第28話 説明しよう! ダンジョンチャレンジとは!

「この学園では、年度末にいつも、学園内のダンジョンを一斉に攻略して、内部の魔族を一掃するイベントがあるんだ」


 カナンは最後の共同トイレの掃除中にそう言った。すでに陽は大分傾いていた。結局、ほとんどのトイレ清掃はリガッタが行った。その間、カナンは黒焦げになった変な男子生徒、ドラッド・バセットを医務室に運んでいたからだ。


「ダンジョンが、この学園の中にあるんですか?」


 リガッタはモップで床を擦りながら訊ねた。カナンはまるで、幼い子供でも相手するように優しく微笑む。


「ダンジョンについてはどれくらい知ってる?」慎重にカナンは訊ねる。おそらく〈勇義〉すら知らなかったリガッタを前に、彼も彼なりに気を使っているのだと分かる。


「ダンジョンとか、魔獣については大丈夫です。ただ、わたしの家族は……あまり勇者のことが好きじゃないんです」


「なんで?」カナンは目を丸くした。だが、すぐに首を振る。


「いや、いい。余計なことを言ってしまった。気にしないで。家族って、色々あるよね」


「そう……ですね」リガッタは顔を伏せる。リガッタの場合は事情がやや異なる気もするが。


「ダンジョンは、わざと学園の中に作られている」そして、思案したカナンはまずそう言った。


「……物騒ですね」リガッタはそう感想する。


 勇者ヴィヴォールが魔王を討伐した後、統率を失った魔族は全て、地上から地下へ押し込められた。そして、地下に眠る強大な魔力を利用して作られた巨大な結界、即ち〈魔界〉の中に魔族は封印され、こうして人類は平穏を手に入れたのである。だが、その封印はやや特殊で、一部には穴が空いており、ダンジョンという形で地上に噴出しているのである。


「ダンジョン自体は〈魔界〉の仕組みの一つでもある。そうしないと〈魔界〉が破裂する恐れがあるからね。その場所も、なるべく安全なところにしないといけない。そういう意味でも、この学園はうってつけだったんだと思う」


「それで、ダンジョンの中には、魔界から溢れた魔族がいるんですよね」


「そう。それを、年度末のお祭りと治安維持を兼ねて、生徒が掃討する。それが、レンフィーマ・アカデミー最後のお祭り、ダンジョンチャレンジだ」


 カナンはモップで水を、側溝へ押し流した。


「ダンジョンチャレンジ……」リガッタはその、やや間抜けなイベントの名前を繰り返した。


「そして、これは、そもそもブギー先輩に関係なく、おれや、きっとリガッタ君も参加しないといけない」


「なんでですか」リガッタは反射的に訊ねていた。その口ぶりから察するに、そもそもこのイベントは任意である可能性が高い。なのに、何故自分が巻き込まれなくてはならないのか。リガッタには理解ができなかった。


「成績が足らない生徒の救済策でもあるんだ。ここでいい成績を収めれば、大体の授業の成績が足らなくても卒業できる」


 滅茶苦茶なシステムだ、とリガッタは頭を抱えた。一方で、別の疑問も浮かぶ。


「あの……先輩は、足らないんですか」


「……うん」


 訊ねておいて、しまった、とリガッタは思った。そう、カナン先輩は対して強くないのであるからして、成績もギリギリであることが想像できる。


「でも、こう言って気を悪くしないでほしいんだけど、リガッタ君は転入したてで、成績が足らないはずだ。だから、このイベントで好成績を上げないと、最悪退学になるよ」


「ひょぇ?」


 リガッタは目を丸くした。初耳である。


「こんな半端な時に転入したから、何か理由があるのだろうけど、まさか退学前提じゃない限りは、このイベントに参加して好成績を収めないと駄目だと思うよ」


 リガッタは理解した。リガッタはきっと、退学前提で入学している。ライカはおそらく、残り半年ほどあれば、■■■■の〈チェッキン〉を作ることは容易と考えているのだ。だから、あとは自動で退学になっても構わないと――彼女の寿命もあるだろうが。


「説明しろやい!」リガッタは思わず口走った。


「え? 何を?」カナンは間抜けな声を上げてリガッタに訊ねた。


「あ、違います。家族にです」


「ああ、説明されてなかったのか。可哀そうに」カナンは顔を伏せた。


「このイベントは、討伐した魔族の落とす金品や、ダンジョン深くのレアアイテムの数でポイントが貰える。それで、生徒同士が競い合うこともある」


「だから、シグ先輩はブギー先輩にあんな勝負をけしかけたんですね。決闘の代わりに」


 リガッタの言葉に、カナンは頷いた。


「イベントでは、パーティを組むことが必須になっている。当然、強ければ強いほどいい。だから、決闘の再戦という意味では、この上なく正しい。ブギー先輩には強い仲間がたくさんいるからね」


