第5話 先行班




 イーゼンside


 二日酔いで頭痛がする俺に、魔力を乱し、目を真っ黒にしたルーガが告げた。

 ローレンス王が亡くなった、と。

 生誕祭の翌日にそんな知らせを聞く羽目になるなんて誰が想像できるか。

 郷全体が悲しみ、失意の底へ沈んだ。

 それは獣たちも同じで、愛し子でもあった王の死を悲しみ、怒った。

 郷長を始め、長老たちは怒りに震える獣たちを宥めるのを率先して手伝っていた。

 

 直ちにブレアニエの精鋭からすぐに動ける五組を選出し王都へ向かうことになった。

 王都からは伝令水晶で音声のみ届いた。『直ちに王都へ来てくれ。10名程度で頼む』と、隠密機動部隊長から端的な連絡が来た。

 俺たちが事情を把握しているかはあちらとしては定かではないし、有事の中で万が一通信の内容が漏れたら一大事になる。短い連絡にした判断には頷けた。

 王都へ辿り着くにはいくつかの大きな街を越えていく。

 いつも通りブレアニエの存在を知られぬよう隠密魔法を交代でかけて、街の上空はなるべく迂回して飛ぶ。

 もちろん最速で向かう。この速さに最後までついてこられる精鋭達の中でも、経験が長い者を選抜した。

 王都から少し離れた森の開けたところで着陸し、隊員はそれぞれ相棒の獣が人に変身し問題がないのを確認する。

 

