第6話 置き土産
精鋭であれば一日かからずに辿り着けるところ、一日半かけて王都へ到着した。
俺やレイル、フェンデの身体を考慮してのことだが、どうしても気持ちがはやり悔しかった。
王都近くの森で地上に降りると、空から陸への体感の変化に追いつかず胃の中がひっくり返った。
「だからもっとゆっくり行こうと言っただろうが」
「…………大丈夫だから……っ」
「黙れ。ここからは俺のいうことを聞いてもらうからな」
人型に変身し、幻想衣で隠密機動のローブを纏ったセランが語気を強める。強がりを言ったが、それ以上言い返す余裕はなかった。
皆で王都への道を進む。
セランの指示で、俺とレイルとフェンデはそれぞれ相棒に担がれて移動することになった。
気配を薄める魔法を使うのも体力と魔力を無駄にするし近衞兵に見つからないように走るのに邪魔だからという理由に反論する余地はなかった。
「一旦止まろうか」
「……気配はないな」
「よし、行こう」
王城の裏手まで着き近衛兵の気配を父さんとセランが探るが問題ないようだった。
全員で素早く隠し扉へと入り、隠し通路を進んでいく。
俺はまだ王城へは数えるほどしか来ておらず感知に時間がかかるが、父さんやセランはお手のもので自分の家かのように走っていく。
一つのトラップも起動させずに隠密機動部隊の部隊室前まで到着した。
「紫の夕陽が沈んだ」
「…………紅色の鷹が飛ぶ先は」
「深紅の底なし沼」
父さんが淡々と合言葉を答えると扉が開いた。
扉番は一瞬だけ眉を上げたがすぐに平静に戻り、ホルスト隊長たちは王の下でお待ちですと案内してくれた。
「そうか、ありがとう」
「ルーガは随分前から俺たちを感知できていただろうからな」
やはりルーガの感知能力はブレアニエ随一だな。
セランの背中に体重をかけながらルーガの魔力を探ろうとしたが見つからなかった。
ルーガどころか先行班に入ったみんなの魔力は一つも感知できなかった、さすがだね。
父さんを先頭に部隊室を後にして王の間へ向かう。
仕掛けは相変わらずあるものの、それほど時間をかけずに到着した。
父さんは扉の前で立ち止まり、一つ息をつき扉を叩いた。
「おつかれさん、ってやっぱりアーティルが指揮を取ったか」
「待たせたね」
「三人とも、大丈夫か?しんどかったろ」
「強がってるあほもいるが、三人ともやはり加減は良くないから急いだ方がいい」
「分かった。とりあえず王に会ってくれ」
扉を開けたイーゼンは引退した父さんが隊をまとめ引き連れてきたことに少しだけ驚いたようだが、予想の範囲内だったらしい。俺たちを労い、王の間へと案内した。
セランの背で部屋の香りを嗅いだ。森の中の匂いがする。
「ジェリー……ホルスト……!!」
部屋に入ると、父さんは一目散に二人の男のもとへ駆け寄りその身を抱き寄せた。
父さんの両肩に乗った顔は、どちらも生気を失っているようだった。
これまでに直接話したことはないが、名前を聞いて誰だか分かった。
ジェリーと呼ばれたのは宰相のジェライト・ソーレン。そしてもう一人は隠密機動部隊長のホルスト・グナルクだ。
「お前達が無事で良かった……」
父さんの言葉に二人は眉根を寄せて苦しそうな顔をした。ジェライドさんは瞼をきつく閉じて震わせ、ホルストさんは目の下が茶色っぽく沈んで顔色が悪い。
二人とも共通しているのは悔しさが滲んでいるということだ。
王を守れなかったのは、ブレアニエも同じだ。
父さんは二人から体を離すとベッドに近付き天蓋を前に立ち止まり、ゆっくり息をついて天蓋を開いた。
天蓋は小さな網目のもので、中がうっすら透けて見える。
「…………ありがとうございました。ジェインによろしく伝えてくださると嬉しいです。…………貴方の忘れ形見は、必ず守ります」
