第33話 総官 (2)
「申し上げることはできますが、ただでは無理ですね。」
突然のけしからない言葉にチョ総官は眉をひそめた。急に変わった私の態度にジヌも少なからず驚いたようだった。
「お、おい。 ホウジ。」
「ジヌさん。これは瀬戸先生がプライベートのところがかかってるんです。 私が勝手に言い出すのは、正しくないじゃないですか。」
いきなり正論を持ち出すと、二人とも特に反論する気はないようだった。重苦しい雰囲気のなか、ほんの少しの静寂。
このくらいなら押しは充分だろう。今度はちょっと引いてみるか。
「でも、私の考えでは、ですね。」
「何だい?」
「これは地球からこの世界に転移した私たち全員にとって重要な手がかりになるようなことです。だから皆さんと共有した方がいいかもしれない、と思います。だが、 でも……」
「でも?」
眼差しにも実体があったならきっと私は今三度は切られたかもしれない。総官の目はよく研がれた刃のように鋭く輝いた。焼けるよう喉がちくちくする。
「考えてみてください。私たちは昨日、人に騙されて死にかけたんですよ。幸いにもジヌさんに助けてもらったけど、だからといって、私たちのことをあれこれ全部吐き出すわけにはいかないじゃないですか?
だからお互いに信じられるようにオープンしましょうよ。総官がお持ちしている情報をくだされば、私たちもすっきり話します。」
私の言葉には、『私たちを助けてくれたのはジヌさんで、総官ではないのではないか』という心のうちも含まれていた。それを知らないはずのない総官の口元が上がるのを見て、私は胸が痛いほど走った。
「…まだ未熟だな。」
今その先に何か言葉が抜けているようなのは、気のせいだろうか。
「でも、少なくともジヌよりは賢いな。」
「兄貴?」
「…総官と呼べってつったろ!、
いきなりスプラッシュダメージを受けたジヌの抗議を、チョ総官は一喝で黙らせてしまった。
「昨日はイマエールのようなクズ野郎にちょろちょろっとついて行く間抜けだと思ってたが、今日は少し目が覚めたようだな。それとも成長したのか、まあ、どうでも良い。」
間抜けという言葉に少しぐっとしたがそのまま黙っていた。
「ここは平和な日本でもないし、君ももう気楽な高校生ではない。いつも気を引き締めて、自分は自分が守るという心構えで行動しないと、元の世界に戻るまで生き残るのは難しいだろう。
では、君が言った通り、私が把握した情報から先に知らせることにしよう。はっきり言えるのは、ここの時間と元の世界の時間はほぼ同じレートで流れている。
今この時間も元の世界では私たちの知り合いが必死に私たちを探しているだろうけど、少なくとも浦島太郎のざまになる心配はしなくてもいいということだ。」
チョ総官は最初からとんでもなく凄い情報を持ち出した。ただでさえ、沙也が一番心配していたのもそれだった。
【私たちが帰った時、私たちのことを覚えている人がいるかな?】
「それを…… どうやって分かったんですか?」
「私がゼロガムに来て辺境伯に拾ってもらったのが大体一年半前だ。そしてジヌが来たのが君たちとほぼ同じくらいの半年前。
つまり私とジヌは約一年程度の差をもってこの世界に来たんだ。そして、彼と話した結果、韓国でもちょうどその程度の時間が流れたことが分かった。
理解ができたか?」
「はい…なんとなく。」
「よし、では、次は君たちの話を聞かせる番だ。」
私は瀬戸先生がこの世界へ来る途中でアブサラに会ったこと、そしてアブサラからアバタラと認められ、力を分けてもらった話を彼らに聞かせてあげた。
「なるほど、ではその力は科学でも魔法でもない第三の力ということ。 本当に神聖力と定義すべきなのか。」
「アプサラ本人は自分が神ではないと力入れた強調してはいましたけど。」
「彼らが神なのか悪魔なのかを定義するのは彼らではなく、私たち人間だ。我々を助けることさえできれば、たとえそれが口から硫黄の火を吐き出すドラゴン頭をした亀だとしでも、私は迷わずあれを神と呼んであげるぞ。」
ヨナハンさんがそれを聞いたら、おそらく舌を噛んで気絶しただろう。神聖冒涜に近い言葉を平気に言い出したチョ総官は私の方に体を傾けながら低い声で話した。
