第29話 大浴場に行こう!

「大浴場って、そんなにすごいんですか?」


 カナンとリガッタはトイレ掃除後そのままに、大浴場へ歩を進めた。校舎を抜け、目指すのは公会堂だという。確か、授業や寮とはまた異なる、ダンスパーティや式典を行うための大きな建物だった。


「そりゃあね。なんといっても、腕が千切れかけた生徒ですら次の日には治って元気になるっていう話だよ」心なしか、カナンは楽しそうにそういった。


「逆にそれはちょっと怖いんですが」


 腕が千切れかけたとはどういうことか。治るとはどうして。


「昔の話だって。今よりももっとすごい訓練が平気で行われていたころは、死に掛けても治せるから大丈夫の精神で授業をやっていたらしいからね」


 リガッタの背筋が凍る。なんでもかんでも滅茶苦茶すぎる。


「勿論、今それをやったら犯罪だからね。治るといっても、例の薬湯や魔術は、寿命を犠牲にしてたらしいから」


「やばすぎるじゃないですか」


「だから、今はそこまでじゃないんだけどさ。でもヴィヴォール様もよく通っていたって話だし、一度は入ってみたかったんだ」


 なるほど、とリガッタは思った。実力はともかく、カナンの勇者への憧れは人一倍大きい。


「大浴場とか、皆で風呂に入るとかは、外国では珍しいそうなんだけど、こういう薬湯を使った高速回復訓練デスマーチがオビュリシカ王国の勇者創成学園ではそこら中でやっててさ、大勢でお風呂に入る文化がこの国にはよく浸透してるんだってさ。だから、リガッタ君もいい体験だと思って入るといいんじゃないかな」


 リガッタは首を傾げたが、やがて昨日、カナンのお風呂の誘いを断ったことを思い出した。


「そうですね。楽しみです」リガッタは控えめに微笑みながら答えた。


「よかった。実はさ、あのお風呂に入ること、それが本当の勇者への第一歩なんじゃないかって、ずっと思ってたんだよね」


 妙な憧れ方である。リガッタはカナンの顔を見上げた。爽やかな笑みの中にやや狂気を感じる。とはいえ、彼の気分がいいことに間違いはない。今なら聞ける、リガッタはそう確信した。


「ちなみに、お風呂って服脱がなくても大丈夫ですか」


「駄目に決まってるでしょ」


 リガッタは肩を落とした。風呂に入れるのはいいことだ。大浴場となれば、当然男達は服を脱ぐ。魔王を倒した勇者の湯、当然楽しい思い出だって生まれるし、キャメラでチェ

ッキンを作ったって違和感はない。こんなに堂々と、男達の■■■■■のチェッキンを自然に作れるチャンスはないだろう!


 だが、リガッタ・ゲダールは服を脱ぐわけにはいかなかった。


 リガッタはそっと、自分の胸辺りに手を当てる。そりゃあまあ、ベダ先生みたいなばいんぼいんはしていないが、無し寄りとはいえ無きにしも非ずはなず。そして、最大の問題はやはり『無い』こと。彼の視線は己の股間に伸びていた。


 声は、〈ボイスチェンジリング〉のおかげで男風になっているが、体形は一切変わっていない。かっちりとした制服のおかげで多少はわかりづらいだろうが、その下は何も変わっていない、リコット・ダゲレオのままである。大魔導士ライカ・ダゲレオは■■■■■を見たことがないから当然らしいし、そもそも見たことがあればリコットは危険を冒してこんな地獄のような学園に入学もしていない。


 なので、リガッタ・ゲダールの股間には、少なくとも基本的に特殊な事情を除き生物学的に男にはあって然るべきものがない。


 そして、それがばれた瞬間、即ち、女だと周囲に知れた瞬間にリガッタはこの学園に呪い殺される。恐ろしい辱めを受けた上で死んでも死にきれないし死にたくてもしばらく死ねない悍ましく惨めな方法で死ぬ。


 リガッタの体が自然と震え出した。


「でも、リガッタ君も楽しみでうずうずしているみたいでよかったよ。どんな風になってるのかな」


 普段は気遣いに長けているであろうカナンだろうが、今の彼は完全に浮かれ切っているようだった。そして、それに水を差すこともリガッタには耐えがたかった。曲がりなりにも、彼はリガッタを助けた恩人である。


 ――断れない!


 しかも、気付けば手を掴まれていた。逆に、今嫌がれば女と疑われるかもしれない。


「ほら、ここが公会堂! 入学式と科卒業式でも使うから覚えておいた方がいいよ!」


 ついに大浴場のある公会堂についてしまった。校舎とは異なる、真っ白できれいに磨かれた石造りの巨大な建物。その見た目は、かなり宮殿に寄せた荘厳なものだった。


「ここの南棟の最上階が、ヴィヴォールの湯なんだ。早く行こう!」


 思ったよりも庶民的な名前。だが、そんなこと勿論言えず、リガッタは半ば引きずられるがままに公会堂へ足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る