1-3:この世界の技術
山小屋の扉を前に、サニーははたと止まった。
何か、開ける作法があった気がする。
――ワカサマくん、あ・そ・ぼー!
……いや、多分違う。
「ごめんください……だっけ?」
自信なく呼びかけても、反応はない。
離れて犬を押さえている少年は、右手を掲げて何かを叩く仕草をした。
(あ、ノックか……)
覚えておこう。
とんとん、と扉を叩いてもやはり反応はない。少年が促すように頷く。
「入ります」
中はしんとしていた。
差し込んだ陽がドアマットを照らし、壁際には椅子が3つ。もしサニーに人間並みの知識があれば、『診療所の廊下』と呼んだだろう。
短い廊下の先には扉があった。わずかに開いて、物音と人の気配が伝わってくる。
少し進むと、別の部屋も目に入った。そこは倉庫のようで、色々な器具が整然と並べられている。どれもラベルが貼られ、整理がいいのが一目でわかった。
(ものを大事にする方です)
サニーはあっさり家主に好印象を抱く。
そこで床が軋み、風で玄関がバタンと閉じた。
「誰だ」
突き当たりの小部屋から、男性の声。
「セシルか? すまない、実験で集中していてな」
「いえ、その方ではありません」
少し、間が生まれた。戸惑うような。
「診療は休みだが」
「サニーは健康です」
的外れな回答だったが、とにかく変なやつがきたことだけは伝わったらしい。
「――いったい誰だ?」
奥の部屋から若い男が現れた。
年齢は、おそらく20歳ほど。
銀髪を肩口ほどの長さで切りそろえ、痩せ気味の長身を仕立てのよいシャツとベストに包んでいる。冴えたエメラルドの瞳は、サニーに冬の星を思わせた。
男は、切れ長の目を不審げに細める。
「…………私の顔になにか?」
「あ、その、なんでもないです」
まじまじと見てしまったらしい。
技術者、そしてものを大切にする方はどんな人だろう、と気になってしまったのだ。
サニーは『なるほどこれが平均的な若い男性か』と思ったが、普通の令嬢なら頬を真っ赤にするほどの美形であり、山小屋にこもっているのは場違いなほどなのだが――。
男性は後ずさると、ふと眉を上げる。
「おや、あなたは」
今度は、男性がサニーを検分する番だった。
「……ふむ。回復したようですな。よかった」
さすがにサニーでもわかる。
この人が、サニーを助けてお屋敷まで運んでくれた人だ。
嬉しくて口角が上がるのは、最初のお役目を果たせそうだから。
「お礼を言いに参りました、ワカサマ。ありがとうございます」
「礼を……わざわざここまで? いや、こちらとしてはむしろ寝ていてほしいのだが。君は朝、村の小川から助け出されたばかりだ」
「そうするわけにはいかない事情がありました」
サニーは体を右にずらして、ワカサマの体越しに窓を確認する。
「すぐに雨が降ります。道が悪くなりますし、近くの沢にも水が増えるかもしれません」
「……雨?」
ワカサマは腕を組み、窓を見やる。
不審そうに、もっといえば不快そうに眉をひそめたが、サニーは青い目を揺らさなかった。
「はい、雨です」
唸ったワカサマは背中を向けると、部屋に戻ってしまう。
どうしていいかわからなかったので、サニーも後を追った。
「わぁ……!」
そこは、実験室だった。
あちこちに書物が積まれ、徹底的に清掃が行き届いた作業台には、乳鉢や秤、ガラス製のビーカー、フラスコなどなど、前世に近い備品が並んでいる。ちょっと薬品の臭いも。
何よりサニーを驚かせたのは、窓の近く、台座に置かれたもの。
望遠鏡、それも天体望遠鏡だ。
「星、見るんですか?」
「そうだが……いや、なぜわかった」
「だって、この形は」
「見たことがあるのかね? こいつも自作で、天体望遠鏡は珍しいはずだ」
少し遅れて、サニーにも理解がやってくる。
思えば、この小屋にはガラス窓がはまっていた。だけど――この世界は、地球とは違う。地上にあるはずのビルや車はまったく見ないし、サニー達の服装もまるでWikipediaでみた『中世』に戻ったかのようだ。
そして前世では、板ガラス、さらにいえばレンズの実用化はどれほど後のことだっただろうか。この世界、望遠鏡、どころか下手したら透明ガラスさえ一般的ではないのかもしれない。
だからこの人は、『レンズを使う道具の使い道を当てた』ことに驚いたのだ。
(本当に、技術の水準が違う世界……)
予感はしていたが、実感が伴う。
「まぁいい」
呆然とするサニーに、ワカサマは首を傾げて器具へ戻る。
(でも、待って。じゃあ他の器具も――この人が作ったのですか?)
