ヴァ―レ・リーベ~最後の贈り物~

麦とお米

第1話 天才少女

「ふわぁ……ぁぁあ」

 可愛らしい顔とは裏腹に、手で口元を隠しながら、しかし隠しきることが出来ないほど大きく口を開け、なんとも間の抜けた欠伸が青空に解き放たれた。

 小黒友里おぐろ ゆりのきめ細かな長い水色の髪は、朝の爽やかな風に靡いている。髪をしっかりと手入れすれば、それだけで見る者の心を掴みそうな彼女であるが、彼女は普段から身だしなみを整えることを怠っている。特に今日なんかは、寝癖で所々が跳ねている。加えて、少々変わった性癖を持っているため、近づこうとする者は、あまりいない。

「お前……また、徹夜してしてたのか?」

 彼女の隣を歩く古谷奏汰ふるや そうたが、彼女に半ば呆れたような視線を送る。

 実験。友里は奇妙なことに、16歳にして実験やら研究やらを好む。幼少期から繰り返し、実験や研究を日々行っていたため、両親を除いて、周囲から異端児として扱われた。そんな彼女にとって、奏汰は数少ない友達の一人だった。友里と奏汰は幼馴染である。幼稚園、小学校、中学校と常に一緒に生活してきた、正真正銘の仲良しな幼馴染である。彼らにとって都合のいいことに、家も隣同士であり、家族同士の付き合いもある。朝、自室の窓を開けて、おはようの挨拶をすることもできるし、夜におやすみと告げることもできる。毎日顔を合わせるのに都合のいい距離なのである。そのためだろうか、2人の距離感は家以上に近い。友里は奏汰を家へ呼ぶ度に、自身の不思議な実験やら研究やらに突き合わせている。他の者を決して家の中に入れないのに、奏汰だけは特別に、家に増設したラボに足を踏み入れさせている。奏汰も、いつも小言を一つか二つ言いながら、家を数日間あけている友里の両親の代わりにご飯を振舞ったり、かと思えば友里の家のお菓子を勝手に食べたりと、自由に振る舞うのだ。

「違うよ、全然違う。昨日の夜はね~、んふっふっふ~」何やら不敵な笑みを浮かべながら友里が答えた。「造りたいものがやっと完成したんだ~」

「あーそうなんだー」

 あえて棒読みを演じ、奏汰は友里とは反対側の、街の適当な風景を眺めた。この街は田舎でも都会でもない。家は整然と並んでいるが、所々に人が近づかないような森があったり、大きな橋のかかった河川がある。最寄り駅には急行は停まらないが、準急と各駅停車は停まる。そんな街。ごくありふれた、これと言って特に名物などない街だが、しかし奏汰にはそんなことは関係なく、この街が好きだった。

 あ、鳥が飛んでる。

「気になるでしょ」

 友里の方を向くと、ニヤニヤと笑みを浮かべたままだった。彼には分かる。自分の発明する物に関心を抱いて欲しいのだ。今までだってそうだったし、そしてこれからもそうなのだろう。それは普遍的で、恒久的で、絶対的な真理のように、奏汰には感じられた。だからこそ、どう返答しようが、何の支障もないこともまた、彼にはわかっていた。

「全然」

「ひどっ!?」

 ガーンという効果音が、友里の頭の上に描かれていてもおかしくないような、そんな表情を彼女は浮かべた。

 一方で奏汰は今まで友里が作ってきたものを思い出していた。

例えば、トイレを移動できるようにした。所謂、歩くトイレ。ある時には歩くのを補助するために、足を浮かせるスリッパ。若しくは呼び鈴が鳴ったら自動で「はーい!」と返事をするドア。どうやって作ったのか問いただしたくなるような不思議な発明品も有るには有るが、何時どこで使うのか分からないガラクタもあった。奏汰が今まで見てきた中で、最も驚かされた発明品といえば透明マントぐらいである。しかしながら、そんなくだらない、ガラクタのような友里の発明品の数々を思い出すと、自然と奏汰の口元は綻んでしまうのだ。

「ねぇー?本当に興味ないの?」

 友里はお構いなしに奏汰の腕を掴みグワングワンと揺らす。これは気にしてくれるまで離すことはないだろう。

「分かった分かった!だから引っ張るなって!」と耳を微妙に赤くさせながら、平静を取り繕った。そして友里のか細い手を、自身の腕から引き剥がした。

「んで、どんなの作ったの?」

「それはね~、帰ってからのお楽しみ!」

「なんだこいつ」

 黙っていれば可愛らしい友里だが、奏汰に対するこの言動は、奏汰をイラつかせるだけだった。もちろん、本気で怒っているわけでも嫌悪しているわけでもないけれど。

 2人のこのやりとりなど、日常というパズルの1ピースの一つでしかない。繰り返されるこのコントか漫才のようなやりとりは、何十回、何百回と重ねられてきた。だから今日も、友里と奏汰は仲良く、同じ高校へ向かって、通学路を歩いていく。

