第6話-1 一瞬の戦い

 その決闘は、あまりにも壮絶、一瞬だった。


 身長二メートル以上の男子生徒、ブギー・ブイルドン。体重はその筋骨隆々な様から見て、下手したら百キログラムを超えている。


 対して、突然リガッタを守るかのように現れた男子生徒、カナン・キルノは大きく見積もっても百七十八センチメートルほど。体重は五十キログラムあるだろうか。


 そんな二人が、これまた重量も大きさも倍ほど差がある剣をぶつけ合えば、どうなるのか。


「あびゃん」


 結果はあまりにも明白で、リガッタは思わず顔を覆ってしまった。天井、床、天井、床、天井、床、と跳ねながら全身を隈なく打ち付けて、情けない悲鳴を上げたのはカナン・キルノだった。


「お前さあ、本当に学ばないよな」


 呆れ口調でブギーは言う。どうやらこのやりとり、二度三度ではないらしい。


「お前、二年で相変わらず最下位なんだろ? もう退学しろよ。お前、才能ないんだよ」


 そういいながら、ブギーはカナンに迫り、その胸を踏みつける。カナンは肺の動きを制限され、呼吸ができずに口の端から唾を飛ばしてびくりと震えた。


「当然、〈勇者〉の才能だ」


 カナンの口から悲鳴の代わりに悲痛な呼吸音だけがひょう、と漏れ、全身を悶えさせた。


「お前みたいに、力もなく蟻みたいに地面でバタつくだけの奴が〈勇者〉を語るな」


「あ、あ……」


 体を仰け反らせているのは、抵抗ではなく苦痛に対する反応だ。たった一撃でカナンはブギーに抵抗する術を失い、今まさに文字通り、踏み潰されようとしていた。


 ——やめて!


 たった一言、そういえたらどんなに良かったか。だが、リガッタの口からはそんな言葉の一粒すら漏れることはなった。リコットとブギーの間には、彼がだらりと左手に下げる大剣があった。あれで、一擦りでもされれば、リガッタの体はばらばらに千切れ飛ぶだろう。


 そんな状況にあって、カナンはただ口をぱくぱくと、陸にあげられた魚の様に動かしている。ふん、とその様子がおかしかったのか、ブギーは足を下ろし、カナンの胸倉を掴んで立ち上がらせ、そして壁に投げつけた。その位置は、丁度リガッタの真横だった。激しい衝撃の後、ずるずるとリガッタの隣にカナンが滑り落ちてきた。


「言いたいことがあったら聞いてやろう。これで五回目だからな」


 そして、こともあろうに、ブギーは余裕ぶってカナンへ背を向けた。リガッタの視線はそのまま、エントランスホールへ向いた。今なら、カナンは走って逃げることができる。


「に、逃げてください……」


 故に、漸くリガッタが口に出来た小さな言葉がそれだった。そして、そっと彼の肩をエントランスの方へ押し込む。あまりにも弱っている彼の姿だったがしかし、そんなリガッタの力には強く反発した。


「〈勇者〉に、逃げるという選択肢はない」


 カナンは口の端から涎を垂らし、定まらない視線のままそう言った。そして、剣を床に刺して杖代わりに、震えながら立ち上がる。


「お前、まだそんなこと言えるのか。この状況で」


 フン、とブギーは鼻で笑う。


「勇者なんてのはな、魔王が討伐された時点で時代遅れなんだよ」


 愉快そうにブギーはその大仰な剣をぐるんぐるんと振り回す。


「この学園だってそうだ。だが、この学園を卒業するのは、価値がある。国内外を問わず、ここを卒業したということは、力があるということだ」


 どん、と彼もまた床に剣を突き立てる。だが、その振動はカナンが杖代わりに剣を立てたこととは全く意味が異なる。廊下に飾られた絵が一枚、二枚、三枚と、次々床に落ち、弾けてその中身を零した。そしてカナンもあっさりとバランスを崩し、ブギーの前に膝をつく。リガッタはただ口を押え、壁に背を床に尻を押し当てたまま小さく震えることしかできなかった。


