第9話 キャメラとは何か
「いいかね、妹よ、リコット・ダゲレオよ。まず、君にはこれを授ける」
「なにこれ」
病床にあって、ついさっきまでわたしはもう死ぬから後は頼んだよ最後に会えて嬉しかったもうやり残したことはないし君は君で元気でおやり的な雰囲気を醸し出していたライカ・ダゲレオは、きらっきらの笑顔で、呆れ果てた表情の妹へ、一つの箱を見せつけた。
「これはね、わたしの人生を懸けて作った、魔導具の中でも最高傑作なの」
呆れ顔でいたリコットだが、そう言われるとその箱に吸い寄せられるように顔を近づけた。何はともあれ、対手はこのオビュリシカ王国が認めた最高の魔術師の称号を持つ女。そんな彼女が人生を懸けて作ったとあれば、ついつい関心が沸くことも栓無き事。
その箱は、リコットの小さな両手になんとか収まるほどの大きさ。上面にはスイッチが一つ、そして下面にはなにやら棒が折り畳まれてくっついている。そしてなにより、正面には鏡と大きなレンズが嵌っていて、間抜け面を晒すリコットの顔をぼうっと映していた。
「とりあえず、もっと寄って」
ライカはそう言って、その細くなった手でリコットの肩を抱き寄せた。二人の顔が並ぶ。驚いて目を丸くしているリコットを尻目に、ライカは箱の底面の棒を伸ばす。そしてその棒の先端を持ち、箱を二人から離したところに遣る。
「ほら、あの鏡見て」
ライカは箱の上、レンズ横の鏡を指し、その中に不満そうな顔のリコットと、溌剌とした笑顔の自分が収まっているのを確認すると、
「はい、チェッキン!」と大声を出した。そう言いながら、握った棒につけられたスイッチを押す。
——チャカ!
何が起きたのか理解できていないリコットは、姉の奇声とその箱から発せられた機械音に目を白黒させるのみ。
「え、何、何が起きたの?」
「まあまあ、落ち着いて」
姉は余裕ぶって箱を手の中に戻す。すると、箱の側面の溝から、じごー、という怪しげな音と共に一枚の紙が吐き出された。
「ひいいっ!」
目の前で起きた出来事の意味が分からず、リコットは飛び上がって姉から離れた。
「そんな、とって食いやしないよ。ほら、この紙持って」
姉から手渡された紙を恐る恐る手に取る。真黒な紙切れだったが、妙な光沢をもっている。
「さあ、それ、振ってみよう! びっくりするよ」
「振る?」
リコットはぱたぱたとそれを空気に晒してみる。だが、何の変化もない。
「もっと早く!」
急に姉は声を荒げた。それに急かされるように、仕方なくリコットは手の振りを速める。
「もっと、足りない足りない! やる気あんのか! そんなんじゃ世界には行けないぞ! 列だってあるんだ、急げ急げ!」
「知らないよ! ふざけないで!」そう言いながら、息が切れるほどの勢いで、リコットは紙切れを振り回した。汗が浮き出始めた頃合いで、ライカはリコットの動きを身振りで制した。
「さあ、見てみなさい!」姉に促されるまま、リコットは手を止め、紙を見る。すると、そこにじんわりと絵が浮かんできたではないか。否、絵どころではない。精緻も精緻、どんな肖像画家でもそれに類する魔術師でもできないであろう明朗な彩でもって、不審そうなリコットの顔と、自信たっぷりのキメ顔を輝かすライカの表情が、紙切れの上に浮かび上ってきたではないか。
「なにこれ!」
リコットは思わず叫んだ。それに対し、姉はにやにやと妹の表情を見つめる。急に恥ずかしいやら悔しいやらで、リコットは顔を伏せた。
「それが、お姉ちゃんの大発明! 魔術の粋を集めて、その箱のレンズに映ったものをどんな画家よりも精緻に描き出す『瞬間色彩輪郭明暗描画魔導具』略して〈キャメラ〉!」
「どこをどう略したの?」リコットは素直に疑問を口にした。だが、姉はそれを無視して続けた。
「そして、その〈キャメラ〉から排出されるそれは、最早、絵とは異なる新しいジャンル、芸術に違いない。故にその名前をわたしは〈チェッキン〉と命名したよ」
リコットは改めて、手の中にある色彩豊かな紙切れをしげしげと眺めた。
「チェッキンは、何の略なの?」リコットは素直に疑問を口にした。
「いや、スイッチを押したらそんな感じの音がするから」そう言ってライカはキャメラのスイッチを指す。