寝台のそばに膝をつき、王の手に己の手を重ねた父さんが呟いた。
俺は母さんの名前を聞いて久しぶりに鳩尾のあたりが絞られるような感じがした。
王は母さんとも旧知の仲だった。母さんは王をとても尊敬していたし、王の命で魔獣を倒すことを誇りに思うと言っていた。
父さんは王から離れると相棒に支えられた俺たち三人を呼んだ。
「ジェリー、ホルスト、今日この三人を連れて来たのには訳があるんだ」
父さんは事の次第を二人に語った。精力のない二人だったが流石に話を聞いて目を見開いた。
「そのようなことが……三人とも大変だったでしょう」
「どうりで顔色が悪いわけだ」
「すみません、ろくにご挨拶も出来ず……」
三人の中では一番体にダメージがないレイルが代わりに話してくれる。
俺は強がっているが今にも胃がひっくり返りそうなのを我慢しているし、フェンデは声が出ないのでもちろん無理だ。
「気にしないでください。ではお話を聞いたところ、王のそばに行けば三人の身体は回復するという見立てなのですね」
「あぁ。最古参の獣たちがそう言っていた」
「記憶がある奴らも若い時の記憶で曖昧だがな。書物が見つからなかったから少々心配ではあるが」
イーゼンとルーガの説明に頷いたジェライドさんは、天蓋をゆっくり開いてくれた。
セラン、ディアノ、トゥーリに担がれている俺とレイル、フェンデがローレンス王のそばに降ろされる。
重厚な作りの寝台は膝を立てるとひんやりとした冷たさがある。
揺れる頭をなんとかもたげて、ローレンス王の御顔を拝謁した。
死者そのものの顔色に現実を突きつけられる。
俺の身体を支えてくれるセランからは悔しさや悲しみの感情を感じる。
王との絆は獣達の中でも深かっただろう。セランの手に自分の手を重ねた。
「ハーツ。具体的には何をすればいい」
「言い伝えによれば、亡骸に魔力を流すだけでよいと聞いておる」
「そうか。……三人とも、できそうかな?」
俺たち三人はそれぞれ首を縦に振り、王の亡骸にゆっくりと手を重ねた。
身体を巡る魔力の流れを感じながら集中する。変わらず風魔法との繋がりだけが抜け落ちている。
「魔力操作の補助をかけようかとも考えたが、妙なことをして影響があってもまずいからのぅ。みんな辛抱して頑張るんじゃ」
ハーツの応援の声は遠くに聞こえていて、心強くて安心できた。
自分の意識が魔力の流れを泳ぐように感じられた時、温かい魔力を感じた。
一瞬パチンッと小さな雷に打たれ、俺はうたた寝をするような心地良さに包まれた。
静寂が流れ、ゆっくりと目を開くと、王の寝室ではない場所にいた。
「ここは……?レイル……フェンデ……?」
二人のかすかな魔力だけ感じたが、他のみんなの気配は分からなかった。
きょろきょろと周りを見渡したが、淡い夕日色の靄に包まれていて自分がどこにいるのかも見当がつかない。
どうしたものかとため息をつくと、右肩に何かがポンッと触れた。
「うわっ!」
「ハハ……驚かせてすまない」
「……ローレンス王……ッ!」
俺はそのお方の姿を見止め、すぐさま片膝をついた。
「おお、そんなに畏まらずともよいのに」
「……貴方様は、我々の王です」
優しい声だ。俺の知っている王の声だ。掠れた声しか出せずもどかしい。
俺は何故、王と話しているのだろう。もしかして……。
「やはり、ジェインの子だな」
「…………」
「実はもうジェインとは再会してね。アーティルとレイル、君にも伝言を頼まれたんだ。ははは、相変わらず王である私を遠慮なく使うものだから懐かしくて笑ってしまう」
「……母が、申し訳ございません……」
何をしてるんだ、母さん……!
もしかして自分も死んだのか、という恐怖が一気に飛んで行った。我が母ながら、王に言伝を頼むなんて……!
