だ。錬金術師は、このように魔力を使って混ぜたり、溶かしたりすることでさまざまな材質を得る」

「サニーの世界には、ありませんでした」


 サニーは『?』型に凍った水をしげしげと見る。口元がほころんだ。


「ふふ、でも、これがこの世界のやり方なのですね」

「変に思わないか? 初めて魔法を見る人は、決まって戸惑うものだ」

「でも、とっても楽しいことだと思いますよ」


 実のところ。

 前世でも、物理の全てが解明されたわけではない。


「空中に水が生み出されて、重さが増えたように思えます。でも、そもそもサニー達が感じる『重さ』って、あまりよくわかっていないんです。磁石にくっつく性質と反発する性質があるように、ほとんどの力は正と負の両方の性質を持っています。でも、重力は引き寄せるだけ――」


 だから無限に重くなるブラックホールができる。

 今も、重さが増えたようにも見えても、サニー達が今まで観測できなかった重力が戻ってきただけ……かもしれない。要は、人間が感知できないところで『重さ』の帳尻があっている可能性はあった。

 リタが目を瞬かせる。


「じゅうりょく……?」


 若様が咳払いをした。


「触りはこんなところだ。ただ、君なら問題ないとは思うが、あまり乱用はしないように」


 村の方から、正午の鐘が鳴る。


「リタ、そろそろ屋敷で昼食だ。セシルを先に連れて行ってくれ」

「はぁい」

「私とサニーは、少し午後の準備をしてゆこう」


 先に昼食をとりに戻る2人。

 静かになった山小屋で、アルバートはサニーを見た。


「そろそろ話しておこう。セシルが言葉を発せないのは――魔法のせいなのだよ」


 それが君に魔法を見せなかった本当に理由だ、とアルバートは真剣な目で告げた。

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