1-6:転移者

 その夜、サニーは目覚めた部屋に戻され、独りでため息をついていた。ベッドに腰かけ、足をぶらぶらさせる。


(お食事もおしゃべりも、難しいです……)


 食事会は、どことなく白けた空気で終わってしまった。

 さすがのサニーにも、自分が失敗したのはわかる。

 出自を――宇宙に浮かぶ人工衛星だったこと、別の世界から肉体をもらって転生してきたことを話すと、子爵夫妻はたいへん困惑したように食事をとめてしまった。

 若様、アルバートも整った横顔を戸惑わせる。メイドの少女に至ってはあからさまに顔を引きつらせた。

 弟セシルが席を立って、サニーに近寄り、そっと手を握る。

 あの子が緩く首を振らなかったら、サニーはさらに話を続けていただろう。


(失敗、ですね……)


 さすがに、自分に起きた転生が普通でないのはわかる。

 でも隠したとして、どうなるだろう。

 嘘をつくべきだったのかもしれない。でもつくべき嘘も、サニーにはわからない。そもそも、人に嘘をつきたくない。

 胸のもやもやは、ため息となって唇の隙間から滑り落ちた。

 しんと静まり返った部屋は、さっきの食堂とは大違いである。

 一番の後悔は、子爵達の食事を台無しにしてしまったことだ。家族同士の連絡だってきっとあっただろうに。

 サニーが異質なことを言ったせいで、エラーにより処理実行が止まるように、和やかだった食事は止まってしまった。

 申し訳なく思う。あんなに美味しい食事、きっと作った人も大変だっただろう。

 残されたお肉や野菜にも、謝りたい気持ちだ。


「はぁ……」


 ベッドから立ち、窓辺へ向かう。

 山々と満天の星が見えた。地上から見る星空は、サニーにとって初めてである。


「人間、楽しいけど――難しいです」


 ミッション、できるのだろうか。それ以前に、見付かるのだろうか。

 明日の天気はわかるのに、人間のことは何もわからない。



     ◆



 ――同じ頃。

 子爵令息アルバートもまた、義父の執務室に呼び出されていた。

 ハロルド・クライン子爵は椅子に深く腰掛けながら、目元をもむ。魔法仕掛けのランプが、顔に深い影を作っていた。


「アルバート、君の態度の理由がわかったよ。夕食に彼女を招こうとした時、かなり渋っていたね?」

「はい、義父上ちちうえ


 一礼するアルバートに、子爵は苦い顔で口ヒゲをなでた。


「恩に報いるつもりだったが、ご令嬢にかえって悪いことをしてしまったな」

「責任は私にも。明日、私から改めて彼女に詫びます。大勢と会って驚かせたこともきっとありますでしょうから」

「……頼む。それと、だが」


 子爵は苦笑する。


「……今、僕と君の2人だけだし、錬金術師としての勤務時間でもないだろう。もっと肩の力を抜いてくれないかな」

「――わかりました」


 アルバートはいくらか表情を緩めたが、生真面目な口元に、まっすぐな目は変わらないままだった。

 子爵は少し残念そうに笑うが、この距離感はアルバートにとって譲れないもの。

 クライン子爵家には、アルバートの上に2人の兄もいる。今は都に修行に出ている、子爵の実子だ。子爵家の財産相続に自分が関われると思っていないし、関わるべきでもない。

 しかし、万が一、家になにかがあったときは、家を継ぐのはアルバートではなく、3人目の実子セシルであるべきだ。

 そう考え、アルバートは義理の息子として、常に子爵本人や実子を立て一線を引いている。


「しかし、正体は不明のままか」

「私は、昼間のサニーをみています。確かに天気を当てたのも驚くべきことですが、彼女は薄く魔力さえまとっていました」


 頷く子爵。


「魔力は、血筋によって伝わるもの。だから僕は、記憶が混乱していても、彼女は貴族のご息女かと思ったのだが……」

「今日の反応を見る限り、その可能性は低そうですね」


 なにせ、ナイフとフォークの使い方を知らなかった。

 服の脱ぎ方を知らなかったというメイドの報告から、嫌な予感がしていたが。


「ただ、彼女は2階から飛び降り、何事もなく歩き去ったとメイドから聞いています。私も、弟と犬を増水する沢から助けたのを見ましたが――あれは高い魔力を体にまとわせる『身体強化』です」

「……高度な魔法と聞くな」

「私がいた都でも、数えるほどしか見たことがありません。才能が要ります」

「ふむ……」


 子爵は唸りながら腕を組む。


「――やはり記憶を失った貴族、だろうか?」

義父上ちちうえ


 確かに、そのような雰囲気はあった。

 きらめく金髪も、ふと口を閉じたときの目を引く美しさも、サニーには備わっている。空のように青い瞳を、アルバートは首を振って思考から追い出した。


「ないでしょう」

「うむ。確かに、な」


 サニーは、あまりに無邪気すぎる。

 記憶を失ったというよりも、まるで最初から何も知らないかのようなのだ。


(では何者なのか?)


