2-3:素材屋
広々とした屋敷の庭に、真っ白のシーツやシャツが翻る。
「よぉし!」
リタが腰に手を当て、晴れ晴れとした笑みを浮かべた。サニーも
2人の気持ちは一つだった。
「お洗濯って、終わると気持ちいいです……!」
晴れが喜ばれるはずだ。青空に翻る洗濯物は、こんなにも爽やかなのだから。
午後までかかると思われた洗濯は、魔法による渦巻き、そしてサニーとリタの動きがぴったり合ったおかげで、予定よりだいぶ早く終わった。火照った体も、春のそよ風で気持ちいい。
「……これも、ミッションなのでしょうか……」
天気予報も、お洗濯も、人の役に立つところではつながっている――そんな風に感じる。人の気持ちを知って、また周波数が人に近づいた。
リタが頭にまいていた布をとる。
「ありがとうございます、サニー様」
にっと笑うと、茶髪がさらりと揺れる。
「お洗濯が早く終わったのでぇ、時間が余りました。なにか、私めにできることはありますか?」
「え……?」
「何をきょとんと。リタだって、ここまでしていただいたら、お返ししますよぉ」
「そうですねぇ……実は、子爵領を少し案内してほしくてぇ」
「ああ、なるほどぉ。若様とじゃ、ちゃんとは見れませんよねぇ」
アルバートからも案内を受けたが、長身なうえ人目を引く美形で目立ってしまう。ゆえに落ち着いて見られなかったのだ。
リタはどんと胸を叩く。
「お安いご用! 生まれも育ちもクライン子爵領の、このリタがご案内いたしましょう!」
なおリタは、サニーに今後もお洗濯を手伝ってもらえるよう願い出た。アルバートの許可次第だが、やはりちゃっかりした人である。そんなところも面白く、好きだった。
◆
リタとサニーは、子爵領の農道を歩く。
すでに侍女服を脱いで、奥様お下がりの青いワンピースに着替えていた。そのせいか、世話好きのおばさまや農夫にどんどん話しかけられる。
『どこから来たの?』『学者さんなの?』――。
この村は、人口400人ほど。互いに知り合い同士のようなもので、歩くだけで領主の客人とわかってしまうのだ。ただしリタも慣れたもの、『お使いの途中』や『急いでいるので』と言って、興味本位の質問をあしらっていく。表情も口調も人によって変えるのだから、まったく大したものだった。
そんな道すがら、リタはさらりと告げる。
「特別なお方、というのは本当なのですねぇ」
首を傾げるサニー。
「特別……?」
「魔法って、普通は貴族しか使えませんしぃ。それも訓練しないなら、ちょっと風を起こしたり、小さな火ができるくらい。それでも、とびっきり才能がある方なんですからねぇ」
「わたし、なんとなく使えましたけど」
リタは固い笑みを浮かべた。
「そ、そんな簡単に使えたら、そこら中が魔法だらけですよぉ」
両手を広げるリタに、ますます首をひねる。
「でもわたし、アルバート様からも魔法はぜんぜん教わってないです」
「――ああ、慎重なのかもしれないですねぇ」
「どうして、ですか?」
「そりゃセシル様が」
会話が途切れたのは、馬車がすぐ横を通ったからだ。御者が軽く帽子を上げ目礼する。いつの間にか、サニー達は農道を抜けて中心部へさしかかっていたのだ。
「わあ……!」
来る度に、感嘆の声をあげてしまう。
目の前の光景を前世で例えるなら、おそらく『ロータリー』。
円形の道路が、行商の馬車や、彼ら目当ての呼び込みで賑わっている。外周沿いに宿屋や店が並ぶ、領地のメイン通りなのだ。美味しそうな匂いは、焼き物の屋台だろう。
真ん中には小さく芝生があり、看板が立っていた。前世の駅前ロータリーなら時計でも掲げられていただろうが、この領地では『天気』が示されている。今日は、晴れを表す太陽マーク。
「わぁ、賑やかですっ! 人が、こんなに……」
「こんなにって……せいぜい、2、30人ってとこですよぉ」
特に目立つのは行商人の馬車で、彼らは続々と山へ向かう。
(峠にいくのですね)
習った知識を思い出した。
子爵家は山脈越えの峠道、その手前にある。この山道は海と大陸中央を結ぶショートカット・コースであり、少なくない行商人が領地を訪れるのだ。
ただし山である以上、危険は存在する。
天候だ。
峠は長年整備され、避難用の山小屋まで置かれていた。だが危険が少ないとはいえ、濃霧や豪雨に襲われたら荷物を捨てることもある。
そのため領地は、村の中心部に予想天気を掲示していた。
ただし――
「天気予報、あんまり見られてないですね……」
みんな素通り、ほとんど風景の一部扱いだ。
理由はある。記録を見た限り、過去数年の的中率は62.2%。
雨予報をしていながら雨が降らなかった確率――これは『空振り率』という――は18.7%、雨を予想できなかった『見逃し率』も同じほど。現代の天気予報が、『空振り率』・『見逃し率』を両方足しても10%前後であることを考えれば、クライン子爵領の天気予報は頼りない(もちろんサニーが来てからは全的中だが)。
行商同士が看板に馬車を寄せる。
「今日は、晴れかぁ」
「どうする? ちと遅いが峠に入るか?」
「うーん、けっこう外れるしなぁ……」
「ていうか、これ根拠あんのかよ」
サニーは「むっ」と頬を膨らませるが、近寄ってあれこれ言うのはこらえた。
(根拠、ありますよっ!?)