 2人が通っているのは杉田高校と呼ばれる、地元にある高校の一つ。学力は悪くも良くもなく、自由な校風で通っているその高校に合格するために、奏汰は猛勉強した。入試本番では思うように点を取れず、合格基準ギリギリになってしまった。対して友里の方はというと、5教科すべてにおいて満点を叩きだすなど、明らかにより名門校に行っても通用する学力を持ちながら、わざわざ杉田高校を選んだのには、単に家が近く、返ってすぐに実験が出来るからと理由をつけられれば、誰もが納得した。

 杉田高校に近づくと、2人以外にも徐々に横に登校する同じ制服を着た生徒たちの姿が増えてきた。楽し気な会話が、あちこちのグループから聞こえる。対照的に、友里の口数は減っていた。

 校門に着くと、自由な校風のこの学校でも数少ない、真面目な生徒指導の先生が遅刻と服装を取り締まるために全校生徒の名簿を片手に立っていた。

 学校で一番怖いと評判の先生。彼は彼の職務を忠実に全うし、遅刻した生徒の名前を聞き、名簿と照合すると担任の先生に報告するのだった。

 3回遅刻をすれば、まず間違いなく生徒指導行きとなる。そのため、遅刻ギリギリに登校してくる生徒からすれば天敵のような存在であり、校門を通らずわざわざ裏側の柵から侵入しようとする生徒も極一部だが存在する。

 校門を通るときには、先ほどまで漫才のように話していた奏汰と友里の会話はすっかり途切れていた。

 友里は「おはようございます」と先生に挨拶し、先生も「おはようございます」と返すのみであった。

 隣を歩く奏汰は、そんな友里の姿にどこか心が痛む気がした。

 下駄箱で上履きに履き替え、ひんやりとした廊下を渡って教室の前まで来ると、友里は戸の前で立ち止まった。手を戸の取っ手に伸ばした。が、震えている。隣に立っていた奏汰は、彼女の前に立ち、代わりにスライド式の教室の戸を開けた。 出入り口の上のプレートには『1年B組』と黒く太い字で書かれていた。

「お。カップルの登場か」

ガヤガヤとしている教室の中で、背の高い男子が2人を見つけた。金髪を刈り上げ、気さくそうな雰囲気を漂わせるこの男子生徒には、出逢う者とすぐに仲良くなれてしまいそうな魅力があった。相澤友樹あいざわ ともきは友里や奏汰と同じ中学出身で、奏汰にとって親友と呼べる友人だ。

「だからカップルじゃないって友樹。たまたま、同じ時間に同じ通学路だっただけだ」

「毎日だろ?そのうち学校がない日も一緒にきたりしてな」

「バカ言え」

「ま、仲が良いのはいいことじゃないの。付き合うのも時間の問題か〜?」

「だからそんなんじゃないって」

 奏汰が「お前からも何かいってくれよ」と友里に視線を送ろうとすると、すでに彼女はいなく、教室の隅にある自分の席に座り、知らんふりをして鞄から教科書や筆記用具を出していた。

 逃げたな……。と瞬時に奏汰は悟った。

「おはよう、古谷君」

 友樹の調子の良い野郎の声とは違い、柔らかい声が彼の名を呼んだ。

「あぁ、おはよう。宮野さん」

 微笑みかけてくる女子生徒に笑顔を返した。

 宮野花蓮みやの かれんは、奏汰たちと同じ中学出身であった。とは言っても奏汰たちと話すようになったのは高校入学してからで、それまでの接点は非常に薄かった。

 可愛らしい彼女はクラスの中でも入学してから男子の中では密に人気が高まりつつあることを、本人と奏汰は知らない。

 キーンコーンカーンコーン。

  真新しいスピーカーから明るいチャイムの音色が鳴り響き、生徒たちにホームルームの時間を伝えた。

「もう時間か、じゃ、あとでな」

「おう」

奏汰は自分の席、友里の隣の席にリュックをかけ、席に着いた。それと同時に担任の先生が「おーい、ホームルーム始めるぞー」と声かけながら入ってきた。黒いスーツに、楕円形の眼鏡をかけたその先生は、青年というには若干老けて見えるし、中年というにはまだ青さの残る男性教師だった。いかにも真面目ですといった印象は、入学当初、クラスの生徒たちを委縮させた。

