第37話 進む薬物依存

 12月に入って間もないある日。

 大愛だいあは洗面台に行くと父親が先にいてヒゲを剃っていた。


(パパってば、なんか痩せたってよりは「やつれた」気がするなぁ……)


 間近で父親を見る大愛だいあ。詳しく見た感じとしては「ほほがコケている」ように見えた。それに対し「何かは分からないけど何か嫌な予感がする」と思っていたが、その悪い予感はあまりにも最悪過ぎる形で的中する。




「!! 何これ!?」


 大愛だいあが「父親が薬物に手を出していないか」彼が出かけていた間に机や部屋の中をくまなくチェックしていたら、それはあった。

 注射器と白い粉状の物体だ。彼女はそれを見て、瞬時に「覚醒剤かくせいざい」だと分かった。

 学校で薬物依存に対する授業を聞いて知識だけはあったが、現物を見るのはもちろん初めてだった。


 まさかパパが……!? テレビやスマホの画面越しではない自らの目で直接見れ、自分の手で直接触れられる……

 つまりは実物が家にある事にハンマーで後頭部を殴られるかのような衝撃が走った。




「快楽順応」と言って、人は快楽の刺激には慣れるように出来ている。なぜなら慣れずに満足してしまったら成長が無くなるからだ。

 それは薬物依存も全く同じ。穂炊木ほだきも市販薬の過剰摂取オーバードーズをしたが、すぐにそれでは効かなくなる。

 最初こそ合法の市販薬だったが、次第に違法薬物に手を出すようになり最後に行き着いたのは、覚醒剤かくせいざいだった。


「やぁ。また来たよ」

「あいよ、穂炊木ほだきさん。今日の分だよ」


 穂炊木ほだきは家で娘が薬物依存の物証をつかんだとは思っておらず、薬物の売人と接触していた。もちろんいくばくかのカネを払って「ブツ」を手に入れた。

 最近はスマホでやり取りができるから会うのは格段にラクになったし、売人からしたら「ご新規様」の発掘も実に簡単になった。文明の利器というのは素晴らしく便利なものだ。

「昔は良かった」と回顧主義の老人はボヤくが、少なくとも彼らはそうは思わなかった。




「そうだ。穂炊木ほだきさん、アンタ高1の娘さんがいるって聞いたよ? ある取引を飲めば少なくても2年分のブツが手に入るぜ。聞くだけなら無料だしいいだろ?」

「……分かった。話を聞こう」


 穂炊木ほだきは貯金を崩して薬物を買う費用に充てていた。老後のための貯えが減っていく一方なのは精神的に堪えるが、それが無くなる。となるといい取引に見えた。

 それが「家庭が粉みじんに粉砕され崩壊する」最悪の取引であるにも関わらず。




 穂炊木ほだきが家に帰ると、娘がこれ以上に無い位の険しい顔で待ち構えていた。その手には注射器が握られていた。


「パパ! これどういう事!?」

「!! 大愛だいあ! お前には関係ない事だ!」

「関係ないも何もないでしょ! こんなのやってるってどういう事!?」

「うるさい! 口答えするんじゃない!」

「パパ! 話を聞いて!」

「もういい! この話は無かったことにしてくれないか!?」


 怒鳴り声を上げる穂炊木ほだき。既に娘の声は彼の心には届いてなかった。この時点で彼は薬物のとりこになっていて、娘よりも薬物の方が大事……

 それこそ「娘を取るか、薬物を取るか?」という問いに「薬物」と即答するようになってしまった。




 中学校では2学期がそろそろ終わる頃、特に3年生はやれ高校受験だ学期末試験だと落ち着かない日々が続く中、ソレは唐突とうとつに起こった。

 授業中、穂炊木ほだき先生が急に吠え出したのだ。


「く、黒鵜くろう!? なぜお前がここにいる!?」

「「!?」」


 突然大声を上げる先生に、教室にいた生徒たちは全員「巨大なハテナマーク」が頭に浮かんだ。




 その時の穂炊木ほだき先生には、卒業したはずの娘がいじめていた生徒が席に座っているのが見えたという。

 しかし実際には、その机には誰もいない。その日たまたま風邪で休んだ生徒の机だったのだ。そこに誰かが座っていたように見えた……? つまり「幻覚を見ている」のか?

 悪い噂は良い噂の何倍もの速度で学内を駆け巡る。事件が起きたのは午後の授業だったにもかかわらず、放課後には中学校の生徒全員と教師の間にもしっかりと広まっていた。




「おい、聞いたか? 穂炊木ほだき先生が授業中に幻覚見たって話」

「ああ知ってる。噂じゃ大麻吸ってるとか」

「ええ? 俺は覚醒剤かくせいざい使ってるって聞いたけど」


 生徒たちが噂するのと同じように……。


穂炊木ほだきさん、幻覚を見たそうですよ。授業中に誰もいない席に誰かが座ってたとか言い出したらしくて、ヤバいですよね?」

「聞いた聞いた。何でも薬物依存でその禁断症状で見たらしいとは聞いてるけど……」

「いじめをもみ消していた疑惑があるのに加えてクスリ漬け教師か。最悪だよな、うちの学校」


 先生もまた噂話を聞いていた。




 仕事が終わり穂炊木ほだき先生も帰ろうとしたとき、真田加まだか校長が声をかけてきた。


真田加まだか校長、何の御用ですか?」

穂炊木ほだき君、腕をまくりなさい」

「! な、何で急に!?」

「いいからまくれ! 校長である私の命令だ! まくりなさい!」


 彼は渋々従い腕をまくると、そこには生々しい注射痕ちゅうしゃこんが何個もあった。覚醒剤かくせいざいを使っている、何よりの証拠だ。

 それを見た校長は1枚の書類を彼に差し出した……退職届たいしょくとどけだった。




穂炊木ほだき君、我が校ではただでさえいじめ隠蔽いんぺい疑惑で揺れているんだ。

 その上教師が薬物を使っていると知れるとどうなるか想像もつかない事になるんだよ! 警察には黙っておくから今すぐ書きなさい。

 娘の大愛だいあちゃんもいるんだろ? 父親が薬物依存で捕まるだなんてショックだし、私としても君を留置所送りにはしたくない。だから書くんだ!」

「……」


 彼は「警察に捕まるよりはまし」という仕方なく、そう「仕方なく」要求を飲み、無職となってしまった。

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