「命名法則は統一しようよ。後で色んな人が困るから」リコットは素直な意見を口にした。だが、姉はそれ無視して続けた。
「さらに、そのチェッキンは、ここにもある」
ライカは枕の下から扁平な箱を取り出した。それを開くと、中にはリコットが持つそれと同じ〈チェッキン〉がある。
「え、どうなってるの?」リコットは状況が呑み込めず、自身の手の中のチェッキンとライカがにやにやしながら掲げるチェッキンを見比べた。寸分違わぬ同じものが、姉妹の手の中にそれぞれある。
「キャメラでチェッキンを作ると、その写しがわたしのキャメラにも届くようになってるの。すごいでしょ」
「すごすぎる……」リコットは思わず言葉を漏らす。あれ、もしかしたらこれが普及すれば、手紙なんていらなくないか。全て、このキャメラとチェッキンを応用すれば、どんなに離れていても連絡が取れる気がする。これは、この国の情報伝達における大革命ではないか。そんな可能性を、普通の人間ならば考慮するのであるが、それよりもまず、リコットはとある疑問に行きついた。
「ねえねえ、つまり、チェッキンってさ、あんなに振り回さなくても色が出てくるってこと?」
「うん。チェッキンが画を映すのは時間経過だよ」
「じゃあなんで振らせたの!」リコットの脳裏にあるのは、このチェッキンが画を移すまでそれを振り回した記憶であった。故に、この世界を揺るがす情報通信革命は二十年程遅れることになる。
「いやあ、それでもさ、ぶんぶんした方が早く色が出る気がするんだよね。勿論気のせいだし、さっきの動きはリコットの丸損だよ。えへへ」ライカは屈託のない笑みを浮かべる。
「きいいいいっ!」リコットは地団太を踏み、ライカといえば満足そうにその様子を見つめる。
「さて。ここからが本番。リコットには、そのお姉ちゃんの最高傑作、世界にまだたった一つの最強大魔導具キャメラを託す」
「え、いいの?」
「うん。それが普及するとね、きっとこの国は変わってしまうんだ」
ライカは急に遠い目をして外を見る。
「それは、そうかもしれないけど」きっと画家の皆様は廃業の危機だろうとリコットはややずれた想像した。
「キャメラは人間にとっての一瞬を永遠にする。きっと、この先、本来であれば時とともに薄れるたくさんの人の恥ずかしいところも、一生の鮮度をもって残ると思う」
「ん? 恥ずかしいところ?」リコットは思っていた変化と違う言葉が姉から飛び出したことに首を傾げる。
「故にきっと、無断で誰かのチェッキンを作ることは、この先犯罪になる。道具に罪はないのにね」ライカは愛おしそうにキャメラを撫でた。
「うーん、それは……」キャメラは本気で使えば、無断で誰かの知られたくない姿や、見られたくないものを、本人の気付かないままに永遠とすることができるかもしれない。それは、確かに将来、犯罪と定義されるかもしれない。
いつになく難しい顔をしている姉の顔に、リコットは唾を飲んだ。
「だが、それは、『今』ではない!」
急にライカは大声を出し、リコットの瞳を深く見つめた。
「だからリコット、一生のお願い! このキャメラが普及し、他人のあられもない姿を無断でチェッキンすることが犯罪になる前に、お姉ちゃん好みの割と細めなのに腕とかなんかこう、ムキッとしてて胸板厚め腹筋バキバキな年下の男の子の■■■■■を、このキャメラでチェッキンしてほしいの!」
「はあ?」
「チェッキンチャンスを見つけたら、すかさずレッツチェッキン!」
「馬鹿かお前は!」
リコットは全身が熱くなるのを感じた。何か、言わなくてはいけないことがたくさんある気がする。何が国が変わるなのか。その趣味にあふれた要求は何なのか。また■■■■っていったな! チェッキンするってなんだよ。新しい動詞を作るな! っていうか一生のお願い二度目じゃん!
「お前は馬鹿か!」そうして顔を真っ赤にしてまで練りだされたリコットの二言目は、一言目と何ら変わりがなかった。彼女には今、自身に渦巻く感情を、正確な言葉として出力するだけの賢さに欠けていた。
故に、リコットはただ、目を潤ませて自分を見上げるだけとなった姉をぎりりりり、と睨みつけた。
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