 隠密機動部隊のローブを身に纏い、フードを目深に被る。

 ルーガは人に変身すると赤銅色の毛色と同じ髪色から始まり、毛先だけ翼と同じ濃い灰色になる。顎下くらいまである髪を手でかきあげ、鬱陶しそうにする。


「髪、もっと短くすればいいんじゃないか?」

「最後にジェライドやホルストと会ったときと、同じようにした方がいいかと思ったんだが」

「あぁ、なるほどな。もしかしたらその方があいつらも落ち着くかもしれないな」

「特にこだわりもない。鬱陶しいこともない。…………さて、用心しながら行くか」

「ああ」


 隊員たちに声をかけ、再び出発する。王都へ秘密裏に入るためには外壁を越えなければならないが、隠密機動が使う地下通路の入り口を使えば王都の路地裏に出られる。

 王都の様子は平時と変わらないように感じられた。

 王が亡くなっても、すぐには民に事実を広めることはない。時間の問題だろうが、今のところ最悪のところまで情報漏洩が発生しているわけではないようだ。

 特に今回のように事実関係を調査する必要がある場合には情報の流れを追うのも重要になってくる。

 王城の裏手近くまでたどり着いたところで一旦止まる。隠密機動部隊が使う裏口の周りには近衛兵の姿はないが、少し離れたところに気配を感じる。

 用心のために、隊員に気配を薄める魔法をかけるように伝える。


「ペキエールナ〈影絵〉」

「…………久しぶりにそれを聞くと、お前の呪文のセンスの無さを思い出すな…………」

「うるせっ、使えるのが大事だろ!」

「まあなぁ…………」


 目を半月型にして呆れ顔のルーガに言い返す。確かに俺は呪文のネーミングセンスが無いと子供の頃から言われてきたけれど、そんな顔で改めて言わなくてもいいだろう。

 全員で気配を薄めたら、近衛兵の主な配置場所を避け、監視を掻い潜りながら隠密機動部隊の隊長のもとへ走る。

 相変わらず立派な作りの建物の中、城の末端の人間はいつも通り働いていて、とても王が亡くなったことを知っている様子はなかった。

 恐らくはジェライドの手腕によりこの情報統制が為されているのだろう。少し王城に来ない間にまた暗躍…………じゃない、活躍しているようだな。

 城の上階へ向かうにつれて近衛兵の姿も増える。彼らも隠密機動の存在はもちろん把握しているが、畑が違うので今は遭遇しないに越したことはない。

 足音を立てぬように移動し続け、隠し扉や抜け道をいくつも通り、ようやく隠密機動部隊の本部前まで辿り着けた。新たに作られた仕掛けもあり、少し時間がかかってしまった。


「相変わらず、複雑な作りだな」

「探知もなかなか骨が折れる」


 ルーガはぐるり、と首の後ろに手を当てて一周回した。ルーガの探知はブレアニエの中でも一二を争う高い能力だ。一緒にいる時はつい頼ってしまう。

 俺は扉に近づき、小さな小窓を開けた。


「…………紫の夕陽が沈んだ」

「…………紅色の鷹が飛ぶ先は」

「深紅の底なし沼」


 小窓越しに合言葉を交わすと、重厚な音を立てながら扉がゆっくりと開く。


「…………あなたはもしやホルスト隊長の」

「ああ。直属班だ」

「噂には聞いていましたが初めてお目にかかる」

「こちらにはあまり招集されないのでな。では失礼」              


 ホルストが扉番に事前に伝えていたのだろう。見慣れない顔に驚きながらも通してくれた。

 ホルストの部屋まで向かっていく途中に、隊員たちの待機部屋がある。前を通ると、やはり皆視線をこちらに寄越した。

 しかしさすがに隠密機動に所属する者たちだけあって、すぐにホルストの直属班だと判断してくれたようで、視線を外された。

 隊員の様子を見ると疲れがあるようだ。もしかしたら隊員で被害にあった者がいるのかもしれない。

 ホルストのいる隊長室の扉をノックする。


「…………入れ」


 重苦しい声に従い、扉を開けた。


「ホルスト!無事か」

「…………イーゼン」


 椅子から立ち上がったホルストはまるで舌でも噛んだような歪んだ顔をしている。握った拳からは血が流れそうだ。視線を落とし、続きの言葉をなくしている彼に思わず駆け寄り、抱き込んだ。


「…………力になれなくて、すまなかった」

「………………お前は、なぜ…………っ」

「…………俺にお前を責める資格なんてない。…………お前が無事で良かった」

「…………うっ…………クソッ…………」


 王が死に、なぜ自分が生き残っているのか。

 一番近くで王を守ってきたホルストが、よく己が手で首を裂いてないと思う。耐えている。まだ守るべき御人がいるからだ。

 顳顬には血管が浮き、涙を堪えるホルストの頭を掴んで肩口に寄せた。夕日色の短髪が手を擽る。そういえば王はホルストの髪色をなぜか気に入っていたな。

 身体を離して顔をよく覗き込んでみると、顔色が悪く、隈もひどい。睡眠を取らず精神的にもダメージを食らったせいだろう。いや、寝ようと思っても寝られないのかもしれない。

 

「…………来てくれたことに礼を言う。…………ルーガも元気そうだな」

「大変だったな、ホルスト」

「ああ…………」

「…………王に会うことはできるか?」

「ああ。…………ジェライドも待っている」


 ジェライドか。…………あいつのことも心配だ。

 ホルストは俺たちを先導するために部屋を出た。一度先ほど入ってきた扉を出て移動する。

 隠密機動の本部を出て近いところに王の自室と執務室がある。隠し扉や隠し通路は使うが、素早く王の自室へ辿り着いた。

 王の自室に入ると、独特の匂いがした。

 もちろん、身体をなるべく綺麗に保存するためにジェライドが魔法をかけているはずだが、それでも死の匂いは消しきれない。

 しかし同時に、王の好んで使っていた香の香りがした。一瞬花のような香りがした後、森や雨の匂いに変わる。最後は空に温められた芝生のような香りがするのだ。

 今はもう、最後の匂いがしている。


「…………ジェライド」   

「………………」


 ホルストの呼び掛けに、ジェライドは反応しなかった。

 すう、とため息をついたホルストが俺に視線を向けた。分かったよ。

 ジェライドは王のベッドの隣に置かれた椅子に座り、両肘を太腿に乗せて身体を前に倒して項垂れていた。顔を見ることもできない。

 気が立っているのか、それとも気力を失っているのかは見当がつかないが、俺はゆっくりと左手をジェライドの背中に置いた。


「ジェリー」

「………………」

「遅くなってすまなかった」


 愛称を呼ぶ俺の声に、ジェライドはようやく背を起こしてこちらを向いてくれた。

 涙で荒れた目元。生気のない瞳。噛みすぎたのだろう血が滲む唇。

 俺はジェライドの正面に周って膝を突き、真っ直ぐに見つめた。


「イーゼン、さん…………」

「………よく耐えてくれたな」

「…………っ、…………グッ、ウウッ…………」


 前に倒れそうになるジェライドを抱き止めて、背に手を回した。

 声を出さずに泣いている、弟分のように思っている友。その痛みが伝わってきて、俺の心臓も軋んだ。

 艶のなくなった淡い灰色の長髪が、はらはらと俺の肩から背中へと落ちてゆく。

 ルーガが隣に来て、手を差し出して王のところへ行けと視線で伝えてくる。

 俺はそれに甘えて、ジェライドの身体をルーガに預けた。

 王のベッドの天蓋をゆっくりと開き、意を決して顔を見た。


「…………いつもの、優しい顔だな」


 王よ。あなたは最後、何を思って逝ったのですか。    







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