「確かに、おれ達の不利はそのままですね」


「うん、まあね」カナンは唇を噛む。


「でも、シグ先輩がいれば何とかなるんじゃないですか」


「そうだね。おれもそうは思うんだけど……正直言って、先輩を頼るのは少し危ういと思う。さっきはあっさり勝ったけど、何か怪しい」カナンは顎に指を当て思案した。


「ポイントで負けたらきっと、おれは退学、君には決闘のバツが一つ付く。おれはともかく、君にそれが付くのはよくない。なんとか、せめて数だけでもメンバーを集めたいんだけど……」


 リガッタは察した。多分、カナンの友人は、彼のパーティには入りたがらないのだろう。気持ちはわかる。だが、リガッタの友人だってほとんどいない。頭に浮かぶのは同じ部隊のソニだけである。それ以外に、まともに喋ったことがある人など、シグかベダ先生、或いは……


「あれ。そういえば」


その時、特にカナンを慕っているに違いない人物をリガッタは思い出した。


「眼鏡をかけた、なんかこう、スラっとした人はどうですか」


 リガッタの脳裏にあるのは、医務室で傷ついたカナンを前に、見舞いに来た上治療をすると言っていた男子生徒だった。


「それって、ニコルのことか?」その声色は、普段リガッタを優しく見守るような口調とは似ても似つかない、冷たく重いものだった。


「あ、いえ、そう、かもしれないのですが、名前までは、聞いてないです……」リガッタはつい委縮して答えた。その様子に、カナンは無言で、あ、と口を作り、


「ごめん、怖がらせるつもりはなかったんだ。でも、君が言うのがニコルだったら、あいつはおれには協力しない。あいつは、おれのことが嫌いなんだ」と言った。


「わ、わかりました。ごめんなさい」


 リガッタはなぜか謝り、そのまま気持ちを押し流す様に、モップでトイレの床の水を側溝に追い込んだ。だが、カナンは思案するようにそのまま動かないので、結局リガッタが残りの作業を行う。


「先輩、とりあえず、先生に報告しましょう、掃除終わったって」


 リガッタがそう声をかけると、カナンがびくりと飛び上がった。


「ごめん、全部結局君に任せちゃったね」


「いえ、大丈夫ですから。体は割と頑丈なので」


 とはいえ、徒労ではあった気もする。そもそも、首さえ突っ込むことがなければ無縁の大掃除だったわけだし、トイレ掃除はやはり気分がよくない。せめて、■■■のチェッキンが作れれば良かったが、結局そんなことはなかった。ただ、カナンのおかげで覚悟が決まった、そんな一日だった。前進はしたかもしれないが、結局何も達成はしていない。それに繋がる出来事があったわけでもない。


「あんまりそうは見えないけど……じゃあ、先生のところに……」


「その心配はいらない!」


 そう言って、男子トイレの扉を開け放ったのは、他ならぬベダ・ウィルダックだった。


「あ、先生……」


「先生、あまりそこにいるのはよくないですよ」顔をなんとなく伏せて、カナンが言う。すると、しばし思案した後、ベダは後ろを向いた。


「うむ。今日は、お掃除ご苦労。君達の事情は当然察しているが、まあ仕組みには逆らえない。だが、同情はする。というわけで、君たちにこれを上げよう」


 後ろを向きながら、ベダは取り出した紙切れ二枚を二人に投げた。それは、風のない閉め切られたトイレの中でふわふわと舞いながら、リガッタとカナンの掌中に収まった。


「これは……先生、いいんですか?」


 カナンが驚きに満ちた声で訊ねる。


「ああ、いいさ。存分に使い給え」


 そう言って、先生はつかつかと廊下へ消えていく。


「あの、先輩、これはなんですか?」とはいえ、リガッタもその表面に書いてある字ぐらいは読める。だが、故に問わねばならなかった。


「これは、普通、貴族の中でも上級の生徒のみが入れるレベルの、超希少な薬草を使った薬湯に入れる、貴重なレンフィーマ大浴場のチケットだ」


 心なしか、カナンの声すら震えている。相当貴重なものだろう。リガッタも、今、手の中にあるその紙切れの意味を深く理解していた。


「……おいおい、ここにきて本物のチェッキンチャンスかよ」リガッタはつい、反射的にそう口走っていた。

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