第8話 コバフ (6)
その日の夜、村では小さなパーティーが開かれた。
コボルドや他のモンスターが現れて危害を加えることは、案外少なくないらしい。しかし、今日のように被害者が出てこないのはとても珍しいと、オルソンは一安心のため息をついた。
「あいつらは意外に悪賢くてさ、今日のように女や子供ばっかりいる時だけを狙ってくるんだ。」
「でもよ、ホウジのような勇猛無双な戦士がこの村にいたとは、あの犬野郎どもも思ってなかったんだろうよ!」
わははは、と笑いながら私の背中を叩いたのは鍛冶屋のクレイさんだった。
さっきコボルドに足を噛まれて連れさられかけたおばさんがクレイさんの奥さんだそうだ。そのせいか、クレイさんはさっきから特に機嫌が良かった。
機嫌が良かった、というのは非常に穏やかな表現で、実際はお酒にすっかり酔っていただけなんだけど。
「奥さんのご様子はいかがですか?」
「ワハハハハ! 大丈夫よ、心配しすんな。あんたのおかげで、今頃はベッドで大いびきかきながら眠ってるだろうよ。」
『さあ。飲んで、飲んで!』と、クレイさんはしきりに遠慮する私のコップにお酒を注いでくれた。
「ちょっと待ってください! クレイさん! 法次は今日無理して何も食べられなかったんですよ!お酒はダメです!普段もダメだけど、特に今日はもっとダメです!」
「おおっと、そうだったかい。 わはははは、とにかくありがとうよ。 うむ!」
水鉢と毛布を持ってきた沙也が急いでクレイさんを他所のテーブルに追い出した。横で苦笑いをしていたオルソンは心配そうな声で尋ねてきた。
「ホウジ少年、まだ具合が悪いのか?」
さっきの戦いでコボルドの体をほとんど一刀両断してしまい、その血まで全部かぶってしまった私は、そのおかげですっかり体調を崩してしまった。せっかくのごちそうが夕食に出たが、ほんの少ししか食べられず、それすらも吐き出してしまったのだ。私は返事の代わりにかすかに微笑んだ。
沙也は私の肩に毛布をかけて横に並んで座った。心配そうにこちらを見ていてくれる沙也がありがたい。
「俺のせいだよ。 体格が良くて力があると言ってもまだ経験がない少年なのに。 先に行かせるべきじゃなかった。 ホウジ少年がモンスターと戦った経験がないってことを考えなければならなかったのに…申し訳ない。俺のミスだった。」
オルソンは真剣に頭を下げて素直に謝った。でも私は首を横に振った。
「オルソンさんやコバフ村の人たちにはたくさんお世話になってるから…こうして少しでもお役に立ててよかったと思います。」
声がかれて、沙也が渡してくれたお水で喉を少し潤した。
「そして、もしも沙也や瀬戸先生に危害が加えられたとしたら…そうなったら私は自分を一生許せないんですよ。」
「そうか。」
「あら……」
オルソンはうむ、とうなずき、沙也は赤くなった頬を両手で包んだ。どうしたんだ、こいつ?クレイさんのように酒でも飲んだみたいに。
そんな沙也を面白そうに眺めていたオルソンが体を起こした。
「じゃあ、俺はあの酔っ払いどもをそろそろ片付けないとな。これ以上放っておいたら、明日奥さんの方々が反乱でも起こすかもしれないぞ。」
そうやって私と沙也の二人きりで席に残されることになった。
沙也が渡してくれた水鉢にたいまつの光に照らされて明るく輝いていた。まるで火を飲み込むような気分で、私は残った水を飲み干した。
ぬるくなっていたが、弱っている体にはちょうどいい感じで水が食道を伝っていくのが感じられた。
そんな僕をじっと見つめていた沙也が口を開いた。
「ありがとう、法次。」
「うん?」
「昼間のこと。私を救ってくれたでしょ。 そんなに血まみれになってまで......」
ああ、それか。 その最後のやつ。 しかし、そう考えると…
「その前に沙也も私の腰にぶら下がっていた奴を外してくれたんだから。 私もありがとう。おかげで、助かったよ。本当に。」
私は涙を浮かべながら私を見つめてたあの時沙也の瞳が思い出して、思わず顔を上げて空を眺めた。 顔に赤くほてる熱が熱い。
急にこいつが可愛く見えるなんて、これは…そうだ。異世界の空気が人をおかしくしているに違いない。 うん。これはすべて異世界のせいだ。そういうことにしよう。
「そして、もし沙也に何かあったら…おばさんとおじさんに会わす顔がないから。」
いつも実の息子のようにしてくれた沙也の両親を思い出すと、ふと切なくなった。 特に、幼い頃母親を亡くした私をあったかく見守ってくれた優しくて美しい沙也のお母さんのことが思い出した。
「お父さんとお母さん、心配してるはずよね?」
肩の下に軽い重みが感じられた。そよ風が吹いて沙也の髪が私の肩先をくすぐり、少し甘い香りがした。
「きっと心配してるだろう。 だから私たちが無事に帰ったらその分もっと喜ぶだろうね。」
「私たち、帰れるかな?」
その日、公民館の窓側で嗚咽しておえいた沙也の泣き声が思い出された。 また泣いているのか、と思ったがそうではなかった。
案外沙也は私の前で弱音を吐こうとしなかった。
「帰れる......いや、必ず帰らせるよ。」
何の確信もないのにこんな無責任なことを言っていいだろうかと思って、しばらく躊躇った。でも、私ははっきり言った。 これは沙也に言ってるより、自分に向かって聞かせる言葉でもあった。
「法次は、ここが…いやなの?帰りたい?”
「ああ。」
初めて剣を手にして、モンスターとはいえ生きてる動物を斬った。
刃が皮と筋肉を切り裂き、骨の間に入り込んでガタガタと音を立てていたあの感覚が、今も指先に残っているようで肌に粟を生じた。
そうしなければならない状況に私を追い込むこの世界が、私は恐ろしかった。なにより、沙也を泣かせたこの世界が嫌でたまらなかった。
オルソンやコバフ村の人々は皆優しくていい人ばっかりだが、それでも私たちは帰らなければならない。 元の世界へ。
私がいるべき場所に。
「必ず帰るよ。 どんな手を使ってでも、方法を見つけ出す。」
「よかった。」
「うん?」
沙也は笑っているのか泣いているのか分からない顔で私を見上げていた。沙也の瞳に写った夜空の星明かりが、夜の色で輝いていた。
「法次は元の世界が嫌いなのかと思ってたよ。」
「どうして?」
沙也は手を伸ばして私の頬を撫でてくれた。 暖かい体温が伝わってきた。沙也の手は、彼女のお母さんのそれにとてもよく似ていた。
「野球部を辞めた後の法次の顔、まるでおじさんみたいだったもの。」
お父さんみたいだったと?
私が?
あんなにひどい顔をしていたのか。
私は時々心配そうに私を眺めていた沙也を思い出した。
「ああ、だからだったのか。」
沙也に気を使わせたのがあらためて恥ずかしくなった。私は頬を撫でる沙也の手を軽く握った。 二人の手がしっかりと絡み合った。
「そうだね、必ず戻ろう。 私たちがいるべき場所へ。 一緒にいるべき人たちのそばに。」
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