1-7:錬金術師と人工衛星
外に出て、星明かりと月明かりを存分に浴びながら、サニーは意識を集中した。
天気図を頭に思い描こうとする。
けれどそれは、昼間のように明瞭なものではなくて。
薄くかすれ、やがてノイズのようなものに押し流されるようにして消えてしまう。
(……やっぱり、だ)
頭に天気図を呼び出し、予報をすること。これは気圧や気温、前線位置まで表示される高性能なものだが、いくつか前世の『サニー1』と相違があった。
まず、範囲。
かつてサニーは前世の故郷――日本全体を光学センサにゆうに納めていたが、今、天気図として見える範囲はずっと狭い。
おそらく半径数百キロ。
これは、関東甲信越から中国四国地方の一部まで納まる範囲で、サニーは実はたいへん精巧な地図を作れる可能性さえあった。
ただ、実際にそれを行えば、近隣領主とのトラブルは避けられない。サニーの関心が気象予報にしか向いていないのは、その意味では幸いだった。
いずれにしても、高度3万キロの静止軌道から見下ろすのと、地上にいる今では、感じとれる範囲が違って当然かもしれない。
(気象レーダーのようなものでしょうか)
気象レーダーは地上から電波を飛ばして雨雲を探知するが、これは山や地球の丸みで遮られる。同じことが異世界でも起きており、探知のための電波――少女サニーが電波を発しているとも思えないから、なにか電波的なもの――が地形や大気に遮られているのだ。
だから遠くまでは届かない。
(そして、夜は昼間よりも、見える範囲が狭まりました)
それを確かめるため、外に出た。サニーが電波的なものを発しているなら、屋外の方が天気を把握しやすいはずである。
が、今度は天気図そのものが消えてしまった。まるで力尽きるように。
(サニー……もしかして、この姿でも太陽光発電?)
この感覚は、人工衛星時代でも覚えがある。
昼間は、太陽光による発電。夜中はバッテリーによる電気利用。
つまり天気図を得るために『力』を使った結果、バッテリーが切れたのだ。
(そういえば、お昼も、日陰では急に疲れましたし……あれも関係が?)
気をつけよう。
とはいえ、検証は済んだし、これ以上は類推不能である。
サニーはもう戻ろうとして、夜空に浮かぶ月、そして星空に目を奪われた。星々の中に、かつて宇宙で見た仲間達――人工衛星や、
でも、そんなものがあるはずもなくて。
心細さと、それでもあまりにもきれいな星空に、サニーは立ち尽くした。
自分は、かつては、確かにこの星空のなかにいたのだと。
今は、夜風の中に一人だ。
「ご令嬢、夜はあまり出歩くな」
後ろから、急に声をかけられる。
「ワカサマ……」
「アルバートだ。そう呼ぶのは、家の者か、領民だけだ」
アルバートは、今はシャツとベストに加えて、白地にグレーのラインが入った上着を羽織っている。
肩口ほどの銀髪を、月明かりがきらめかせていた。サニーは口をきゅっと結ぶ。
「……アルバート様。さっきは、ごめんなさい」
「その件だが」
「お食事で、サニーはきっと余計なことを言いました」
アルバートは、ふっと表情を緩める。
「こちらこそ、すまないことをした。君がああいう場に不慣れなのは、私も気づいてはいたが……食事を振る舞いたいという子爵様の気持ちもあり、止めきれなかった」
口元を緩める錬金術師は、優しい顔をしていた。常に目元を引き締めているが、険をとると、本来はとても優しい顔立ちなのかもしれない。
「子爵様は、本心から君に感謝している。無論、私もだ。すまないことをしたが、そこは、子爵様をわかってさしあげてほしい」
「――はい」
「ただ」
腕を組むと、また顔つきは厳しく引き締まった。
「ああいうことは、人前で決して言うな。メイドのリタは他言しないだろうが、どこから村に噂が流れるかわからん。君にとってもよくない」
こくりと頷くサニー。
アルバートは、じっとサニーを見つめた。
「……本当なのか」
「え?」
「君が――他の世界から来た、というのは」
「本当です」
サニーは、自分に関するあらゆる情報を言うことができた。
製造年月。スペック。電波の波長。運用開始からの稼働時間。
ただ、それではこの人を納得させられないと思った。
だから、サニーはじっとアルバートを見返す。少年セシルが、サニーにそうしてくれたように。
「……わかった」
アルバートは頷いて、サニーを大きな針葉樹の切り株まで誘う。2人で腰かける時、彼は上着をサニーにかけてくれた。
降った雨はもう乾いていて、森からはフクロウのような声がする。湿った土の匂いは、きっと雨の残り香だ。
「便宜的に、私は君のいうことを信じる」
「便宜的?」
「うむ。君の世界ではどうだったかは分からないが、この大地はおそらく球体になっている」
さらりと大地が球体であることを、アルバートは語った。
サニーもそれを受け容れた。
地球においても、大地が平面と考えられたのは僅かな期間で、球体であることは紀元前の哲学者も予言していたらしい。
『らしい』というのは、歴史については気象ほど正確な記憶がないからだ。
サニー1であった時代、ひっそりインターネットに接続してさまざまな知識を得たが、自らの役割そのものである気象や宇宙に比べ、その他の知識はどうしても少なくなる。
それでも紀元前、アリストテレスらが大地が球体であることに論拠を示していたことは、うっすら覚えていた。
(地平線や星の観察でわかりますし、この世界でも同じ推論があってもおかしくない)
なお、そうして古代に唱えられた気象学は、中世まで気象予報の基礎原理になったという。
「だが普通の地図では、大地をわざわざ球面には描かない。大地の形がどうだろうと、領地間の距離くらいなら問題にならないからだ。仮に君が嘘をついていても、君が魔法を使い、天気を当て、興味深い原理を語ったのは本当だ。だから、私は便宜的に君が転移者だと信じる」