「よいのよ。ジェインの明るくて周りを巻き込む力は素晴らしいものだ」
「……ありがとうございます」
「さて、何から話すべきかな」
「…………ローレンス王、……お守り出来ず、申し訳ございませんでした」
絞り出した声。どうしても伝えずにはいられなかった。
「……モディーグの郷人たち、そして特にブレアニエの者たちは、逞しく、皆優しい。此度のことでどれほど負担をかけるかと思うと、私もやるせない」
眉を垂らし、言葉を漏らすローレンス王。何故守れなかったのかという後悔の念が腹の底から湧き上がってくる。
「セランは、貴方をこのような目にあわせた者の喉笛を必ず切り裂いてみせると申しておりました」
「……相変わらず怖いことを言うな、彼奴は」
ははは、と少し笑った王。「そうか……セランが」と懐かしそうに目尻の皺を濃くした。
「私なりに此度の事を色々と考えてみてはおるが、断じてそれを君に教えるつもりはないから、聞かないでくれ。よいかな?」
「…………承知いたしました」
「うむ。ジェインと違って聞き分けの良い子だ。アーティルの教育の賜物じゃな」
王の言葉だ。勿論従うしかない。……渋々ではあるが。
「ジェインから君への伝言だが、『好きな事をとことん追求し、磨き、愛するものを守りなさい』だそうだ」
「……母さんらしいです」
王の声で受け取った言葉なのに、頭の中では母さんの声に変わって響いていた。思わず口元が緩んだ。
「アーティルには、『絶対に謝らない。でも心の底から愛している』と。彼女の頑固さは天下一品だな」
「父さんが聞いたら笑い泣きをすると思います」
しばし二人で笑い合った。父さんに伝えるのが楽しみだ、と思ったが、俺はここに来た時死んだのかもしれないと考えていたのだった。
「俺は……死んだのでしょうか?」
「む?なんでまた、……確かにそう思っても仕方ないわな。ここは愛し子の置き土産で発生する儀式のようなものだと聞いた」
「儀式……」
「君が失ったものを取り戻し、新たな力に目覚めるためのな」
正直、新たな力などいらない。またセランと共に空を飛べさえすれば。
ただ王の前でそのような事を言うのもどうかと思い、口にはしなかった。
王は顎に手を当てて、首を傾げた。
「私も儀式をどのようにするのかは知らないはずなのだが、どうすれば良いかはなぜか分かるのだ。不思議なことだがな」
「…………」
「額に触れるぞ?」
「はい」
王が俺のすぐ目の前まで来て、膝をついた俺の額に手を当てる。大きくて分厚い、剣とペンの両方を握って硬くなった手だ。
王の手から風が吹くように魔力が流れてくる。
まるでセランと空を翔ける時のようだ。モディーグの芽吹きの春を思い起こす。
瞼を強く閉じて己の身体を巡る魔力を追いかけると、ぽっかりと空いた穴に何かが嵌まるような感覚がした。
「……よし、これで大丈夫だろう」
「…………」
「どうだい?」
「……あまり、実感はありませんが…………」
「ははは、仕方ないさ。私にもよく分からないのだから」
王は俺の腕を掴んで立つように促した。
恐れ多かったが、促されるまま立ち上がると、先ほどまで感じていた眩暈がなくなっていた。
俺は王の目を見た。聞きたいことはたくさんある。しかしそのほとんどは王に「聞くな」と言われたことに当てはまってしまう。
なぜ貴方がこんな目に遭わなくてはならなかったのですか。
…………なぜ、俺たちは貴方を救えなかったのでしょうか。
せり上がる涙を堪えようと奥歯を噛み締めた。
「私の言うことを守ってくれる、君は良い子だな」
「……そんなことは」
「……ひとつ、頼んでも良いだろうか」
「何なりと」
「…………ロレイグのことを気にかけてやってくれると、助かるよ」
ロレイグ・ヴァケル様。ヴァケル王国の第二王子。
そんなお方のことを、なぜ俺なんかに?
「……お言葉ですが、おれ……私がロレイグ様のお力になれることがあるのでしょうか」
「もちろんだとも。あれは私やフォスナーのことを尊敬してくれる良い子だが、まだまだ勉強するべきことがあるし、何より……友人が必要だ。私にとってのイーゼンやアーティルのようにね」
王は目を細め、懐かしそうに口元を緩めた。
「分かりました。私にできることがあれば全力で頑張ります」
「ありがとう、ウェイテル。……この先、君が守りたいものを守り抜けるよう願っているよ」
「ローレンス王……ありがとうございます」
別れの時が来たのだろう。ローレンス王の身体が柔らかな光に包まれ始める。
もっと言うべきこと、伝えるべきことがあるはずなのに上手く言葉にできない。
涙を堪えようとして息を吸いすぎたせいか、胸が痛い。
「さらばだ」
「……ローレンス王……ッ!!」
伸ばした手は空を切り、光も消えていった。
鼻を啜り濡れた頬を手で拭うと、遠くから俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
「……セラン?」
セランの声だ。
声のする方へ駆け出す。もう目眩もしない、全力で走れる!
段々と声が大きく聞こえてきて、西日のように眩しい光が俺を連れ去った。
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