第2章:子爵領のお天気令嬢
2-1:クライン子爵領
朝が来た、と感じた。
人工衛星サニー、今は子爵家の客人となった彼女は、寝起きがよい。
賜ったばかりの手足が、頭の目覚めを待っていられないとばかりに、勢いよく毛布を跳ね飛ばす。窓辺に寄って木戸とカーテンを開けると、朝日が差し込んだ。
『太陽光発電』――太陽を浴びると、不思議な力が体に満ちるのを彼女は便宜的にそう呼んでいる――が働き、体に力が溢れていく。
金髪が日の出とともにきらめき、青の瞳には反対に瞼が下ろされる。サニーは朝一番の予報を始めた。
(強い高気圧が、山を越えてずっとせり出してきてます。下降流が雲を晴らして――)
うん、と頷いて目を開ける。
「今日は、晴れです」
窓の外にも雲1つなく、視程は文句なしに100だろう。お屋敷から見える山も、針葉樹の森も、消えゆく朝もやをうっすらとまとって、きらきらと輝いていた。
「きれい……」
なんでもない感想を、気軽に
続いて始まるのは、彼女が『起床処理ルーチン』と呼んでいるものだ。
(ええと――)
洗顔、整髪から始まり、軽めの体操、お湯での清拭、そして着替えで終わる5工程。
お湯は侍女らが起床時間に運んでくれる。
自分で考えた工程だが、これはおおむね正解だったらしい。リタからも『最低限のことはわかりそうですね』と胸をなでおろされている。
(リタさん、優しいんです)
面倒ごとの塊のような目で最初は見られた。
だが、子爵領にやってきてから、もう7日。暮らしにも大分慣れたと思う。
サニーは、鏡に青いワンピース姿を映した。瞳と同じ色の衣服は、子爵家の奥様ノーラ夫人のお下がりである。
――いいですか?
リタはつんとした顔で指を立てたものだ。
――若様がお認めになるほどの知識と予報がおありなら、私もお客様として接します。
――でも、ちょぉっとでも怪しいところを見せたら、すぐに子爵様にお伝えしますからね!
サニーは、そういうところも含めて、リタが好きだった。お役目に真摯な気がする。見た目の年齢が近いこともあって、仲良くしたいものだ。
部屋を出て、階段へ向かう。
広いお屋敷だが、地図も頭に入っていた。
ここ2階には領主の執務室のほか、夫妻の寝室、10才の四男セシルの部屋、あとは空き部屋と客間がいくつも。子爵家には、アルバートの上に息子が2人いて、今は馬車で半日ほどの距離にある都市で執務の修行をしているらしい。2階に妙に空き部屋が多いのは、住人の数が減ったからだろう。サニーは、日当たりのよい客間を借りていた。
ちなみに本が多い錬金術師アルバートは、書斎にも近い1階が私室である。
「おはようございますっ」
1階に降りると、子爵家の使用人にも挨拶した。
もし起き抜けの天気予報に前日夜との差異があった場合、ここで彼らに伝える。ただ幸い、今日は晴れ。数名はサニーに『何か』を告げようとしたが、それより彼女が食堂のドアを開ける方が早かった。
「お、おはようございます」
緊張気味に入室すると、早速いい匂いがした。
メイドの少女、リタが近寄ってくる。
「おはようございます、サニー様……失礼、頭に寝癖が」
「あ……」
調髪の品質を指摘され、いきなり頬が熱くなる。
(……なんで、人間にはこうも内面を明かす機能が多いのでしょうか……)
これは『恥ずかしい』という気持ち。人に、失敗や本心を知られたくない時の気持ちだ。
子爵家のご家族も、サニーに続いてやってくる。
「――」
10才の少年セシルが、ふわふわ犬と一緒に穏やかな笑顔で入ってきた。
「おはようございます、アルバート様」
「……あ、ああ。おはよう」
アルバートはすでに席におり、何かの設計図を食卓にまで持ち込んでいた。艶のある銀髪と怜悧な瞳が、朝の陽光を宿している。
「わたし、計算ならできますよ」
「む? それは助かるが……」
「はいはい、お仕事は後ですぅ!」
リタが後ろから手で図面を奪う。
「リタ、それは重要な……」
「お食事よりも大事なことはありません!」
雇い主が書類を人質に取られたところで、クライン子爵夫妻が入室する。
「みんな揃っているね、では食事を始めようか。全能神のご加護、そして山々に感謝を――」
――本来であれば。
ここは子爵家の食堂であり、サニーが毎日同席するのはかなりの厚遇だ。
けれども、サニーの身分は検討の末『アルバートが都から呼び出した秘蔵の助手』という扱いになっていた。初日、裸足で外を走っていった行いも、大雨の注意喚起に必死だったのだ、と解されている。
都から呼び出すほどの知識人、そして魔法の使い手であれば、普通は貴族。その場合は、子爵家で遇する方がむしろ自然だ。貴族でなくても、有用な知識人を領主が囲い込むことは珍しくない。
そもそもサニーを外で食事させたら、どんな非常識をやるかわからず一家もハラハラだろう。
そのため、子爵はサニーを食事に同席させることにした。もちろん『転移者』の人柄を見定めるという意味もあるだろう。
サニーも、自分の扱いに色々な計算があるのを察しつつあった。それは数値や関数では導けない、人だけに許された計算。
(お役に立ちたい……)
期待に応える意味でも、生まれてきたミッションを果たすためにも。
そしてそんな考え事は、いつも美味しい食事で中断される。
「! おいしいっ」
ライ麦パンと、塩気のある分厚いベーコン、甘辛い煮マメ、そしてたっぷりの卵料理。
味付けはシンプルで、ややしょっぱいが仕事への精がつく。