宝石がはまった木版を眺めたり、小さな風車を指で回したり。
特にサニーの目を引いたのは、高さ1メートルほどのガラス器具だ。倒立したフラスコで、内側には銀色の液体がこめられている。液面の高さは、フラスコの頂点からいくらか下。フラスコの丸く膨らんだ部分が空隙になっている形である。
ワカサマはそのほか色々な器具を眺め、首を傾げた。
「私の器具には、雨の兆候などない。雨が降る、その根拠はなんだね」
ずいと近づけられる顔。
町娘なら真っ赤になって視線を逸らすだろうが、サニーは目を輝かせた。
「説明……していいんですか!?」
「しろと言った」
「長くなるかも――」
実は、サニーはここに至る道々で、出会う農夫に片っ端から『もうじき雨ですよ』と告げていた。
途中でやめたのは、誰も本気にしなかったり、説明を途中でさえぎられたりしたからだ。
天気を伝えるのは、簡単だ。
自分はそう創られたのだから。
難しいのは――別のこと。
少なくともこの人は、サニーの言葉を信じてくれていた。
「私はクライン子爵領の錬金術師、アルバート・クライン。子爵閣下の養子でもある」
養子、つまり義理の息子。
それくらいはサニーにもわかった。
「王立学会に籍もある――いや、あった。今の仕事は診療、ご子息の教育、そして峠道の気象観測および
緑の瞳が、きっとサニーを見つめる。
「領地の気象は、私の分掌だ。当てずっぽうでないなら、雨が降る理由を言えますな?」
「――はいっ」
サニーは息を吸い込んだ。
「低気圧が、暖かく湿った空気を伴ったままずっとこちらに移動してきています。晴れていて地表は暖まっていますし、風が山の斜面に当たることで、じき水蒸気を含む上昇気流が起きるでしょう」
サニーは、知りうる限りの理屈を積み上げる。
「地上から昇る空気塊は、潜熱を放出しながら温度を下げ、条件付き不安定の状況になります」
「……ネツ?」
「はい。汗が蒸発し、気化熱で体温を下げるのと反対に、水蒸気は水滴に戻るときに『熱』を出します」
気象衛星として画像を示すことは、もうできない。それでも理論は、言葉として口からあふれ出す。
「だから温かく、水蒸気を含んだ空気は冷えにくく、大気中に水滴を生み出しながら高空まで昇っていきます。いつかは水蒸気がすべて凝固していくのですが――」
そんな説明を続け2分が経った。5分が経った。
「――わかった」
「よかった」
「わからん」
「ええっ!?」
愕然とするサニーに、アルバートと名のった青年は眼精疲労が起きたように目元をもんだ。
「気圧? 潜熱? なんのことを言っている」
「それは」
「
サニーは、目をパチパチした。
「まほう?」
「そう言ったが――」
アルバートはくしゃくしゃと銀髪をかき、嘆息した。
「……私は忙しい。君に用はない。妙なことを言っていないで、部屋に戻り、安静にしていたまえ。誰かに君を送らせるから――いや、私が送るか」
「そんな……!」
伝わらなかった。
伝えたのに。
いや、そうじゃない。
(信じて……もらえなかった?)
涙がにじむ。情けない。いや、本当は――ずっと不安だったのだ。
この世界で、わたしはミッションを果たせるのだろうか。
お役に立てない。
「お、おい!? いや、すまない。そうだよな、回復したばかりの人にする仕打ちではなかった。研究になると、どうして私はいつも言い方が……」
焦るアルバートに、止まらない涙。
外に変化が起きなければ、収拾がつかなかっただろう。
ぽつり、と。
水滴が窓に触れた。
「まさか」
アルバートがあんぐり口を開けた。
空にはまだ少し陽が残っている。ただ灰色の雲がまたたくまに山沿いから広がり、大粒の雨を落とし始めていた。
「……本当に、降った」
「サニーが言うのです、間違いありません」
涙を拭って、サニーは窓から顔を出す。
大粒の雨が金髪を湿した。
「ね?」
技術者の粋を集めた光学センサは、今は大きな青い瞳になっていた。それを細めて、サニーは濡れたまま笑いかける。
「君は……」
わんっ、と犬の声。
さきほどの少年が、必死に犬のヒモを引いていた。
突然の雨に興奮したのか、それとも遠雷に驚いてか、犬は少しでも低い場所へ進んでいく。そこは、さっきまで水が少なかった沢だ。
「セシル!!」
雨の時には、沢に急激に水が戻る時がある。
山沿いに移動した低気圧なら、すでに上の方、つまり沢の上流で雨が降っていただろう。
もっと早く来るべきだったという悔いと、間に合った安堵がせめぎ合う。
「わたし、連れてきますっ」
「!?」
サニーは窓枠に足をかけると、そのまま外に飛び出した。
アルバートが彼女が裸足であることに気づき、2度ぎょっとする。
外に出て、雲間からの陽を浴びると力が湧いた。さっき、森を進んでいる時は力が出なかったが――どうやらサニーには、太陽の光を浴びていると、不思議な力が湧くらしい。
「こっちです!」
降り始めた雨の中、サニーは沢の中にいた少年と大型犬に追いついた。
犬のリードと、少年の手、ふたりをぐいぐい引いて沢の外へ。
間一髪で、沢の水かさが膝くらいにまで増し始めた。流されることはなかったかもしれないが、今以上のずぶ濡れにはなっただろう。
「わん!」
「――」
言葉を発せない少年と犬に、サニーは微笑む。
「お役に立てて、よかったです!」
◆
そんな2人と1匹を、錬金術師アルバートは唖然と見つめていた。
「な、なんなんだ、一体……?」
まったく意味不明なのに、少女の目だけはキラキラで。きれいな青い瞳は、今でも脳裏に残っていた。
「戻りました」
「わんっ」
アルバートは思う。
なんなんだ、この子は。
いや、それよりも。
「……足を拭き、靴をはけ!」
泥だらけにされた診療所兼実験室に怒る方が忙しい。騒々しい雨音は、いつまでも錬金術師の心をかき乱していた。
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