第19話 ナイフ

 授業中、先生が黒板に問題を書いていたスキを狙って大人しく座っていた大愛だいあの後ろにいた女子生徒が彼女の後頭部にパンチを叩き込む


 文字どおり「後頭部をガァン! と叩かれた衝撃」が彼女の頭に走る。一瞬何が起こったのか分からない程のものだった。

 当然、彼女の恋人である瀬史琉せしるが黙っているわけがない。




「オイテメェ! オレの大愛だいあに何するんだ!?」

「アタシは悪くないからね! 悪いのは瀬史琉せしるでしょ!? 中学時代にいじめをやってたんだって? 自業自得じゃない」

「オイ瀬史琉せしる! 騒ぐなら授業が終わってからにしてくれないか!?」


 先生も瀬史琉せしる大愛だいあに関しては完全に「色メガネ」がかかった状態で、2人を問題児としか認識していなかった。




大愛だいあ、大丈夫か?」


 恋人を気遣う彼は一見仲睦なかむつまじいカップルに見える。

 だが両者の手はかつて中学時代に散々クラスメートをいじめてドス黒く染まっていることに本人たちはこれっぽちも気づいていない。そもそも悪い事だという自覚さえないのだから。

「父親がレイプ魔の人間なんて人権など無いに決まってる」だからこそ彼らは語るのさえはばかれる程のいじめをやったのだから。




 授業が終わって休み時間になると、瀬史琉せしるはいじめの中心人物であるクラスのリーダーに怒鳴り込む。


大愛だいあに謝れ」

「何のことで?」

「とぼけるなよ! 授業中に指示出したのはお前しかいないだろ!?」


 瀬史琉せしるが聞いた話では、カースト1軍のクラスのリーダーがいじめの指示役になっているという。そこを問い詰めた。




「しょうがねえだろ! お前ら中学時代にいじめをやったんだって? そのツケを払う時が来ただけじゃねえの?」

「テメェ、今すぐ大愛だいあに土下座して詫びろ。じゃねえとガチで怒るぞ」

「へぇ。イジメをやってた奴が逆ギレと来たか。どこまでやるか見てみたいものだよなぁ」

「テメェらはこのオレをガチで怒らせたな……明日きちんと学校に来い、オレがガチになったらどうなるか思い知らせてやるからな。絶対に休むんじゃねえぞ」


 その日の衝突はそれで終わった。しかし翌日にとんでもない事が待っているのを知らない。




 翌日の朝……瀬史琉せしるは教室に入るとただならぬ殺気を発しながら自分をいじめるクラスのリーダーに向けて歩き出す。

 そして「射程距離内」に入ると通学カバンから果物ナイフを取り出した。カバンを投げ捨て両手でしっかりとナイフを握った上で歩みを早め、

 相手が気付いた時にはもう逃げられない所まで距離を詰める。そして……。


 ドズッ!


 相手の腹にナイフが突き刺さる。瀬史琉せしるにためらいとか迷いといった感情は「絶無」だった。




「!?」


 刺された相手は一瞬、自分の身に何が起きたのかが分からなかった。

 だが直後腹部からの強烈な激痛と、そこから人肌の温度を持った生温かい液体がドバドバと体外へとあふれ出る感覚で、ナイフで刺されたことを自覚することが出来た。


 着ていたYシャツが噴き出した血を吸ってあっという間に紅い色に染まっていくが、それでも出血は止まらず床に血液がボタボタと垂れる。

 血液を赤色たらしめる鉄、錆び付いた鉄の臭いもまた、腹から広がっていく。




「!!!!!」


 赤色という単色では最も目立つ色で腹部が、床が、染まっていくのを見て、クラスメートたちは本能で何が起こったのかを感じとる。

 女子生徒も男子生徒も悲鳴を上げながら教室を飛び出し、その中の数名は「誰か来てくれ!」と人を呼ぶ。

 またある者は高校進学祝いで買ってもらったスマホで110番通報や119番通報をする。




「もしもし! もしもし! 人が、人が刺された! 学校で人が刺されて、刺されて!!」

「落ち着いてください! どこの学校ですか!?」

「学校!? がっ学校!? 学校は、学校は! え!? 学校!?」


 しかし目の前で人が刺されるという人生で初めて経験する非常事態の前に、完全にパニックを起こして普段なら出来る「自分の通う高校の名前を伝える」事も出来ない。

 瀬史琉せしるのクラスメートはパニックを起こしていたが、他クラスの生徒は比較的冷静に対処できた。

 すぐにパトカーと救急車が駆け付け、被害者の搬送及び加害者の拘束が行われた。




 翌日……瀬史琉せしるは警察署にある留置場で1夜を過ごし、その間常に警察官から取り調べを受け続けていた。


瀬史琉せしる君! あれほど言ったじゃないか! いじめられているのなら我々警察を頼れと! こうやって事件になったらもう君をかばう事は出来なくなるんだぞ!?」

「すいません。でもこうしないと舐められっぱなしで、いつまでもいじめが続くと思ったんです」

「だからと言ってナイフで刺すのは飛躍しすぎだろ! せめて拳で殴って暴力事件を起こす程度にしてくれ! 1歩間違えたら相手が死んでたところなんだぞ!?」

「殴る蹴る程度じゃ相手を圧倒できなかったんですよ。圧倒するにはナイフで刺すくらい強烈じゃないとダメなんですよ! アンタら大人には分からないですよそういう事は!」


 彼はあくまで「やり返しただけだ」と容疑を否認する。しかし相手から傷跡が残るようなケガを負わされたわけでは無いのに、いきなりナイフを持ち出すのは「過剰防衛」もいいとこだ。

 警官からその点を厳しい口調で責められ続けた。




瀬史琉せしる君! 聞いたわよ! クラスメートを刺したんですって!?」

「あ、大愛だいあのお母さん。え、ええ。でもそうするしかなかったんですよ」


 大愛だいあの母親は弁護士をしている。今回の事件においても瀬史琉せしるの弁護を一手に引き受けてくれる事になったのだ。


「今後は家庭裁判所での裁判になるでしょうけど、瀬史琉せしる君をしっかり弁護するから安心して」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」




 その後、彼の身柄は2週間ほど拘束され、家庭裁判所による裁判を受けた。

 結局「保護観察処分」が下され、元の生活をしながら保護観察官の監視の下で矯正していくこととなった。

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