「正直に話そう、私は君たちのことを信じられないと思っていた。」
「どうしてですか?」
初めてこの部屋に入った時、私を見つめる彼の目は限りなく無感情で、何を考えているのか全然読めなかった。そして、あんな目を私は見たことがある。正確には、相手したことがある。
打席でに立つバッターたちは色んな目をしている。熱血に燃えて「必ずやっつけてやる」という目をしている連中はとても簡単だ。冷静なふりをしているくせにその瞳が揺れてる奴らはもっと簡単だ。
だが、今、チョ総官のような目をしたやつらは粘り強くかかって来て、安打を打つようが、フォアボールになろうが、それともアウトされても、必ず私を苦しめた。 敵に回すと厄介で、疲れる。はっきり言って、嫌なタイプだ。
「私が日本人だからですか?」
「……君、 自分で言っておいてバカバカしいだろう?」
チョ総官は斜めの目で私を見ながらため息をついた。
「認めます。 失言でした。」
「お前がどこの出身であろうとそんなの関係ない。あそこのジヌに聞いてみろ。あいつが俺の信頼を得るまでどれだけ苦労したのか、忠実に証言してくれるだろう。
ついでに聞くことにしいよう。俺が何を根拠に君たちを信じればいいんだ?」
「我々はヨナハン司祭の紹介状ももらったし、ジヌさんも私たちを疑いませんでした。 これ以上何が必要なのですか?
「ヨナハン司祭はあくまで宗教家だ。たしかに宗教家や人格者としては尊敬に値する人物だ。でもそれが、人を見る目まで保証しているわけではない。
ジヌもまたあまりにもお人好しだ。警備隊長としては使えそうだが、まだ人を見る目を鍛えるためにはもっと経験が必要だ。”
「総官はその経験が十分にあるということですか?」
「いや、そうじゃない。」
チョ総官は深呼吸をしながら首を横に振った。
「そうではないからこそ、時間をかけて君と話し合いをしたのだ。 君たちのことをもっと知るためにな。」
チョ総官は席から立ち上がって、ゆっくり近づきながら話を続けた。
「昨日君たちが危険な目にあったのは明らかに君たち自身の過ちだ。しかし、少なくとも君は自ら何を間違ったのか客観的な見られる目があるようだな。そういう人、つまり君がジヌのそばでサポートをしてほしい。」
窓越しに輝く太陽を背にした彼の顔には濃い影がかかり、どんな表情をしているのか見えなかった。
「それなりにスクリーニングもするつもりだったが、問題が無い以上君たちを使わない理由がない。
ジヌがこの世界に来てわずか半年も経たずして警備隊長になったのは私が手を使ったせいもあるが、そんな浅い工作が通じるほどここのシステムがでたらめだからだ。
今、私たちには人材が『必要だ』。 それが王国人であろうが韓国人であろうが…」
チョ総官は私に向かって手を差し伸べた。
「…日本人であろうが、な。」
「住処と給料さえちゃんと支給してもらえるのなら。」
私はチョ総官の手を取り合った。
彼は昨日私が犯したミスを見てはっきりと間抜けだと言った。
それでも、私をまっすぐ見つめ、「必要だ」と差し伸べる人の手を、私は振り払わなかった。記憶の片隅に残っていた、無表情に退部届を受け入れた監督の顔が一瞬浮かび上がったが、すぐに消え去った。
「給料については、せめてここの生活に不便はないくらいはなるだろう。ジンウの部隊に入れるから、先言ってた通りそばでサポートを頼むぞ。一人前になるまではちゃんと見習え。
そして住処は…今すぐに作れり出せるもんじゃないから、当面はジンウの官舎で一緒に過ごしてもらう。おい、空き部屋は充分だな?」
「もちろんです、兄…いや、総官殿。」
そうして話を片付いたチョ総官は、机の上に置かれていた瓶を取り上げた。小さな瓶の中には、私たちが彼にプレゼントとして持ってきた、瀬戸先生の手作り味噌が入っていた。
総官はふたを開けて少し味を見た。
「そしてこの味噌は…」
初めて彼の顔に苦笑いや嘲笑いではなく、まともな微笑みが浮かんだ。
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