2-2:人工衛星、洗濯機になる
領主の館には、洗濯部屋があった。
床はタイル張り。まず目立つのは手押し式のポンプと、お湯を温めるための釜、そして管で結ばれた洗濯用の水槽。
サニーは汚れてもいい侍女服をリタに借り、そんな洗濯場に送られる。明るい金髪は、後頭部の高い所でぎゅっと結わった。
「お洗濯って、大仕事だったんですね……!」
温水用の釜には、すでに火が入っている。そのため湯気によるむわっとした湿気と、換気不足による煤臭さでサニーは少し咳をしてしまった。
「このお部屋がある分、ウチはかなり楽ですよぉ。普通の洗濯場は外ですから」
ちなみに、手押しポンプから洗濯槽の配置まで、設計は少年時代のアルバートがやったらしい。無駄のない設計に、きれいな配管の仕上げは、さすがである。
「ではぁ、リタの動きをよく見て下さい」
小柄なリタは、洗濯部屋をてきぱきと動く。耳を出すように結った茶髪が、頼もしく揺れた。どことなくナショナル・ジオグラフィックの広告にあった『リス』とその尻尾を思わせる。
まずリタは釜から温水を導き、幅1メートルほどの桶に注いだ。これが洗濯槽となる。
「こちらでゴシゴシ洗いますぅ。でぇ、ここに昨日から水につけてあった洗濯物を入れます」
壁際にはやや小型の木桶がいくつも並んでいた。中身はどれも洗濯物。命じられるまま、サニーは「よいしょ」と持ち上げる。
体が薄く光り、『身体強化』の魔法が働いた。
「――本当に、力持ちなんですねぇ」
確かに、重さおよそ15キロ。サニーでも腰と手に負荷を感じる。
「『身体強化』の魔法を使っているって、アルバート様仰ってました」
「なぁるほどぉ……」
太陽光を浴びている間は、この『身体強化』が切れることはない。日光で沸き上がるのは、やはりこの世界で言う魔法の力――『魔力』なのだろう。
(魔法って、まだよくわかりませんけど……今は『そういうもの』と考えるしかないですね)
物理法則に縛られないことが色々できるらしい。
が、検証はとりあえず後だ。
「では、その洗濯物を、洗濯槽に」
「はいっ」
「こっちも」
「はいはいっ」
あっという間に洗濯槽はいっぱいになった。ちなみに中身は、リタ達が着用しているような侍女や使用人の服ばかり。
サニーは桶に放り込まれた洗濯物を覗き込む。
「へぇ、こうやって洗うのですね」
「まだ水につけただけですよぉ?」
「若様達のものはないんですか?」
「――! 子爵様や奥様のを、お任せするわけないでしょ!?」
すごい剣幕で怒られてしまった。
「こほん。領主様のお洋服は、刺繍も細かくて、染めも上等です。洗い方からアイロンがけまで、色々な洗剤、薬液を使いますし、難しいのです。あと、お高いのでダメにされたら……弁償、大変ですよぉ?」
「わ、わかりました」
恐々と頷いたところで、ふと頬に指を当てる。
「……あれ、それなら、わたしの服も?」
サニーが借りている服は、子爵夫人のお下がりである。
「よくお気づきで」
知らないところで手間を増やしていたらしい。こういうところも、自分で仕事をしなければ気づかなかっただろう。
「ありがとうございます、リタさん」
「それがお仕事ですからお構いなく。さて!」
「やりましょう!」
「じゃ、リタの動きを見て下さいね」
リタは白く濁った液体を注ぐ。水面に灰じみたススが浮かんで、むしろ汚してしまいそうだったが、侍女に迷いはない。
「アルバート様が灰から作ってくださる洗剤です。石けんみたいに泡立つので、ここでも普通のお宅よりずうっと楽なんです」
なるほど、とサニーは思う。皮脂は酸性なので、アルカリ性の灰汁なら汚れが落ちるというわけだ。
「そして、かき混ぜます!」
リタは、小さな三脚に長い柄がついたような棒を洗濯槽に突っ込む。と、ぐいぐい動かし、激しくかき回し始めた。
サニーも同じ棒を使う。要は衣服同士をこすり合わせて、汚れを落とすのだ。
2人で、無言で、しばらくの間ごしごしごしごし……。
時折、棒同士がぶつかって甲高い音が鳴る。
じんわりと汗が浮かんだ。温水の釜にはまだ火があり、部屋を蒸し暑くさせている。
「そろそろ、いいでしょうか?」
「そうですねぇ。じゃ、次です」
リタが、木べらのお化けみたいな棒を取った。
「え」
ばしん、と洗濯物を叩く。
サニーがぎょっとする間にも、リタは数枚の洗濯物をまとめて石台に押しつけ、巨大木べらで打っていく。
(ええと、これは――洗濯叩き棒!)
