1-5:子爵家の人々
サニーは思った。
(人間の体って、不思議だ……)
食堂の長テーブルに、さまざまな料理が載っている。牛肉のワイン煮込み、ナッツと共に焼き上げられた川魚。お皿には白パンが盛られ、野菜がどっさりと入ったスープが湯気を出している。
豪華な晩餐。食欲をそそる素晴らしい香りに、ごくっと喉が動き、胃袋が緊急警報を鳴らしそうだ。
空腹。
車にはガソリン、パソコンには電気、人工衛星には太陽光――そして人間には食事。
人目がなければ、両手でパンを掴んで口に運んでいただろう。だが隣席の若様アルバート、そしてその傍らのメイドがじっとサニーを見つめていた。
それは犬に『待て』を命じる視線だった。さらに『館の主が食べるまで手をつけるな』とあらかじめ命じられてもいる。
「わんっ」
床ではふわふわの大型犬が、サニーへ見せつけるように『待て』をしていた。
Wikipediaにも、さすがに空腹を我慢する方法までは載ってない。
(あああ、人間には、バッテリーはないのでしょうか……)
確か、栄養を貯蔵しておく器官はあったはずだが、この分だと性能には期待できない。
初めての食事への好奇心、そして純粋な空腹で、サニーは目をキラキラさせていた。
なお今は就寝用の薄着にガウンを羽織り、履物も揃えられている。倒れたところを発見されたとあって、病人として装いは簡素に配慮されていた。
とすれば今のサニーの食欲は、家主にとって快復の証拠と映るらしい。
「どうか、遠慮をなさらないで」
長テーブルの向こう側で、紳士が穏やかに笑う。
年は40才ほどだろう。
少しくすんだ銀髪。口元には、同じ色のヒゲをたくわえている。目元は優しげだが肩幅はがっしりしていて、『偉い人』の風格があった。
「あなたは、大雨を予測し、うちのセシルを危ないところから救ってくれたとか」
若様を挟んで1つ向こうに、少年セシルが座っていた。
10才くらいの彼も、しっかりと食事を待っている。
「さ、サニーは、当たり前のことをしただけです」
「謙遜なさるな。農夫達も喜んでいた。君が大雨を道々で知らせた結果、念のため麦をまく数をみんな抑えていたんだ。急な大雨だが――ダメになる麦は少なくて済みそうだ」
そうなのだ。
サニーが道々で雨の到来を知らせたことで、農夫達も少し警戒をしたらしい。
一年の収穫を決める種まきだ。不穏なことを言われたので、みんな口ではあしらいつつも気にかけたのだろう。
「この食事は、お礼でもあるのです。あなたのおかげです、ありがとう」
微笑む紳士こそ、領地を治めるクライン子爵。
子爵はサニーを一家の夕食に招いてくれたのだ。食卓には領主夫妻のほか、アルバート、そしてセシルがついている。
ぽかぽか温かくなる胸元に、手を当てた。
(お役に立てた……)
子爵夫人が、ワインのような赤髪をおさえて問う。
「あなた、錬金術師さん? お天気がわかるの?」
「もちろんです」
頷いたその時だけは、空腹をさっぱり忘れた。
「温帯低気圧は離れていきますが、温かく湿った空気はしばらく残り、前線は山沿いで停滞するでしょう。2、3日は降ったり止んだり、安定しない天気です」
ふむ、と子爵は唸った。
「それが事実なら、やはり今日まいた種は無駄になるかもしれんな」
農業気象の知識によれば、麦の発芽温度はおよそ20度。冷たい雨で低温が長引けば、麦は無駄になる。
「4日目以降は、晴れ間も出るでしょう」
目を閉じると、頭に天気図が広がった。
子爵領を中心とした広範囲が、まるで衛星赤外画像のように捉えられている。そこに気圧配置、前線位置まで記されていた。
いわゆる実況天気図である。
人類がこの種の天気図を描けるようになるのは、中世よりももっとずっと後の時代。異世界では、そもそも存在自体が、想像さえされていないだろう。
「……この大陸には高気圧も見えます。もし例年この時期が安定した気候なら、乾燥した寒気団がじきに雲を晴らすでしょう」
子爵と夫人が、意味ありげにアルバートへ目を向ける。
「……彼女のいうことは、私にはわかりません。ふがいない限りです」
「気にするな。天気が難しいのは当然だし、君はむしろよくやってる」
アルバートは子爵の労いに目礼すると、席を立ってサニーへ向いた。優雅に胸に手を当てる。
「サニー殿。改めて、私から礼をしたい。あなたには弟を助けられ、村の収穫も助けられた」
わんと犬が吠える中、サニーも慌てて立ち上がる。
「わたしは、ミッションを果たしただけです!」
「……ミッション?」
「はい、サニーをお使いください」
目をパチパチするアルバート。
子爵が頬を緩め、ナフキンを取る。
「ご令嬢のお話も気になるが、まずは食事もとろう。全能神のご加護に」
子爵家が手を組んで目を閉じる。意図が分からず、サニーだけが取り残された。
(……え? なに、これ?)
