第3話 コバフ (1)
気がついた私はベッドの上だった。
「......見知らぬ天井、だ。」
何気なく口にした第一声は、どこかで聞いたことのあるセリフと似ていた。
今のところもあんな天井を使ってる家がある?学校や病院でよく見かけられる、真っ白で無機質的な合板が並ぶ天井とは違った。
ティンバーフレーム、とかいうんだっけ。厚くてまっすぐな木を垂木材として、その上に干し草や麦わらをのせた天井だった。今は田舎のおばあちゃんの家すらも、あれよりは遥かにモダンな感じのはずだと思うけど。
「法次……」
か細い声が聞こえる方に向くと、ベッドのそばには沙也が座っていた。 うさぎのように真っ赤になった目で、泣きながら私を見下ろしていた。
「どうして泣いて……ここはいったい…」
「なんで今まで寝てたんだよ、このバカ! 私ずっと怖がってたんだよ!どんなに待ってたんだと思うのよ!」
「沙也、振らないで…… ま…… めまいがする……」
また気絶するんじゃないかと、私がもっと怖くなるんですが。
私は気を取り直して周囲を見回した。さっきは田舎のおばあちゃんの家と比べたんだが、改めて見ると、どうしても日本だとは思えない。
「これはまるで……」
制服はどこに行ったんだろう?
なんだかこういう状況だと、多分あそこのドアからひげと髪の毛がもじゃもじゃで皮衣を着た木こりのようなでっかいおじさんが現れ……
- バタン
「おお、やっと少年が目を覚ましたようだな。」
……そう、こんなセリフをするっと思ったぜ。
MLBの中継でしか見たことのない、恰幅が良くてさっぱりしている白人の男性が、なんと日本語で話していた。いや、正確に言うと彼の言葉が日本語に聞こえていた。
まるで下手に吹き替えられた外国映画のように、彼の口の動きと言葉は微妙にずれていた。
「で、そちらの兄貴は誰?」
彼の口元に笑みが浮かんだ。
ㄹㄹㄹㄹㄹㄹ
皮衣を着た大柄な兄貴は、自分のことをオルソンと名乗った。
しかし、予想とは違ってぼさぼさのひげもなく、オレンジ色の髪の毛もきれいに整えられていた。南国の海をのような藍色の瞳には興味と好奇心がキラキラと輝いていた。
「兄貴って呼んでくれてありがとうな、少年。そこのお嬢ちゃんは、目を覚ました途端俺をことをおっさんって呼んでてさ。それはかなり痛かったぜ。ちなみに今、少年のいるここはコバフ村の公民館だよ。俺はこの村の責任者、ってところかな。」
重厚な低音の声に似合わない、朗らかでおしゃべりな口振りだった。彼は私たちを見つけた時の話をしてくれた。真夜中に村の裏山に明るい光が上がって行ってみると、三人が気を失って横になっていたそうだ。
「三人?」
「瀬戸先生も...... 今、隣の部屋にいるよ。」
沙也から瀬戸先生の名前を聞いて、教室で私たち三人が一緒にいたことをやっと思い出した。そう、その後、白い光に飲み込まれたんだ。
「それじゃ、沙也…もしかして私たちさ。」
「うん。」
「ひょっとしてここ、日本じゃない… と、そう見えるんだけど。ま、まさか地球でもないってこと…?」
「そう…みたいだよ。別の世界、って言うか、そんな、全く知らない世界…」
「…なんてこったよ。どうして私たちが…」
もしやと思った予感はほとんど間違わない。 私は目を閉じた。まさか、とは思ったんだけど沙也の口からきくとそのショックはインパクトが違っていた。
一生聞いたこともない「コバフ」という村。
全く「現代的などころ」とはどう探しても見つからない場所と環境。
日本語で普通に話しをしている私と沙也。
きっと違う言葉で話しているに違いないオルソン。
それなのに何の問題もなく「会話が通じる」という、こういう状況を…
[『異世界』以外のどんな言葉で、どう説明ができるんだろう。]
ファンタジーとアクションとスリラーは、スクリーンの向こう側にあってこそ楽しいものなんだ。それが私の普段の持論だった。確かにクラスメイトの中には異世界物の漫画やラノベを楽しむやつらもいたし、私も何冊かざっと目を通したことはあったが、それが私のことになってしまうとは想像もしなかった。
「瀬戸先生は? 無事?」
「私はここにいます。」
耳慣れた朗らかで透き通った声が、今は泣き声に混じってぎこちなく聞こえた。
オルソンが身をかわすと、彼の大きい体に隠れていた小柄な瀬戸先生の姿が現われた。
「足原君、やっと起きたんですね…… 私は、ど、どれだけ...... 心配になって、 しくっ。」
瀬戸先生はその小さな顔を真っ赤にして、涙をぽろぽろと流していた。唇を動かせようとも何かを言おうともしたが、その度に溢れ出すのは泣き声だけだった。
私は歯をくいしばった。
大人といっても瀬戸先生も私や沙也よりせいぜい何年くらいしか年上じゃない、若い女性だ。 そんな人が「先生」という責任を背負って学生たちと共にこんな世に落ちてしまったのだ。
学校でも、大学でも、教育実習でも教えてくれなかったはずの『異世界での生徒指導』という課題をいきなり引き受けてしまった瀬戸先生が、どれほど大きな無力感を感じて、どれほど混乱していたのか私には想像もできなかった。
「ちょ、先生!?」
「フ、フゥァァ!」
まだ半分横になっていた私を抱きかかえて、瀬戸先生はそのまま大声で泣きわめいた。突然かかってくる小さい重みにびっくりしたが、そんな瀬戸先生と同じく両手で顔を包んで涙を流している沙也を姿から、私は目覚めたばかりだけど色々気づけることができた。
先に起きた二人はこの突然の事態にどうしようもなくパニックになってしまったはずだろう。 私の知っている限り、沙也も瀬戸先生も異世界への転移を扱った小説や映画、あるいはアニメにもあまり興味がなかった。
少しでもそういう手の漫画を読んだことがあった私でさえもこの状況に戸惑ってるのに、あの二人はいったいどれだけ混乱してたんだろう。それに、漠然とした状況の中でもう一人の連れである私は、全然意識もなかった。
それでも先生だから、そして大人だから瀬戸先生は気を抜かないように必死で自分をせき立てて、沙也を励ましてきたのだろう。
そんな先生だから目を覚ました私を見た途端、溜まってきた感情が爆発してしまったのだ。布団を濡らしながら泣きじゃくる瀬戸先生の体は小さく震えていた。
私にはそういう先生の背中をそっと撫でてあげるしかできなかった。
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