第17話 勇者の資格がない男

「いなくなるのは、わたしのせいですか」


 リガッタは反射的にそう訊ねた。カナンは唇を噛み、しばし考えた後、答える。


「違う。だけど、その責任の一端は、確かに君にある」


 その一言は、何故かリガッタの胸を潰すような威力を持っていた。


「おれは明日、もう一度ブギーに決闘を申し込む。だけど、それはおれの名誉と、何よりこの学園に、彼のような不届き者を、見過ごさずに立ち向かった人間がいることを示すためだ。君には関係ない」


「でも……」


「この学園の決闘の仕組みを知っているようだから、言う。おれは君を助けるために、五回目の敗北をした。次で、退学だ。おれがブギーに、勝てないとは言わない。だが、きっと、明日にはこの部屋は空き部屋だ」


 テーブルの上で、カナンの手がきつく握られている。


「君に何も言わないで、退学になることもできた。だけど、それはきっと、おれ以外の誰かのためにはならない。こんなことを言われて、君はきっと、責任を押し付けられたような、嫌な気分にはなるだろうけど。でも、聞いてほしい」


「なんで、急にそんな……」リガッタは、口の中の味が急に引いていく思いがした。


「おれは、勇者にはなれなかった。退学になる。でもそれは、おれの実力不足でも何でもない。退学する原因を、後輩に押し付けるような、浅ましい人間だったからだ。こんなやつ、勇者の資格はない。ただそれだけだ。この学園は、実力ではなく、勇者の資質がない人間が退学になる場所なんだと、僕はそれを示したい」


「な、なにを言っているんですか!」


「だから、君に託す。君には、少しでも本物の勇者としてこの学園を卒業し、あの門を潜ってほしい。それだけだ」


 そういって、カナンはナイフとフォークを皿の上に置いた。いつのまにか、彼は食事を終えていた。


「なんとなくだけど、君は勇者に向いているよ。おれよりも。だから、期待している。冷たいドリンクも用意したんだ。どうかな」


「い、いらないです!」リガッタは思わず大声を出した。そして、立ち上がる。


 カナンは驚いた表情をして、リガッタを見上げた。


「もう、帰ります」


「そう。じゃあ、せめてこれを」そういって、リガッタは冷気漂う箱の中から瓶を取り出した。例のドリンクだろう。


「おいしいよ。おれの知り合いが結構な金持ちでね。まあこの学園はみんなそうだろうけど。でも、これはすごく……」


「料理、おいしかったです。ごちそうさまでした」


 リガッタは、気付けば逃げるようにカナンの部屋を飛び出し、自分の部屋に戻った。そして、ベッドに潜る。


「なんだよ、なんなんだ、どいつもこいつも、勝手にわたしに、わたしを何だと思っているんだ」


 そういって、自分の声が男なのが気持ち悪く、指輪を外して投げ捨てた。


「最悪だ。もうこんな学園辞めてやる。お姉ちゃんなんか知ったもんか」リガッタの目から、もう出ないと思っていた涙が噴き出た。


「そうだ。カナンは悪くない。悪いのは、お姉ちゃんだ」


 リコットはベッドから顔を出し、床に捨てられたキャメラを見た。リコットはキャメラの下部につけられた棒を伸ばし、自分の顔が、レンズのすぐ上の鏡に映っていることを確認した。


「ライカの馬鹿!」

 チャカ!

「お前のせいで、最悪な目に遭ってんだけど!」

 チャカ!

「なにが最後の願いだ!」

 チャカ!

「お前のせいで、お前のせいで!」

 チャカ!

「大魔術師だったら、もっとやり方あっただろ!」

 チャカ!

「最低だ! お姉ちゃんなんか最低だ!」

 チャカ!

「人に迷惑かけて、かけて、自分だけそうやって……」


 リコットはそこまで叫ぶと、漸くキャメラを下ろした。知らない間に呼吸が乱れ、肩が上下していた。キャメラを机の上に置く。床には、キャメラから吐き出された黒い紙、チェッキンが散らばっていた。姉の最高傑作達。それを一枚一枚拾っていく。最後の一枚は、彼女の荷物の上に落ちていた。まだ開けていない箱がたくさんある。だが、そのチェッキンが落ちた箱は、見慣れないものだった。


「なにこれ」


 リコットは、まるで見えない手に導かれるようにその箱に手を掛け、開いた。


「え、これは……」


 リコットの手が、勝手に震えだした。これは、こんなところにあっていいものではない。本来なら、お父さんが厳重に保管しているはずの、ダゲレオ一族の家宝である。これがこんなところにあるなんて知れたら、怒られるどころではない。


 だが、一方で、何故かリコットは『それ』を手に取り、部屋を照らすランタンに翳していた。一度だけ見せてもらったことがある。まさにそれと瓜二つである。否、『本物』に違いない。


「まさか、ライカがこれを、わたしに……」


 ライカが身を案じ、こっそりと送り付けた、そういうことだろうか。それとも、偶然紛れ込んだのだろうか。だが、なんにせよ、それはダゲレオ家に受け継がれた紛うことなき逸品である。


 これを握っているだけで、自然と勇気と、そしてあの、父と母、姉との修行の日々を思い出す。ダゲレオ家の人間だからと受けさせられたあの苦痛に塗れた毎日。


「わたしに、これが使えるの?」


 リコットはそれを、じっと見つめ続けた。ダゲレオの一族がその家名を押し上げた一因。押し寄せる家より大きい魔獣をねじ伏せる、その戦術を実行するためだけに作られた究極の魔導具。それが今、リガッタ・ゲダールの手の中にある。


 気付けば彼は、その柄をきつく握りしめていた。

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