第26話 これはきっと、わたしだけの罪。誰にも絶対譲れない


「おれがブギーと決闘した時、君が割り込んでくれて、そう思ったんだ。情けないよな。全然勇者じゃない。でも、やっぱり嬉しかった。それは……おれなら、そうするから、だと思う」


「……」


 リガッタはなんと返したらいいやら、とりあえずカナンを見上げるばかりだった。そういうつもりではなかったと言いたかったし、そもそも自分は、彼の下半身をひん剥いて、あわよくば〈チェッキン〉を作ろうか思案したこともあるのだ。


「おれ、ずっと学園で一人でさ。いや、友達はいるけど、そうじゃなくって、考えることとか、やることとかさ。同じだ、って思える奴は一人もいなくてさ。ずっと、寂しかったんだ」


 伏し目がちにカナンはしかし、ちらと確かにリガッタの顔色を窺った。


「でも、そうじゃないかもって思えて。おれ、リガッタ君に会えてよかったよ」


 カナンは深呼吸を挟み、ついにしっかりとリガッタの目を見た。


「一人じゃない、そう思わせてくれて、ありがとう。あんまり君にとって、まだいい思い出はないかもしれないけど、大丈夫。いつかきっと、どんなにつらい思い出も、楽しかったって、言えるようになる。いや、そうなるように、おれと一緒にこの学園で頑張ろう」


 そういって彼は立ち上がり、リガッタへ手を伸ばした。リガッタは思わず彼の手を取った。


「よし、じゃあ次! そうだ、トイレ掃除全部終わったら、また〈キャメラ〉を使おう! 楽しいときに一杯使って、そういう思い出を残すのに使えるな! それ」


「えっ?」


 リガッタは思わず目を丸くした。カナンは間違っている。これは男性の■■■■■の〈チェッキン〉を作り、姉が性的な興奮を覚えるために作られたのだ。そんな、高尚なものではない。


「リガッタ君さ、お姉さんとどういう仲か知らないけど、〈キャメラ〉のことは好きじゃないでしょ?」


 その言葉は、リガッタにとって思いも寄らないものだった。リガッタはつい、〈キャメラ〉のレンズをまじまじと覗き込んだ。


「だってさ、その道具、ブギー先輩を脅したりすることにも使えるし。君だったら、そんな卑怯な使い方をするのだって、不本意なはずだ」


カナンはリガッタのことを真っ直ぐ見つめてそう言った。リガッタはそんな彼を直視することができなかった。実際は脅迫どころか何か未来のより高度で低俗な犯罪をするために作られたものだ。


「それは、まあ……」これは、卑怯なことをする前提で作られた道具。リガッタは無意識のうちに〈キャメラ〉を手で覆った。


「でも、思い出って不思議でさ。今は嫌なものでも、いつか、おれ達次第では良かったって、そう思える日が来るはずなんだ。だから、ブギーのチェッキンを作った君は、悪くない。その魔導具は、未来も含めて楽しかったって言えるような楽しい思い出を、たくさん記録する道具なんだよ」


そんなことがあるのだろうか。リガッタはじっと、〈キャメラ〉に視線を落とした。これが、本当の〈キャメラ〉の使い方なら、まだこの道具のことを好きになれる気がした。


「確かにブギーにとっては醜態でもさ、そういうのだっていつかきっと笑い話にもなると思う。でさ、そういう時に〈チェッキン〉があると、きっと将来がもっと楽しいんじゃないかな」


 そうだ、チェッキンを集めて本にするのはどうだろう、見返すのが簡単になる、とカナンは笑った。リガッタは曖昧に微笑んだ。


「思い出を形に残せるその〈キャメラ〉って道具、おれは素敵だと思う。その道具、たくさん作られたらきっと、未来はもっと楽しくなると思う。そうでしょ?」


「カナン先輩……」


 リガッタはそのとき、全てを理解した。そう感じた。それがきっと、この〈キャメラ〉という道具の正しい使い方なのだ。そして、もう一つ。


「どんな醜態だって、恥ずかしい時だって、いつか楽しい思い出になる……それが、〈チェッキン〉」


 リガッタは、噛み締めるように言った。


「せ、先輩! じゃあ、これで股間丸出しの先輩のチェッキンを作っても、いつか笑えるでしょうか?」


「当たり前じゃん。そういうものでしょ」


「じゃあ、わたしと、これからもたくさん、恥ずかしい〈チェッキン〉、作っていいですか?!」


「いいよ! おれだって、そうなったらいいなって思う!」


 カナンは飛び切りの笑顔で答えた。リコットは決心した。今は、先輩の勘違いでいい。いつか、それがリコットの後悔になるかもしれない。これが未来の犯罪になることもあるだろう。でも、それでいい。胸にチクリと刺さるもの。今のリガッタに必要なものは、それだった。


許可は貰った。だが、それより大事なもの、罪悪感。おのれが悪を為すという認識。カナンから赦しを得たことで理解した。姉は間違っていた。悪は悪だ。それから目を逸らしてはいけない。例えそれが犯罪でなかろうと、赦しを得ても変わらない。


 ——わたしに足りなかったのは、罪の意識とそれを犯す覚悟。


 この〈チェッキン〉を作るという任務は、姉の最期の願いでもある。わたしは、それを、できる限り叶えなくてはならない。否、叶えたい。


 だって、お姉ちゃんとの思い出って、全部どうでもよくてくだらないから。いい思い出なんてわからない。でも、一つだけはっきりしていることがある。いつか、そのうち一つでも多くの思い出が、『いいもの』になればいい。


 ——嗚呼、わたしは欲しかったのだ。姉との『いい思い出』が。幼いころはずっと一緒だったのに、気付けばいなくなっていて、ぽっかりと空いたこの寂しい時間を埋めたい。


なんでこんなに辛い目に遭ってもなお、わたしが姉の願いを叶えたいと思う理由。それがやっとわかった。これが、余命幾許かの姉との、最期の思い出になるからだ。


「思い出は、大事だもんね」


 リガッタの心中から、ゆっくりと悩みが消えていく。確かに、カナン先輩には悪い。罪悪感も残る。でも、隙があれば彼の■■■■■の〈チェッキン〉をリガッタは作るだろう。


 ――未来、わたしは、罪を犯すでしょう。相手は、それでも許してくれるかもしれない優しい人です。でも、赦しを請うことはしません。これはわたしだけの罪。


 ——チャキ!


 リガッタは、すでに先を行くカナンの背を〈チェッキン〉にした。


「ごめんなさい、先輩。でも、いつか、わたしにできる償いはしますから」


 リガッタは静かに誓いを口にした。


「おう、お前、誰に謝ってんだ?」


「ひょいっ!」


 突然背後から声がかかり、リガッタは妙な叫びをあげて振り返った。そこには、気の強そうな目つきの悪い男子生徒が、ぎりぎりとリガッタのことを睨みつけていた。知らない生徒だ。リガッタの血の気が引いていく。


「別になんでもありませんよ」リガッタは素早くそう言って、身を守るように一歩、二歩と下がった。


「そうか? それよりも、聞きたいことがあんだけどさあ」


 柄が悪い。リガッタは何となくそう直感した。ブギーとはまた違う、下から突き上げるような底意地の悪さ。


「はい、わた、おれにわかることなら……」


 彼は、リガッタの怯え切った姿にいたく満足しているようだった。


「そうか、なら聞くけどさあ、お前がリガッタ・ゲダールか? そうだったら、ちょっとツラ貸せよ、なあ、『お嬢様』?」


 


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