Wikipwdiaに載っている一般的な朝食よりかなり高カロリーだが、それだけ体力を使う時代なのだろう。
「さて、サニー。食事中にすまんが、今日の天気はどうかな?」
子爵に、サニーは口をふいて応えた。
「晴れです、子爵様。お洗濯日和です!」
「ふむ、そうか。そうなると、畑の種まきは続けるべきだし、峠道の通行許可も出すか……」
サニーは指を1つ立てる。
「山の上まで大陸の寒気がせり出しているので、気圧はしばらく安定するでしょう」
「ふむ、気圧……か」
ハロルド子爵は腕を組み、ヒゲをなでる。『気圧』という考え方が天気予報の鍵になることは、子爵も気づいていた。
「アルバート? 君も順調そうだな」
「ええ。気圧については推移を記録し、観測データとして整備を。サニーの力なら、3日くらい先まで予報を公開できるかもしれません」
子爵は息を呑む。
「それは……すごいな。ウチは行商の通り道だ、彼らは3日先の天気がわかったら、大喜びで仕入れを増やすぞ」
「サニーも、本当は、1週間後くらいまではやりたいのですけど――」
そこまでは、さすがに無理だ。
「今、サニーが天気図を見れる範囲は、南は海の先、北は山の向こう側までですから」
だいたい、半径300キロくらいである。
「これでは長期予報は難しいのです。低気圧は一日でとても長い距離を移動しますから」
太平洋を一望できるほどの範囲がなければ、地球のような長期予報は無理である。
足りないのは、とにかく気象データ。
遠い土地の観測結果も欲しいが、天気予報を信じてもらうのにもまずデータが必要である。それも、誰でも納得できる形のデータが。
「まずは、百葉箱を作ろうかと」
子爵夫妻は目を瞬かせる。
「ヒャクヨウバコ?」
「サニー……話しすぎだ」
「あっ」
「失礼、その話は長くなりますので」
子爵夫妻は顔を見あわせ、苦笑する。
セシルは、もぐもぐと美味しそうにパンを食べていた。
「アルバート、これは相当に捗っているな?」
「はい。知識が本物であるだけ、やや悔しくはありますが」
どこか自嘲気味に言うアルバート。
サニーも、技術者のことを思うと、飲み込んだお野菜が急に苦く感じた。
(――自分で、気づきたかったですよね?)
気象は、検証と失敗、そして発見の歴史だ。
サニー1を打ち上げたとき、技術者は快哉を叫んだという。この世界にも、気圧を見付けた時の歓声が、あったかもしれない。
「気にするな」
アルバートは錫製のカップを口に運んだ。
「技術者は、そんなに柔ではない。少なくとも私はな」
「え……」
「自分が追い求めていた研究成果が、他で見付かることもある」
眉間の皺が、少しだけ和らいだ。
「だが、錬金術師たちの努力が気象と関係なかったと決めつけるのも、早計だ。少なくとも私はまだ、魔法と気象の関係検証を、諦めない」
ぱちぱち、とセシルが拍手。若様がばつが悪そうに口元を歪めた。
「茶化すな。宿題を増やすぞ」
「――……」
子爵が難しい顔をして、指で口ヒゲをなでた。
「しかし……必ず当たる予報ともなると、いずれ他領地も秘訣を知りたがるかもしれんなぁ。手を考えておくべきか」
赤髪を揺らして、ノーラ夫人は笑う。
「いやだわ、あなた。助かる人が増えるのに、領主が心配なさるなんて」
「――ふ、そうだな」
「サニー、あなたは今日はどうするの?」
「わたしは、リタさんからお洗濯を勉強させていただこうかと思うのです」
壁際にいたリタが彫像のように固まった。子爵夫妻も目をまん丸にしてアルバートを見る。
「お、おせんたく?」
「あ、アルバート、あなたはいいの? そんなことさせて……」
「――止めたのですが」
整った顔をしかめ、アルバートはこめかみを揉んだ。
「私も今日は、診療や調薬がありますので、午前中は動けない」
「わたし、お時間があるなら、何でもお役に立ちたいのです」
「い、いや、しかしだな。洗濯? 君がか? リタはいいのかね?」
子爵は硬直しているリタを見やる。
「わたし……どうして晴れが嬉しいか、よく知りませんでした」
サニーは人を知る必要がある。
周波数を、人に合わせるのだ。
天気予報をしているなら、天気予報で助かる人も知っておきたい。
なら、洗濯物は? 洗濯物をすれば、晴れがどんなに助かるか、自分の体で知れるのでは? とはいえ……リタにとっては『お仕事』である。
「『人を知れ』って、アルバート様も仰いましたし。もちろん、ご迷惑でなければ……です」
壁に控えていたリタが、見開いた目の瞳だけ動かしてアルバートを見る。さすが、人間の光学センサは可動域が違う。
(それに神様も、『探すんだ』って言ってましたし)
手足があるのだ。
人としてできることでも、働きたい。
「……若様、初耳ですけどぉ」
「すまないな。本当はもう少し後に願い出るつもりだったが、今日は洗濯に来てくれる侍女が2人とも急用なのだろう? できない分は明日としても、人手はあった方がいいはずだ」
「うーん、それはまぁ……そうですけどぉ……」
リタは肩を落とし、サニーを見た。
「……きっと思ってらっしゃるより、お洗濯はすぅっごく大変ですよ?」
怪訝に思った。
(……え? お洗濯が、そんなに?)
事実、『洗濯機』がない時代の洗濯は、一日の大半を費やす重労働だったのだ。
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