 バンッと教卓にクラス名簿を置いて開くと、一つ息を置き、順に呼び出した。

「朝倉慎之介、いるな…………荒井良太、いるな…………石川花菜…………欠席か?」

 順に名前を呼び、席に視線を移して出席しているか確認すると、名簿帳に印をつけている。さて、この間に生徒が何をしているのかと教室全体を見てみると、読書をする者、今日ある漢字テストの勉強をする者、部活の練習メニューについて考える者と、実に多様だった。

 その中でも最も目を見張るのは、フラスコやらビーカーやらを机に並べ、何か薬剤を混ぜようとする、教室の端に座った女子生徒の姿だった。

「……………小黒。教室内で実験をするなと言っているだろ」

 担任は彼女の奇行に気づくとすぐに注意した。

 バッと奏汰が横を見ると、教科書2冊を立て、何やら怪しげな実験器具と、何やら怪しげに笑う友里の姿が眼に映った。ヒソヒソとクラスメイトたちの声が、じんわりと伝わってきた。

「おい、友里………」

 奏汰は緊急事態を友里に知らせようと、声をかけるが、当の本人は気づいていない様子。もう一度声をかけてみる。それでも目の前のおもちゃにご執心だ。仕方ない、と奏汰は席を立ち、身を乗り出した。

「おい友里」

「はい!え?!あ!何!?」

 顔を近づけられてビックリする友里と、ジト目で黒板の方を指さす奏汰。

 彼が示している方向に視線を向け、彼が何を言わんとしているのかをすぐに察した友里は、フラスコやらなんらやをすぐに鞄にしまった。

「実験したいなら化学室使わせてもらえ」

「あはは……すいません」

 愛想笑いでごまかそうとしている友里だが、明らかにクラスで浮いてしまった。取り繕うに、何か言わなきゃ、と友里は続けた。

「でも先生、これはただの初歩的な実験でして、決して危険なものでは……………」

 そう言いかけたとき、反対側の席に座る男子生徒が声を上げた。

「へっ、どうだか。ひょっとしたらクラス全員を殺す毒でも作ってるかもしれないぜ。あいつの身体からする薬品の匂いで教室がくせぇんだよ」

 男子生徒は、いかにも臭いという風に、片手で鼻をつまみ、もう片方の手で空中を扇いだ。

 もちろん教室にはそんな匂いはなかった。まったくの言いがかりであることは、誰の目から見ても明らかだった。しかしその男子生徒は続けた。

「いやー科学者様はたいそうお忙しそうで大変ですね。今度は何の実験をなさっているんですか?」と今度は馬鹿に丁寧に言った。

 山宮健司やまみや けんじというこの男子生徒は、なにかとこの奏汰と友里につっかかってくる。2人が一緒に居れば嫌味を言ってくるし、気に入らないと奏汰を叩こうとする。こんな風に、友里を馬鹿にすることもある。高校生と呼ぶには、見るからに幼い。

「いい加減にしろよ。いつもいつも、馬鹿にするようなことを言って、何が楽しいんだ」

 奏汰は普段のことがあってか、たまらずそう言った。いや、自分のことであれば、耐えることも、鼻で笑って相手することもなかっただろう。しかし今回は違う。友達であり、幼馴染である友里のことを言われたのだ。ずっと一緒に過ごしてきた女子を煽るような台詞を吐かれて大人しく出来るほど、彼の気は長くなかった。

「おや?今度は旦那様のご登場で?お前も、匂いのきつい女子とよく一緒にいられるなぁ」

「いい加減に!」

 奏汰が立ち上がると、話題の中心である友里は視線を落とし、そのまま呟くように、奏汰に聞こえる声で言った。

「いい。相手にしないで、奏汰」

「でも!」

「おお、本当に仲の良い夫婦だな。お幸せに~」

「お前!!」

 懲りない健司に見かねた友樹は後ろを振り向き、健司に向けて言い放った。

「健司。人の匂い云々言う前に、お前はそのダサい髪型をどうにかしろよ。こちとら気を使って見ないようにしてやってるんだから」

「なっ!?」

 健司の髪型は確かに不格好だった。どれだけ安い床屋さんに言ったのかと誰もが訊きたくなるほど、おかしかったのだ。クラスの皆は友樹の言葉を聞いて、クスクスと笑いだした。それに対し、健司は顔を若干赤くしてそっぽを向いてしまった。それ以上、何かを言ってくることは無かった。

 担任はやれやれと言った表情で3人を見ると、コホンッ咳払いしてから1日の連絡を手短に伝えた。まず一つ目、今日はもうすぐ控えている体育祭に向けての職員会議があるため、授業時間が短縮されること、2つ目は登下校で横並びをする生徒への、近隣住民から苦情、最後に離任式についてだった。

 奏汰はこれらの話を聞き流しながら、左隣に座る少女のことを考えていた。

 不規則に開けられた窓からは6月の暖かく優しい風が吹き抜け、その少女の薄い水色の髪が揺れていた。

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