 貴族のように魔法を使うのに、貴族とは思えない振る舞い。

 天気について語るときの、淀みない口ぶりと自信。


 ――宇宙から来ました。


(宇宙?)


 窓から見える、満天の星空。

 サニーによれば、こんな夜空でも、明日は雨だ。


「とはいえ、本人が言っていたことはにわかには信じられませんが」


 別の世界から、『ジンコウエイセイ』なる機材が、人間になってやってきた?

 ばかげている。


(しかし……)


 胸がうずいた。

 サニーは予報の理由を、山小屋でアルバートに語っている。

 『気圧』『潜熱』『気化熱』、どれも聞いたことがない。ただ、直感が告げている。

 

 ――合ってるんじゃないか?


 彼女はアルバートが知らない原理を知っている。

 21才で、世界最高の学問機関『王立学会』に属していたアルバートをさえ唸らせる理屈を彼女は持っていた。

 冗談、あるいは当てずっぽうにしては、あまりに気象と整合する。


「転移者、か」


 子爵が額に指を当て、アルバートを見やった。


「どう思う?」

「……あれは、おとぎ話では」

「この国の正史にも記録されていることだよ。およそ150年前、異世界からやってきたという少女が、この国にさまざまな技術を持ち込んだ。製紙技術や、農法の発展」

「救国の聖女ですね」


 聖女、聖人という言葉は、教会によって便利に使われていた。

 他にも政治的に成功した者、傷を癒す魔法を使う者にも『聖女』『聖人』という言葉は贈られる。


「天気を当てた聖女、聖人もいたそうですが……」

「そちらは今となってはマユツバだが、救国の聖女はあくまで正史だよ。当時も、農業は魔法の道具による開墾頼りだった。しかしそこに、聖女は作物を植え替えや、放牧を組み合わせ、効率よく収穫する方法を持ち込んだ。才能は他にもあったが……あらゆる働きは聖女の名にふさわしいものだったらしい」


 ふと、アルバートは思う。

 聖女がやってきた異世界は、魔法がない世界なのかもしれない。

 魔法がない世界では、畑の拡張も大変だし、魔法による資材の精製もできない。

 同じ世界が創意工夫を積み重ね、魔法によらない気象解析や、空高くに打ち上がる機材を発明した――そう考えるのは、妄想だろうか。


(いずれにせよ、まだ結論の出ないことだ)


 ただ、懸念はある。


義父上ちちうえ、『転移者』は王国へ報告する義務があったはずです」


 おとぎ話のような存在とはいえ、正史に記されている以上、子爵家としても対応を決めねばならない。


「アルバート。救国の聖女、その転移者がどうなったか知っているかね?」

「……あまりよい結末だった、とは」

「身を守る術もなく、ただ知識がある存在というのは、時に不幸だ。知っていることを全て話した後は、他国に秘密が漏れないよう自由を奪われ、ほとんど軟禁だったそうだよ」


 聖女と呼ばれた少女は、墓に『恩知らず』と刻ませたという。

 その人が幸福になることと、周りが幸福になることは、また違う話なのだ。

 ハロルド・クライン子爵は、椅子に座ったまま大げさに首を振る。


「ああ、どこかにいないかな? 彼女の知恵を引き出し正体を探りつつ、この世界のことを教えてやれる有能な若者は」

「――ご指示をいただければ、いかようにも仕事をしますが」

「アルバート、僕は君の考えも聞きたいのだ」


 目を細める子爵に、アルバートは見透かされていると気づく。


(確かに私にとって、利用価値がある存在だ。それだけじゃなく……いや、私は何を期待して……)


 視線から逃げるように、窓を見やる。

 そして、硬直した。


「失礼。外しますっ」

「アルバート?」

「サニーが外に出ている。連れ戻しますっ!」


 まったく体を冷やすのは毒だというのに。

 文句を言いながら足早に去って行くアルバートに、子爵はヒゲをなでる。


「……ふむ。この山間の土地に、天気を当てる少女、か。神々はとんだ贈り物をくださったな」


 こんな夜でも、星々は美しい。


「ま、なんとかなるだろ」

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