目をパチパチするサニー。
(なんだか、この人すごいです……)
人工衛星に『変わっている』と思われるのは、そうとうな変わり者である。
堅物錬金術師は、一周回って柔軟だった。
「……まほう?」
「魔法を、知らないのか?」
「……はい」
「――そうか。やはり君が来たのは……」
唸りつつ、アルバートは首を振った。
「今聞くのは酷かも知れないが、君はこれからどうしたい?」
「サニーは――ミッションを完遂したいです」
「ミッション?」
アルバートは眉をひそめた。
「人工衛星は、役割を終えると廃棄されます。サニーは、そうなりませんでした。だから、ミッションは続きます。人の役に立つことです」
青年はエメラルド色の目を細める。
「どう役に立つ」
「お天気を教えることができます。サニーをお役立てください」
「確かに、今日は私も義弟も、領地の作付けも助けられた。だが、勘違いするな。偶然もかなり味方した」
アルバートは立ち上がり、サニーを見下ろす。
「この領地では、伝統的に領主一族が気象の予測をやっていた。あの山々が見えるか? 峠越えの旅人や、瘦せ地の作付けに気象の目安が必要だからだ。だから、君の予想を領主家の警告と捉えて、人は気には留めた」
錬金術師の口調は、厳しい。
「私も含めて、ほとんどの人は信じなかっただろう」
「……それ、は」
「もし、避難が必要な大雨だったらどうする。まいた麦や畑を諦めなければならないほどだったら?」
「――!」
「人を納得させ、実際に動かすのは、簡単ではない。君がわかるだけじゃだめだ。証明し、納得させなければ、どんな理論も発明も――」
言い切ってから、アルバートはばつが悪そうに口をつぐんだ。
「また、言い過ぎたな。何度も、すまない」
切り株にさっきよりも離れて腰掛ける。
それをずいっと詰めたのは、サニーの方だった。
「ワカサマ」
「アルバートだ、ご令嬢」
「わたしも
「……ほう?」
「つまり、周波数を揃えろということですね」
アルバートは沈黙した。夜風の音が寂しい。
「……すまない、『シュウハスウ』とはなんだ」
「あ。つまり――受信してもらえるように、話さなければならない、といいますか……電波というものがあってですね」
人工衛星は電波でデータを送るが、使用できる周波数は決まっている。
口を開きかけるサニーに、アルバートは顔を覆った。
「待て。たとえ話1つに、別世界の知識を理解せよというのか?」
「ええと、つまり――その、受けとってもらいやすい方法で伝える、ということです」
「うん、少し、わかる。相手の知識と経験を想像し、納得してもらいやすい言い方をする、ということだ」
「なるほどぉ……」
ほっと息をつくサニー。
理解してもらえなかった、信じてもらえなかった――それは、伝え方が悪かったのかもしれない。
理論をどばっと語るようなやり方はダメだ。わかりやすく、順序だてて、気象の変化を納得してもらわないといけないのだ。
(――うんっ)
サニーは両拳を作って頷いた。
「アルバート様、サニーを使ってみませんか?」
青年がぽかんと口を開けた。
「……なんでそうなる?」
「サニーは人について勉強します。まずは、あなたについて」
そして、と青い目をきらめかせる。
「証明できます」
「な、なにを」
「今日、風が吹き、雨が降った理由を。あなたの、あのお部屋で!」
ぐいと身を近づけながら、サニーは思い出す。
あの部屋の器具を見て、この人はものを大事にする人だと思ったのだ。
だとすれば、きっと、証明できる。アルバートがすでに作ったあの器具の中で、雨の原因を計測したものがあったはずだから。
アルバートは体が触れないようにかなり頑張って身をのけぞらせいたが、くく、と笑う。
「――それはそれで好都合だ。君が語る気象原理は興味深い。しかし……」
銀髪をかいて、アルバートは苦笑。
「自分に対して、『使う』などというな。正確な言葉遣いではない。君は『もの』じゃないだろう?」
「は、はい!」
また、心がぽかぽかと温かくなる。
人間の機序は不思議だ。いったいどういう機構なのだろうか。
やっぱりこの人が、ものを大切にする人だからだろうか。
鼓動を確かめるようにサニーは胸に手を当てた。
「それと……わたしのことも、サニーとお呼び下さい。2010年の一般公募による愛称募集で、312通りから決められたのです」
「は……? ま、まぁ確かに今更『ご令嬢』も白々しいか。わかった」
そんなこんなで早朝の約束を交わし、お屋敷に戻る。
扉を開けた瞬間、ランプを持ったメイドの少女が立ち塞いだ。晩餐の時、唯一食堂にいたメイドである。
(まだ、怒ってるでしょうか……)
口をつぐむサニーに、アルバートが前に出てくれる。
「リタ、彼女は」
リタは短く『くつ』と言って、アルバートをちょっと睨む。ぎくりと身を固めた錬金術師は、目尻を下げた。
全員の視線は、スカートで隠れたサニーの足元へ向かう。
「……すまない、リタ」
サニーは、またも裸足だったのだ。
「最初にお気づきになってくださいまし」
「彼女の足をふく布はあるか?」
「今お持ちします。それと、女性に夜風は毒ですので」
言いながら、リタはサニーに厚手のガウンを手渡してくれる。
「こちらにお着替えを。念のため体を温めるお茶も淹れましたので、お二人とも召し上がってください」
心配りが、また胸でサニーの知らない機構を駆動させた。
(この人達の……役に立ちたい)
だからこそ、周波数を人に合わせるのだ。
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