第10話 医務室の眼鏡男

『チェッキンチャンスを見つけたら、すかさずレッツチェッキン!』


「馬鹿か、お前は」


 リガッタは大きく溜息をついた。姉が病室のベッドの上で、元気よく叫んでいた奇怪な言葉を反芻する。


 今、リコットはフィルマータ・アカデミーの医務室のベッドの上に横たわる少年を見ていた。


 こんな学園に思い入れはない。一刻も早く帰りたい。しかも、自分が女だと知られれば、呪いがかかって世にも恐ろしい辱めを受けた上で死ぬ。しかも、勇者を輩出する学園と聞いていたがそんなものどこにもいなかった。


 ——わたしの目的は、姉の望みを叶えるため、この学園にいる多分姉好みの男子生徒の■■■■を、キャメラを使ってチェッキンに写し、彼女へ送りつけてやることだ。


 リガッタは、キャメラを片手にこっそりと、彼の布団をめくってみる。そして、傷だらけの少年、カナン・キルノの上半身をしげしげと見つめた。鎖骨から下を、さらに下へ下へ。


彼は確かにブギーによって一瞬で伸されてしまったが、この学園の生徒らしく、ぎっちりと鍛えられた胸襟や腹筋をリガッタはしかと確認する。多分、これなら姉も満足するだろう。しかも、彼はぐっすり眠っている。しばらくは目を覚ますこともないだろう。


 リガッタは唾を飲みこんだ。後は、カナン・キルノの下半身を脱がし、キャメラのスイッチを押すだけ。


 そして、リガッタは、もといリコットは、とっととこの学園から脱出すればいい。卒業や、ましてや勇者になる必要などこれっぽっちもない。長居すら必要ない。


 それなのに、リガッタはそっと、カナンの無防備な、自らの危機に一切気付いていない寝顔に向かい指を向け、その頬をつんつんと突いた。


「お前は馬鹿か」


 思い浮かぶのは、ブギーなる生徒が自分の胸倉を掴み、或いは服装が乱れていたといってリガッタの体に触れたこと。そんな彼を咎めもしない勇者創成学園の生徒たちの姿。もしくは、自分を勝手に庇って決闘まで申し込んで、廊下をよく跳ねるボールの様にごろごろ転がり、あっという間に傷だらけになったカナンの姿。そして、それを、見なかったことにしようとする先生。


「もう、帰りたいよ」


 リガッタは大きく息を吐き、キャメラから手を離し、ちゃっちゃと彼に布団を掛けてやる。何も知らず、ぐっすり眠ったままのカナンを睨み、歯をぎりりと鳴らした。ただ、何故か目が潤み、やり場のない何かを込めて、ただただリコットは拳を振り上げ、振り下ろす、その時。


「何やってるんだ、お前は」


「ひょっ!」


 リガッタは突然聞こえたその声に慌てて振り返った。そこには、知らない男子生徒がいた。きらんと輝く眼鏡の奥から、ぶっ刺すような鋭い視線。カナンよりも背は高く、しかして薄く、とにかく薄く研がれた刃のような生徒だった。


「あ、あの、わたしは……」


「急に手を上げて、何をしている」


「あばばばばば」


 リガッタの思考が停止した。もう駄目だと思った。急に男子の布団をめくり、改めて布団を被せるなどという珍行動、全て見られていたのなら完全に不審者である。しかも、全てに意味がない。故に輝く変態性。


「き、君こそ誰だ!」


 そうしてついに導き出されたリガッタの言葉はあまりにも阿呆であった。すると、対手は目を丸くし、リガッタに代わって硬直した。ここぞとばかりに、リガッタは自分がここにいる正当性を主張しようと考えた。


「お、おれは、彼の見舞いに来た。その、色々と、色々と、ありまして……」そうしてカナンがここに至った理由が自分であることを思い出し、どんどん声が小さくなった。正当性を主張しようとすればするほど、ブギーに対して何一つ言い返せず、カナンに助けてもらっただけの自分の弱さを自白することになる。そして、その結果、カナンはこうして傷だらけになったのだ。自分に、見舞いをする資格などあるのか。正当性とは。


「君が全部悪いのだろう」


「ぐふぅ」


 人はあまりの正論を突きつけられるともう言葉が返せなくなる。もう床を見つめて震えるしかない。故にリガッタはぷるぷると押し黙った。


「だが。なんにでも首を突っ込みたがる、こいつが一番悪い。自分の実力もわからないで……全く、馬鹿かお前は」そういって男子生徒は、カナンへ向けて溜息をつく。


「い、いえ、そんな……」小声でリガッタは当たり障りのない言葉を足した。


「だが、そもそも今は授業中だ。なんでここにいる。君は噂の転入生か?」


 何故ばれたかわからないが、彼はリガッタをじろじろと見てそう断じた。リガッタは黙って頷く。すると、彼はやれやれと首を振る。


「どうせベダ先生が治療もしないで置いて行ったんだろう。本来なら、君が教室にいないことを咎めるべきだが……」彼はじろりとリガッタを睨む。


「ひい」リガッタはつい悲鳴を上げる。しかして、彼の視線はリガッタから、傍の机に放置された花束に移る。


「その花は?」眼鏡の彼がリガッタへ問う。


「おれが、持ってきました。でも、これは貰い物で……」


「なら、その花を持ってきた事に免じて、今日は見逃してやる。彼の治療はおれがやるから、君はもう、早く教室に行け。少ししたら鐘が鳴る。生徒会の命令だ」


 そう言って彼はドアを指した。


「どうした、早くしろ」


 なぜ足が動かないのか、リガッタはさっぱりわからなかったが、自分の足が震えていることに遅れて気付いた。そうだ、敵意を剥き出しにした彼があまりにも恐ろしいのだ。ある種、ブギーよりも危ないのではないかと本能が断じている。大きく息を吸い、気を落ち着ける。


「でも、わたしが、おれが悪いので。せめて治療はおれがやります」そして、考えていることと真逆のことを口にした。すると、対手は目を丸くし、しばしリガッタを見た。


「不要だ。そもそも、どうしてカナンが体を張ったのかわからないのか。お前がちゃんと学園で過ごすためだろう、ここはおれに任せろ」


 言い返せない。そもそも、リコットは治療魔術に長けているわけでもない。


「……わかりました」


 失礼します、と消え入りそうな声でいいながら、そそくさと、早急に医務室を飛び出した。


「なんなんだ、あいつは」


 しかして、リガッタはつい、廊下でそんなことを独り言つ。


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ここまで読んでいただき誠にありがとうございます!


まだちゃんと続きがありますので、このままお読みいただいてもうれしいのですが、ぜひコメントで感想などなど残していただけるととても励みになります!


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