1-4:錬金術師アルバート
雨は、またたく間に本降りになった。
子爵令息アルバートも、山小屋から急ぎ屋敷に戻ってきている。独りで食堂から雨を眺めつつ、冷えた体を茶で温めた。
10歳の義弟セシルは、濡れた飼い犬の世話のため、食堂にいない。そして山小屋に来たサニーは、戻るなりメイドに掴まり濡れた服を着替えさせられていた。今頃は、早めの湯に浸かっているだろう。
(彼女は何者だ?)
気を失っていた娘を小川で保護したのは、朝方のこと。最初に見つけたのはセシルと愛犬で、居合わせたアルバートが屋敷に搬送するよう指示をした。
都で錬金術――薬の調合や、冶金、その他自然のあらゆることを扱う総合的な学問だ――を学んだ者として、彼はサニーを診ている。
外傷も熱もなく、眠っているだけ。
そう診察し、午後にはメイドに世話を任せ山小屋の研究室へ向かった。若干21才にして、アルバートは色々な役割を負っている。医者、領地全体の技師、そしてセシルの家庭教師――研究に没頭できる時間は貴重なのだった。
ただ今、その時間も、どころか思考さえ彼女に奪われている。
(なぜ雨がわかった……?)
早春の季節は、村にとって重要である。麦の種をまくため、収穫の良しあしがここで決まるからだ。
急な大雨とあっては、領地を空けている子爵に代わり、アルバートが作付け中止の指示を出さねばならない。しかし、そちらはあっさり終わっている。
サニーはあちこちで雨の予報を教えていた。おかげで、少なくない農夫が念のため雨の支度を整えていたのである。
そこは感謝せねばならない。
(じき子爵様も帰ってくる。さて、彼女をなんと説明するべきか)
わかっているのは、天気を当てたこと。
そして、義弟と犬を助けた時、強い魔力を帯びていたこと。
ずきりと頭が痛み、ため息を落とす。
(だいたいなんだ、彼女は? 話がぜんぜん要領をえない。天気を予想できた理由も、まったくわからない……!)
わけのわからないことを言う女が、わけのわからない理屈で天気を当てたというのが、錬金術師アルバートの自尊心を傷つけていた。
これでもつい1年前まで王都の学会におり、天才とまで称された。
「どうして私は……」
お茶を含んだところで、ドアが開く。
メイドの少女、リタが入ってきた。
「若様、サニー様をベッドにご案内して参りました」
「あ、ああ」
生返事を返して、アルバートは思考に戻る。
一方、メイドのリタはじとっと何か言いたげな半目だった。
「……どうした?」
「どうした、ですってぇぇ?」
眉毛をピンっと跳ね上げる。
「若様、あのお方、お風呂見るなりどうしたと思いますぅ?」
「ふ、風呂?」
「『入り方がわからない』って言ったんですよ。私が『普通にどうぞ』と申し上げたらぁ、今度は服が脱げなくって! ボタンを外さずに脱皮みたいに脱ごうとするから、私、慌てて……ウチの弟にそぉっくり」
「そ、そうか」
「あ、ちなみにぃ、ウチの弟は4才です」
遠くで、雷がゴロゴロと。
「子爵様といい若様といい、どうしてこうもお人好しなんでしょう。ねぇ?」
責める目を向けられて、アルバートは口を結んだ。
「言うな。小川で倒れていたんだ。助けないわけにはいかんだろう」
「でもぉ、子爵様は絶対に放っておけないって言いますよ! ただでさえ雪解けでお客様が増える季節なのに、2階から飛び降りる人とか……私、お仕事が増えるのは嫌ですぅっ」
アルバートは苦笑した。
愚痴ばかりのようだが、一番の働きもので、屋敷のことをよくわかっているのはリタだった。年はまだ17だが、11歳の頃から屋敷の雑務に雇われている。
子爵家にメイドは他に数名、領地運営を補佐する家令らを含めれば10名ほど。彼らを代表して、愚痴の形で正体不明者を屋敷に入れる不安を伝えているのだ。
「――何らかの事情で、記憶が混乱しているのかもしれん。魔力が心に影響を及ぼすこともある」
「それは」
リタは何か思い当たったのか、口をもごもごさせた。
「ま、ありえますけどぉ」
「苦労をかけるが、しばらく様子をみてやってほしい。何かあれば、もちろん私の責任だ」
そう言って微笑むと、リタはさすがに一礼して引き下がった。
アルバートは窓に目を向ける。子爵が乗った馬車が帰ってくるとすれば、この窓から見えるはず。
「――だが少なくとも、彼女は面白い」
アルバートにとって何よりも優先するものは、1つ。
『研究』だ。
父と母を失ったのも、こういう雨の日だった。まだ14才だったアルバートを残して、両親は山中の修道院を訪問する旅に出た。そして嵐に巻き込まれて命を落とす。
伯父のクライン子爵家がアルバートを養子にしてくれたおかげで、なんとか路頭に迷わずに済んだ。
父親は継ぐべき領地がなく聖職者になったクチで、息子にも学問を勧める。養父もわざわざ師を探してまで、アルバートの勉学を後押しした。
子爵家への恩返し。両親を失った悔い。
学問への興味は、自然と天気へと移った。
天候は時にあっけなく人の命を奪ってしまう。
多くの書物には、『天候は魔法によって動いている』とあった。
突風を起こす。
水球を撃ち出す。
火の玉を撃てば雷に似て木々を焼く。
魔法を修めれば、たいていの気象現象は再現できてしまえた。
この世界には『土』『水』『火』『風』、4つの属性を持つ魔力がある。各属性の魔法を使うとき、それぞれの魔力が消費されるが、いってしまえば代償はそれくらいだった。
逆に言えば――
(魔法で説明がつくことが多すぎるのだ――)
急な雨は、神父ならこういうだろう。『神々が魔法を使い、降らせてくださったのです』、と。
アルバートは、雨の外を見つめる。
(……本当に、そうだろうか?)
気象は、魔法によって動いているのだろうか?
あの雲も、この雨も……。
知りたかった。
両親が死んだ理由だから。なにか、『法則』のようなものがあってほしいのかもしれない。不条理で命を取り上げられたわけではないと。
子爵家への恩返しにもなる。錬金術師として名を残せば家の栄誉であるし、山の領地では霧や雨の予測は時に領民の生死を分けた。
(なのに私は……何をやっている?)
王都の学会から追い出され、辺境に戻っている。
焦りすぎた。やりすぎた。優れた実験器具を作れる腕前は、嫉妬もされた。
「くっ」
悪態をつきたいが、やはり自分の未熟さが堪えた。
ふっと息をつくと、サニーの不思議な言葉が頭に浮かぶ。
――気圧。
ひっかかる言葉だった。
――汗が蒸発し、気化熱で体温を下げるのと反対に、水蒸気は水滴に戻るときに『熱』を出します。
――だから温かく、水蒸気を含んだ空気は冷えにくく、大気中に水滴を生み出しながら高空まで昇っていきます。
サニーの言葉を反芻する。
(彼女の言葉どおりなら、温かく、
温度が高い液体・気体が上に登る『対流現象』は、この世界でも発見されていた。
(つまり、水蒸気を多く含んだ空気ほど、上空へ昇りやすい。そして冷やされれば――?)
はっとアルバートは外を見る。
(……合ってないか?)
アルバートは、口を結んだ。
彼女、本当に何者なんだろう。
気象は――本当に、魔法でないと説明がつかないものだろうか。
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