フリーズするサニーに、若様が目配せ。
――合わせろ。
弟もこくりと頷く。
サニーは慌てて倣った。もっとも片目だけは開けて、アルバート達をうかがってはいたが。
子爵が不思議な言葉を唱えている。
「今日の糧に、明日の糧に。すべての恵みに感謝を」
食事が始まった。
そこからが大変だった。
器用にナイフとフォークを使いこなし、子爵家のみなさまは食事に進む。優雅な晩餐から、サニーはまたも取り残された。
(え、ええと)
ナイフとフォークを使っての食事――Wikipediaでの予習もあって、さすがに食器の用途はわかる。わかるのだ。
問題は、体が動かないこと。当然だ。やったことがないのだから。
なんだか不安な気持ちだ。一人だけ型落ちになった気分だ。
衛星軌道を回っていた時は、こんなことはなかったのに。
「おや、サニー殿……?」
「
アルバートが言った。
「ご令嬢は、記憶が混乱しています。マナーについては、どうかご勘如を」
「……! ああ、これはすまない。サニー殿、何も気にせずに、領地の産物を楽しんでくれ」
わんっと声がしてみると、もふもふの犬が餌で口の周りをくわんくわんにしていた。
幼いセシルも頬にスープをつけていて、メイドがそれを拭いてやる。
「こちらの手元を見ろ、ご令嬢。かくいう私も、昔はうまくなかった」
アルバートの手元をみて、こくんと頷いた。
(……ご、ゴレイジョウ?)
ちょっと呼び名が気にかかる。が、それよりもアルバートの動きを見て覚える方が忙しい。
子爵夫妻は、そんな2人を興味深そうに見つめる。
「――よし! で、では、いただきます」
「む?」
「はは、不思議な挨拶だな」
不思議がるアルバートと子爵をよそに、サニーはぶすっと肉にフォークを刺す。さらにナイフでギコギコ切った。
メイドが額に手を当て、子爵夫人が目を丸くしたが、若様は苦笑しただけだった。
サニーなりに真剣なのである。
「――え?」
一切れ口に運んで、サニーは止まる。
じゅわっとした肉汁が口に広がり、喉が勝手に動く。少し間を置いてソースの香り。
「……味」
「うん?」
「これが、味……!」
涙が出そうなほど美味しかった。
「しょっぱくて美味しいです……」
ソースでたっぷり味付けされた牛肉に、ハーブで香りづけされほろほろと崩れるような川魚、そして新鮮なお野菜。
どれも本当に美味しい。
顔をべしょべしょにしながら食べる。
「そ、それはよかった」
子爵夫妻は顔を見あわせる。
一方で、アルバートは「ほれ見たことか」という表情で、夫妻を見ていた。実はサニーを食卓に招くかどうかで、彼らの間にはちょっとしたやりとりがあったのである。
もちろん、サニーは初の食事に夢中でそんなことに気づかないが。
子爵がおずおずと咳払いする。
「あ、ああ。うむ」
メイド、そして夫人の目線に、明らかに促されていた。
「それで、その……あなたにお伺いしなければならない」
「! なんでしょう」
「あなたは、どこから来たのですか? どうも記憶が混乱している様子とは聞いていますし、領地のことにも感謝をしています。しかし」
子爵は居ずまいを正し、真剣な目をした。
「小川に倒れていたというあなたの素性を、確かめておきたいのだ」
サニーは頬にソースをつけたまま首肯した。
「は、はい、サニーは……」
身を乗り出すアルバート。
「宇宙から来ました」
子爵がポカンと口を開ける。
「うちゅう……?」
サニーは周りを唖然とさせながら、前世と転移について、洗いざらい話してしまう。
凍りつく空気を感じ取る
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お読みいただきありがとうございます。
本日は、もう1話更新予定です。
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