1-2:ファースト・コンタクト

 一歩、二歩。

 歩幅と一緒に、心も躍る。

 人間の少女となったサニーは、陽が降り注ぐ小道を歩いた。

 さっき頭に天気図が浮かんだ時、航空写真のように周辺の地形も見えている。ここは山間部の麓にあり、植生は豊か。小道の右側には畑が連なり、左側の斜面は深い森である。

 向かう先には、高い山々がこちらを見下ろすようにそびえていた。


(気温16度、湿度46%……周りにあるのは、『畑』でしょうか?)


 知識と照らして、そんなことを思う。

 きょろきょろすると、金髪がふわりと揺れた。


日射角度太陽の高さからして、おそらく春か晩冬の午後。もし地球と同じように種をまいているなら、おそらく春の始め……?)


 雑念は、動作ログとは異なって、すぐに思考から消えていく。そんな違いも楽しい。

 寝間着と裸足でてくてく進み、すれ違う農夫達を時折ぎょっとさせながら、サニーは分かれ道に辿り着いた。

 畑沿いにまっすぐ進むか、左に折れて山道に入るか。


(今までは、宇宙を飛んでいるだけでしたけど――)


 今、行き先は自分の足で決められる。


(楽しい――!)


 両拳を作ってぶるぶる震えた。

 爽やかなせせらぎも耳を楽しませる。坂道沿いに小川が流れているのだ。

 よく人が通るのか道はしっかりしており、生い茂る針葉樹の隙間から陽が差し込んでいる。


「ワカサマは、この先ですね」


 お屋敷を出た直後、荷車を押していた農夫にそう聞いたのだ。親切な農夫が彼女の裸足に気づかなかったのは、幸運というしかない(絶対に止められた)。

 ここは素直に、針葉樹のトンネルへと進む。


(最初のミッションがありますからねっ)


 木々のざわめきと、涼しげな沢の音がサニーを包み込んだ。

 針葉樹の森に、サニーは比較的高緯度の地域を予感する。針葉樹は冬が厳しい場所の植生で、天気予報には地理が――とりわけ緯度が大事なのだ。

 日陰を進むうち、やがて息が上がる。


(変ですね、力が……入らない?)


 平地ではずんずん進めたのに。


(体重50キロ前後なのに……高度を上げるのがこんなに大変とは!)


 振り返ると、明るい入り口からまだそれほど進んでいない。

 額を拭って驚く。


「濡れてる……」


 知識が浮かんだ。


(これ、汗だっ)


 人間ってば水冷式だ。

 登れば登るほど、気化熱で体を冷ます必要が生じ、つまりどんどん汗が出る。完登した時、サニーは膝に手をあて、ぜえぜえ言っていた。


「あれ……?」


 日陰を出て陽を浴びると、急に力が戻って来る。足裏の痛みもすっと引いた。

 サニーは首をひねる。

 人間も、人工衛星と同じように太陽光で元気になるのだろうか。Wikipediaには書いていなかったが――人間の当たり前がわからないので、判断がつかない。


(類推不能、ですね)


 疑問を『後で考える』というディレクトリに押し込んで、今はワカサマを探す。

 木々のトンネルが途切れた先は、円形の広場になっていた。まず中央の小屋が目を引く。そして広場を縁取るように右外周が落ち込み、その下を沢が流れていた。

 広場の隅で白い固まりが動く。


「わんっ」


 ふわふわの白毛に包まれた、中型のほ乳類。


(イヌ、だ!)


 大型犬はサニーに駆け寄ると、前足をあげて飛びつく。思わず尻餅をつくと、ほっぺたをなめられた。

 温かく、でもちょっと臭い。

 ふんわりした毛に溺れかけていると、誰かが犬を引きはがしてくれた。


「ふぅ……た、助かりました……」


 袖で顔を拭うと、10才くらいの少年がサニーを覗き込んでいる。

 銀髪を短く刈って、装束はサニーが見ても上等とわかるもの。襟や袖の刺繍がきれいで微細で、半導体も刺繍も、模様が細かいほど高級らしい。下は膝丈のズボン。赤みを帯びた瞳は、どこかぼんやりした感じだったが、ほほ笑むととても優しげな顔になった。

 少年はサニーを立たせると、犬に咎めるような目を送る。

 ふわふわした大型犬は目尻と耳をしゅんと垂れさせると、少年の傍らに腰を落とした。


「あ、ありがとう、ございます……?」


 微笑を崩さない少年に、サニーははっとした。


(この人が、ワカサマ……?)


 助け出された時、犬の声もした気がする。


「あなたがワカサマなのですか?」


 きょとんと目を見開き、首をふるふる。

 おや違うらしいぞ。

 少年はカバンから細長い木筒を取り出し、サニーに見せる。


「――」

「これ? わたしに?」


 少年はこくりと頷く。

 手に取ると、中身がちゃぷん。


(――水だ!)


 喉がごくりと鳴った。

 ただサニーには、『水筒』の使い方がわからない。

 受けとったまま硬直していると、少年は栓を外して、ついでにカバンからカップを取り出すと水を注いでくれた。

 サニーは、一息に飲んでしまう。


「おいしい!」


 涼やかなせせらぎが、喉を通り抜けたみたい。


「すごい! 水って、こんななんだっ」


 命に不可欠なのだと、感覚でわかる。

 少年は犬と顔を見あわせた。


「――」


 不思議な子だ、とサニーは思う。

 この子の喉からは、音波をほとんど感じない。言葉をあえて発しないのか、それとも話せないのかも知れない。そういう人もいると、知識としては知っていた。

 サニーは少し身を屈め、水筒を返す。


「ありがとうございます。冷却水、補給できました」


 少年はくすっと笑って、自分も同じカップで飲んだ。

 言葉を介さないやりとりは、かえって安心する。宇宙空間で、遠く離れた衛星同士で信号を送りあうのにどこか似ていた。

 ふわふわ犬が、得意げにわんっと吠える。


「……もしかして、あなた方もサニーを助けてくれた方ですか?」


 少年の微笑は、おそらく肯定だろう。

 この子達がサニーを見つけて、ワカサマに連絡、そして救助という順番ではあるまいか。


「ますますありがとうございます! ワカサマという方も探しています。あなた達に、サニーを助けてくれたお礼と……」


 空を見上げると、思考にまた天気図が浮かび上がった。山沿いの高気圧が弱まり、低気圧が近づいてきている。寒気側に勢いのある寒冷前線――つまり積乱雲が急発達する危険があった。

 ひゅうと涼しい風が吹く。山の向こうでは、きっともう降っている。


「こちらでも雨が降りそうなので、早めの下山を」


 少年は目を瞬かせた。

 口が、「あめ」という形に動いた気がする。


「そう、あめ」

「――!」


 右手がサニーの袖を引き、左手が広場の奥にある山小屋を指差した。


「ありがとうございます。特に、沢の近くにはいかない方がいいですよ!」


 近づくと、山小屋の周りには色とりどりの花が咲き乱れていた。窓ガラス越しにさまざまな器具も見える。

 フラスコ、ビーカー、それにたくさんの書物。

 どきりと胸が高鳴るのは、なぜだろうか。

 サニー1の生みの親たちと同じ気配があったからかもしれない。

 玄関に札がかかり、この世界の文字でなにか書かれている。


 ――実験室アトリエ

 ――※診療所、本日お休み


 ワカサマは技術者だ、とサニーは思った。

 だから懐かしく感じたのだと。

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