第31話 オーバードーズ

 10月に入って、かれこれ9月の頃から1ヶ月以上は穂炊木ほだき先生のスマホには文字通り24時間着信音が鳴り止むことが無かった。

 寝るときはスマホの電源を切ってムリヤリ寝ているが、電源が入っている間は常に着信を告げる振動音が耳に入る事態となっている。


「パパ、どうしたの? 食欲が落ちてるようだけど大丈夫? 何かあったの?」




 妻が出て行って以降、食事と掃除を担当するようになった娘の大愛だいあだが、

 父親が普段と同じ量のご飯を出しているのに、最近はよく残すようになっているのに気づいていた……食欲が落ちるだなんて余程の事だ。


「パパなら大丈夫だ」

「本当に? 父親らしくしなくても良いから私に気を使わないで。調子が悪いとか悩んでるとかあったら遠慮なく言っていいからね」

「あ、ああ分かった。ありがとうな、大愛だいあ




 秋も深まり高くて青い空、あれだけうるさかったセミも鳴き止み、夏の暑さも収まり涼しい快適な日々が続いているが、彼の頭には鉛色のもやがかかっていた。

 一向に収まる気配すらないスマホへの着信。ずっと前に固定電話やそれの回線も処分していたから家への電話が無いのは幸い。と言って良いのだろうか。

 車に乗って学校へ通勤している間にもスマホは振動し、着信を伝える。こんな朝からよくもまあ電話するものだ。相手は余程暇なのだろうか?

 最初はそう考えていたが、着信の津波に押し流されている今ではそんな余裕も無くなってくる。




「よし、今日は全員出席したな。今日も1日、しっかりと授業を受けてくれ」


 船城中学校1年A組の朝のホームルームが終わり、穂炊木ほだき先生は他クラスの国語の授業をするために教室を出た。

 彼が出ていってクラスに1時限目の授業の担任が来るまでの間、生徒たちは噂話をしていた。




「な、なぁ。先生、大丈夫かなぁ? なんか最近「やせた」って言うよりは『やつれた』感じがするんだけど」

「あーそれ分かる。なんか引き締まったってよりは、全体的に肉が削がれた感じがするんだよね」

「噂じゃスマホに迷惑電話がかかりっぱなしで精神的に参ってるって聞いたよ? あのいじめ隠ぺい事件が今でも引きずっているんだって」


「中学校側がいじめをもみ消している疑惑」はテレビのニュースでも報道されている事だから、生徒たちの間にも当然広まっていた。

 特に最近は学校側が「責任逃れのためだけ」と言ってもいい声明文を出したのだから今最も生徒たちの間で話題だ。




「……」


 穂炊木ほだき先生の衰弱ぶりを、健二けんじは先生と学校で顔を合わせてるだけあって至近距離から感じていた。

 自分が調べたことを徹底的に否定するどころか、高校に受からなくても良いのか? と脅しをかけただけあって「自業自得」と言えるのだが。

 古くは「自分で蒔いた種だろうが!」今では「お前が始めた物語だろうが!」という奴である。




 彼としてはそんな事よりも「兄との約束を破った」事が問題で、真田加まだか校長と穂炊木ほだき先生との話は本当にあった、と証言したことで2人だけの約束にしてくれと言われた兄にバレ、大目玉を食らったものだ。

 兄のメンツを潰したことが先生の体調よりも重要だった。その日も特に目立ったことは起きずに学校は終わり生徒はもちろん、先生たちも仕事を終えて自宅へと帰っていった。




 穂炊木ほだき先生もまた、仕事を終えて自宅へと帰った。

 家に帰ってテレビを見ると特集で、いわゆる「トーヨコキッズ」の間で市販薬の過剰摂取オーバードーズが広まっている事が紹介されていた。

 テレビに出て来る少女はお馴染みの「加工された甲高い声」で、薬の飲み過ぎで青くなった舌を自慢げに披露しながら早口で「トリップ」している実況中継をしていた。

 あとテレビに出られるのがうれしいのか青く染まった舌を出しながらカメラに向かってピースサインまでしていた。




「うわぁ……」


 テレビに映るトーヨコキッズ達を、大愛だいあ軽蔑けいべつの視線で見ていた。一方で彼女の父親はうなづきながら見ていて特集が終わると……。


大愛だいあ、パパはちょっと買い物に行ってくるからな」


 そう言って車に乗って自宅を後にした。

 こんな時間に何を買いに行くんだろう……大愛だいあは少しだけ不安げだったがまぁ大丈夫だろうと思って特に気にしない事にした。




 それから1時間後……近所のドラッグストア全店をめぐって買い物を終えた大愛だいあの父親は、自分の寝室にそれを持ち込んだ。

 風邪薬4箱に咳止めシロップが3本。まずは風邪薬1箱分を一気に口の中に入れ、飲み込んだ。次いで咳止めシロップを1本、一気飲みした。


「ふ、ふわぁあああ?」


 まるで苦痛や苦しみを感じる感覚器官を手術で除去したかのように苦しみがスーッと消え、代わりに赤子に戻って母親に抱かれているかのような、ふわふわとした柔らかい安らぎが彼を包む。

 いつも頭の中にいて「ズーン」と重くのしかかるスマホの事を、その時だけは忘れることが出来た。

 人生においてこんなにも楽しい事があるだなんて! その快楽に一瞬でトリコになった。




 覚醒剤かくせいざいの俗称「シャブ」は「骨の髄ほねのずいまで『シャブ』る」という所から来ていると言われているが、

 その言葉通り薬物は1度でも手を出すと「死ぬまで逃れられない呪縛」と化す。

 それは市販薬の過剰摂取オーバードーズも一緒。彼はクスリ漬けになって仕事は続けられなくなり、家庭も自らの手で崩壊させてしまう。

 市販薬の過剰摂取オーバードーズはその序章だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る