こういう方々に説明するためにこそ、データが要る。
そのための百葉箱だ。たとえば気圧計、温度計、湿度計を広場に置けば、予報に説得力も出るだろう。
『晴れです』ではなく、『気圧が高いので晴れ』と言う。
『雨です』ではなく、『低気圧で湿度が高いので雨』と言う。
アルバートによれば、仮に『気圧』についての理論が浸透していなくても、誰でも見える計測器で、誠実に話すことにこそ意味がある。人を納得させる時の、信用のさせ方の問題なのだと。
ロータリーを巡りながら、サニーはふと思う。
(でも、今までも当たっている方かも……?)
そもそも『低気圧』を知らない人達なのだ。ある程度当てていること自体が、マメな観察の結果だろう。
特に1年前、アルバートが領地に戻ってきてから、的中率は上昇傾向。
若様は診療所や家庭教師、さらには領地の執務までやりながら、予報の精度まで上げている。十徳ナイフのように万能だ。
「? サニー様?」
「あっ、はい! 今、行きます」
歩みを止めていたらしい。
リタに追いつくと、予報看板の足元に碑文があるのに気づいた。
――『峠守り』の碑文
――我らはこの先人に誓って、クライン領の旅路に天候を掲示するものなり。
地元の伝承だろう。前世でも、地域ごとに人を祀ることがあった。
(……たとえば、ええと、お地蔵様?)
違うような、正しいような。
リタと一緒に看板を見上げる。
「天気予報、もっと広めないとですね」
「若様と一緒に根詰めちゃだめですよぉ? あの人、すぅぐ徹夜しちゃうんですから」
その後は、通り沿いの食品店や木彫りを売るお店を見て回った。
やがて村の境界となる川にたどり着く。用心のため橋は跳ね上げ式で、夜になったら通れなくしてしまうようだ。
その橋を、1台の馬車が渡ってくる。
(わ、重そう……)
大きな馬車を、馬2頭で引いていく。その周りを徒歩の子供がちょろちょろして、馬達を先導していた。
御者席の行商人もまた、とても大柄な男性。身長は2メートル近くあり、鉄板と丸太で作られたのかと思うほど。
不意に、ばきんと嫌な音。
馬車が左に傾いた。左後輪が外れ川で飛沫をあげる。傾いた車体も、荷物ごと後を追おうとする。
「車軸がっ」
サニーは駆け出し、馬車の後部に手を添えた。体が光って、ぐんと出力があがる。
「よい、しょお!」
「さ、サニー様!?」
暴れる馬に、ぎょっとする行商人。
サニーが前に叫ぶ。
「大丈夫ですか!?」
「き、ききき君が大丈夫かぁ!? そんなところにいたら、ケガするぞ!」
「いいから、進んでえっ」
外れた後輪に代わり、サニーが馬車を支える。いななく馬達を乗り手がなだめ、なんとか橋を渡りきった。
「よかった」
サニーが手を離すと、馬車はズウン!と音を立てて後ろに傾く。
「力学的に、この状態で馬車を動かすのは無理ですね。他の荷車をお借りするのがいいでしょう」
あんぐり口を開けていた巨体の行商人だが、すぐ馬車を降りる。サニーの前で帽子を取り、一礼した。
赤毛をなで、大きなとび色の目で微笑む。
「ありがとう、お嬢さん。たいへん驚いたが、今のはまさか魔法じゃ――」
リタが咳払いして割り込む。
「お久しぶりですぅ、素材屋さん」
「おお! リタ殿か」
サニーはきょとんとした。
「お知り合い、ですか?」
「若様のお取引相手です。錬金術の素材を色々と卸していらして……」
素材屋は、わざわざもう一度腰を折った。
「はじめまして、どうぞ『素材屋』とお呼び下さい。若様に、色々な材料を持ってきましてね。今回もお薬から、観測用の素材まで、なんでも仕入れてます」
心臓が高鳴る。
「わたし……若様の助手をしています、サニーです」
指を1つ立てた。
「暑さや湿気で状態が変わるような――温度計と湿度計の材料になりそうなものは、ありますか?」
ほう?と素材屋は面白そうに眉を上げた。
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