叩くことで繊維の間に水を通して、きれいにする。前世でも昭和の半ばまで使われており、サニーのネット知識にもあった。
なるほど、領主らの衣服を別にするはずである。
「わ、わたしも!」
叩く音が2つになる。
中腰で濡れた衣服を桶から引っ張り出して、押さえながらバシン! バシン!
ようやく止む頃には、リタもサニーも汗びっしょり。目を回してしまいそうだ。
(お洗濯って、大変だ――!)
これだけでは終わらない。洗った洗濯物をローラーのついた機械で絞る。手でやるよりは楽だが、重労働には変わらない。
「サニー様。まだ始めたばかりですよぉ?」
「えっ」
壁際には、まだまだ桶に漬かった洗濯物があった。
侍女服もあるが、寝具やテーブルクロスといった大物、料理人のエプロン、泥だらけの作業着まで。油汚れに泥汚れ……いずれ劣らぬ強敵ばかり。
(せ、洗濯機、すごいです……!)
天気予報の前に、洗濯機を発明するべきかもしれない。気象衛星の矜持が疲労に負けかけた時、ふと気づく。
「ぐるぐる、渦巻き――」
渦巻くといえば、稼働期間中にたくさん見てきた、熱帯性低気圧だ。
「さぁ、次の桶にいきますよぉ!」
リタがふんと息をはいてから、残りの洗濯物を桶ごと持ち上げる。それらを洗濯槽に放り込み、釜から湯、そして洗剤を足した。
「ぐるぐる、渦巻き……」
「――サニー様? なんか、目が座ってますけど大丈夫ですかぁ?」
なんだか頭にイメージが浮かぶのだ。先ほどのかき回し棒を、お湯に差し入れる。
「リタさん、ちょっと失礼します」
頭に『渦』を浮かべて念じると、サニーの体が淡く光った。
リタがぎょっとする。
「えっ……」
光は棒を通じて水に宿ると、イメージ通りに水を動かし始めた。
洗濯槽で水は渦となり、衣服を洗い始める。仕組みは『洗濯機』と同じ。そして台風と同じ。
ぐるぐる水を回す遠心力で、槽の壁に洗濯物を押しつけるのだ。
――ゴゴゴゴゴ……。
リタの目が輝く。
「えええ!? す、すごっ! 水が渦巻いてますっ」
「や、やった……!」
「汚れ、落ちてく……?」
サニーも飛び跳ね、2人は空中で抱き合った。
「サニーさま、すごい、すごいです! これ、魔法ですよね!?」
「た、たぶん……」
疲労でぼうっとした頭で、浮かんだイメージをそのまま念じてみただけだ。
原理はアルバートに聞かないとわからないだろうけれど、これが魔法でなければなんだというのだ。
「もしかして、それで『すすぎ』も……」
「できます!」
「!!? きゃあーッ!」
さらにぎゅうっと抱きついてくるリタ。
洗濯槽の渦巻きは順調に汚れを落としていく。
渦の方向は右側――時計回りだ。
サニーは、ピンと閃いた。
「あ、そうか。北半球です!」
「すごい」「助かる」「毎回来て」とサニーを褒めまくってリタが、一瞬で硬直した。
「………………なんて?」
「ここ、たぶん北半球ですよ!」
サニーの前世、地球は自転していた。
地球の自転によって、地表を運動する物体には、一定方向の力がかかる。
遊園地の回転器具、メリーゴーランドの上でキャッチボールをする場合がわかりやすい。投げる人と受ける人の位置関係が変わらずとも、地面の方が動いているので、空中を進むボールは曲がったように見えるのだ。
見かけ上の力だが、これは『コリオリの力』と呼ばれる。
(渦、なんか自然と、時計周りになりました)
本来、洗濯槽くらいならコリオリ力は問題にならないが、やはり時計回りがやりやすく感じる。
これは――時計回りの渦を魔法で作ると、コリオリ力に従い、反時計回りだと、逆行するからではないか? 今度低気圧が来た時に風向きを読めば、もっとはっきりするだろう。
「北半球か南半球か、早めに確定しないといけないと思ってました。多分、北半球ですね」
『北半球か南半球か』は、風向き予測に重要となる。上空の風にはまさに『コリオリ力』が働くからだ。
「天気予報に、一歩前進です……!」
びしょびしょの姿で微笑むサニーに、リタは口をもごもごさせた。
「やっぱり、変な人……」
とはいえ、リタの仕事が楽になるのは変わらない。サニーは気づかなかったが、やがてリタはくすりと微笑んでいたのだった。
「もう――お天気のことばっかり」
お仕事に真面目な侍女は、お天気に真摯な少女を少しだけ認めた。
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