1-8:ヘクトパスカル
翌朝、サニーはアルバート、そして義弟セシルと共に、山小屋の実験室に向かう。木漏れ日の坂道を3人で上った。
「山小屋に入ったら、ものにはあまり触れないように」
注意するアルバートに、サニーは顎を引く。
「大事にされているのですね」
「そうだが、危険だからだ。錬金術は魔法で炎も使うし、薬品も使う。菜園が必要という事情もあるが、そもそも危険だから、こうして屋敷と離している」
「――ああ、それで」
サニーが一歩踏み出すと、こつんと靴音。彼女は、メイドのリタらから、しっかりと靴を履かされていた。ちなみ外出用の服も急遽引っ張り出され、過ごしやすい季節に相応しい、薄いグリーンのワンピースを身につけている。お礼を言ったら、『二度と2階から出るな』と釘を刺されてしまったが。
気象から予想はしていたが、やはり材質は麻。
「……足は平気か?」
アルバートが足を止めて振り返った。歩き慣れているせいか、いつもの涼しげな顔で汗もかいていない。
「問題ありません」
昨日、坂道でどっと疲れた原因は、日陰に入った影響もあるが、そもそも転生してから飲まず食わずだったからだろう。
「辛くなったら無理せず言うように」
「はいっ」
元気いっぱいで返せるくらい、やる気だってみなぎっている。
(現在気圧――1013
昨日のうちに、サニーは一生懸命説明を考えてあった。自分の知識や、予報能力が有用であることは、昨日示せたと思う。
ミッションは半分成功だ。
ただし、アルバートは言った。
予報で人を動かすには、納得させることが大事だと。
(まずは、アルバート様に……理論を納得していただく)
天気予報には理屈があって、それはこの世界でも検証可能なことなのだと。予報を告げても、納得がなければ時に人は動かない。
サニーは、自分が試されていることも感じていた。
どれだけ有用か。ひいては、領地に置くべきかどうか――。
(これは性能試験、ですよね?)
3人で若様の実験室に入る。優しい木の香りと、薬品の臭いを一緒に感じた。
相変わらず雑然としつつも完璧に整理されている、不思議な空間である。
「これです」
サニーが指差したのは、木箱とガラス容器を組み合わせた器具。
「雨が降る理由は、この装置で説明できます」
ガラス容器は丸底フラスコに似て、1メートル弱のガラス管部分と(『首』と呼ばれる)、丸く膨らんだ球状部から成る。そして今は、長いガラス管の口を真下に、球状部が上に来る、垂直倒立の形になっていた。
フラスコには銀色の液体が入っているが、液面は丁度、球状部が始まるあたりで止まっている。つまり膨らみ部分が丸ごと隙間になっている形だった。
下に目を落とすと、フラスコの口は大きな木箱に繋がっている。
「箱の蓋を取っていただいても?」
「う、うむ」
アルバートが木製の外蓋と、革製の中蓋を取る。
箱は辺が30センチほどの正方形で、この内側にも銀色の液体が満たされていた。
構造としては、なんら難しくない。
この水槽とフラスコ、両方に液を満たしてから、空気が入らないようにフラスコをうまく倒立させたのだろう。
水槽に薄く張られた液面が、地上1メートル弱の液柱を支える、不思議な構図。
前世の、カップとペットボトルでも、同じことが起こる。ペットボトルの口が液面から離れさえしなければ、たとえ空中に倒立させても中身に水は詰まったままなのだ。この場合、カップ側の水はほんのわずかでいい。ボトルの口がカップの液面から離れない限り、水は落ちてこない。
「ワカサ……アルバート様、これは本来はどういった器具でしょう?」
「魔力計だ」
「マリョク……」
この世界には、『魔法』というものがあるらしい。
サニーには、知らないものだ。
「この容器に入っているのは、魔導銀だ。私が錬金術で生み出した、魔力観測用の液体金属。性質は水銀にかなり似ているが、安全のため毒性は排除してある」
「魔導銀……」
サニーは思う。
この世界には『魔法』というものがあり、サニーの知識にはない現象を起こす。
でも、有用な性質をたくさん持ちつつ、水銀は有毒――劇物なのだ。錬金術という魔法で、それの無毒な代替物を作るなんて。
(……この人、ちょっとスゴイのでは?)
尊敬の眼差しを向けても、アルバートは怪訝そうにするばかり。義弟のセシルの方がなぜか得意げである。
「――」
「あ、そうですね! 説明ですね!」
忘れるところだった。
なお本来の用途では、倒立したフラスコの球状部分に、周辺で急増した魔力の色が映るらしい。ネオンのような原理だろうか。
「アルバート様は、この器具を精巧に作りました。ガラス容器に歪みはありませんし、完全に密封されています。水槽にも漏れはなく、魔導銀も、サニーの世界――前世での『水銀』と物理的にはほぼ同じ性質でしょう」
一番重要なのは、魔導銀の比重だ。
水と比べて、その物体がどれほど重いか。
アルバートが錬金術で作り、器具にこめたこの液体は、水銀と同じ13.6の比重らしい。水と比べて13.6倍も重いということだ。
(やっぱり……!)
サニーは液面の高さを計る。天気図を見る時と同じように、集中すると視界にうっすらと計測目盛が浮かんだ。
測定を終え力強く頷き、青い目を輝かせる。
「アルバート様がしっかりとお作りになったので、この子はしっかりと働いています!」
「働く? これがだと?」
アルバートは苦笑し、銀髪をくしゃりと掴んだ。
「……失敗作なのだよ。本来なら、雨が降れば水の魔力が空気中に増え、フラスコが青色に光ったはず。いずれは空気中の魔力量と、気象との関係を精緻に記録しようと思ったのだが……」
魔法の原理はまだよくわからない。
これもおいおい、勉強しなければならないだろう。
(やっぱり、人間、楽しい……!)
できること、増やせるから。
サニーはアルバートに笑いかけた。
「でもこの子、機械的には完璧なんです」
「これが……?」
「はい。アルバート様は、魔力の計測を望んだかも知れませんが……密封が完璧なので別のものを測っています」
サニーは指を立てた。
「大気圧です」
ガラスの密閉容器に納められた水銀柱の高さで気圧を測定するのは、17世紀に発明されたもっとも原始的な気圧計。
大地の上に存在する巨大な流体――『大気』が地面を押す力を計測する器具である。
「……タイキアツ?」
ぽかんと口を開けるアルバートに、サニーは液面の高さを指差した。
「今の液面の高さを記録しておきましょう。低気圧がここに移動してきたら、液面は下がっているはずですから」
頭に浮かぶ天気図では、午後に10
大気圧が下がれば、おそらく1センチほど銀色の液柱は下がるはずだった。
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