「ここで主席卒業を果たし、やがてこの国を、そして世界を支配するのはこの俺だ!」


 そう言って、今度は剣を天に掲げ、大いに吼えた。床に潰れている二人など当然目に入っていない。


「お前は負けだ、カナン。五回目だ」


 その時、仄かな燐光を放ちつつ、カナンの制服の左胸、決闘が始まった時は棒線だったそれが変化し、小さなバツ印になった。よく見るとその数は五個目。


「だが、まだだ。おれは、逃げない。何度でもお前と戦う」


 カナンは床に伏せたまま、それでも声を放つ。ブギーは舌打ちした。そして、彼に向き直り、こともあろうに剣を振り翳した。


「なら、ここで終わりにしてやったっていい」


 当然、カナンにそれを防ぐ手立ても力もない。リガッタの体は震え、当然彼を庇うなどという行動もとれない。ただ、恐怖に口を塞いで震えるのみ。


「待て待て、これはどういうことかな」


 その時、からりとした女の声が廊下に響いた。ベダ・ウィルダック。おそらくこの学園にて『公認』の唯一の女教師。


「あ」


 そして、ベダの登場にブギーはあまりにも間抜けな声を上げ、素早く剣を隠した。


「ブギー、君が大暴れするのは構わないが、場所は考えてほしいな。あれ? これは、決闘か?」


「え、あ、その……」さっきまでの威勢はどこへやら、ブギーの視線が右へ左へ。


「えーっと、そうです。先生。こいつ、カナンが転入生をいじめていました。俺はこの学園の五年生の首席として、そして何より一人の〈勇者〉として彼の行いが許せず、決闘を申し込みました」


 急に背筋を伸ばし胸を張り、ブギーはカナンを指した。リガッタは言葉を失った。こいつ、何と言った?


「カナン・キルノは卑劣にも、ベダ先生と転入生が仲良くしているのを見て嫉妬したのでしょう。見苦しくも、服装が乱れているなどと嘯いて、転入生を虐めていたのです。嘘や偽りも勇者の行動ではないのは明確です。俺は、ブイルドン家の者として、何よりフィルマータ・アカデミーの勇者候補生として嫉妬に狂った貧相で哀れな男に名誉の決闘を申し込んだのです」


 彼の言葉に、何故かリガッタの目に涙が浮かび始めていた。


「勿論、名誉というのは、卑劣を見過ごすのは〈勇者〉のすることではありませんので。俺は無事に勇者の名を守り、卑劣な悪を正義の決闘で下しました。これで、決闘の申請は大丈夫ですよね、先生」


「あ、あ……」


 見過ごすわけには、そして聞き流すわけにもいかない。気付けばリガッタは声を上げようとしていた。だが、それを止める手があった。はっとしてふり見れば、それはカナンだった。


「カナン君、それはいけないな。全く、しょうがないやつだ。決闘の結果は学園には届けておこう」先生はやれやれと首を振り、カナンを見下ろす。違う、とリガッタは叫びたい思いに駆られたが、当のカナンがやつれた顔で首を振っている。


「はい、先生。僕が、悪かった。でも、とにかく転入生は、関係ない。それだけは、約束してくれ」


 カナンは絞り出すようにそう言うと、ばったりと床に倒れ込んだ。


「わかったよ。君の気持は汲む。さて、彼はわたしの魔法で医務室に送ってやろう」


 ベダは壁に触れる。すると、カナンの背後の壁が歪み、ぽっかりと虚空が空く。その向こうから、真黒な手が伸びて、あっさりと彼を連れ去ってしまった。


「ありがとう、ブギー。どうやら君のおかげでこの学園の名誉は守られたようだ。勇者ヴィヴォール様も、ご存命であればさぞお喜びであろう」


「いいえ。当然のことをしたまでです。次代の〈勇者〉を担うのはこの俺ですから」


 ブギーは胸を張ってそう答えた。


「リガッタ君、ちょっと野暮用があってね。もう少しそこで待っていてくれるかな」


「は、はい……」リガッタは何とか言葉を発す。そんな様子にベダは深く頷いて、さっさと廊下の奥へ歩き出してしまった。そんな彼女を見送って、ニタニタとブギーは微笑みながら、未だに立てないでいるリガッタの顔の真ん前で身を屈めた。彼の息がリガッタの顔面に掛かる。


「転入生、命拾いしたな。今日の所は見逃してやる」


 どろりと吹きかかる吐息にリガッタはつい、体をびくりと震わせた。その様がおかしかったのか、ブギーはかっかと笑った。


「なんだかお前、勇者どころか男でもないな。まるで〈お嬢様〉だ。おかわいいこと」

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