6 再会(2)



 金魚の絵が描かれた透明なグラスに冷たい麦茶を注ぎながら、私は先程の優樹の反応を思い返す。


 ――あの動揺。何気ない質問。私を心配するような素振り。


 優樹は、もしかしたら、もしかしなくても、私の身に起きたこと……タイムリープのことは知らないのかもしれない。

 本当は何か別の話がしたくて、その取っかかりとして、最近私に変わったことがなかったかを尋ねたのだろう。要はただの世間話だ。


 優樹は何気ない会話のつもりだったのに、私の頭の中がタイムリープのことでいっぱいだったから、私が勝手にその件に関する話だと勘違いしてしまったのだ。そう考えると、あの反応にも納得がいく。


「……落ち着く必要があるのは私の方ね。はぁ……無駄に心配かけちゃった気がする」


 私は何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、グラス二つとお菓子を載せたトレーを手に、自分の部屋へ戻ったのだった。




「お待たせ」

「あ、悪いな。サンキュ」


 私はピアノの隣、古い学習机の上に、トレーを置いた。私は学習机の椅子を優樹の方に向けて、座る。

 優樹は、ピアノの上に置きっぱなしになっていた、書きかけの楽譜を眺めていたようだ。


「なあ、愛梨。この楽譜」

「ああ、それ? あのね、私、最近好きなバンドがあって。昨日、ライブを観に行ったの。その時に演奏した曲、楽譜に起こしてみようと思ったんだけど……音源がないから、思い出すのも一苦労で」

「……そっか」


 楽譜には、昨日、masQuarAdesマスカレードが演奏していた曲のメロディーと、自分で勝手に書き足した簡単な伴奏が記されている。

 タイムリープ前には毎日、何度も聴いていた曲なのだが、まだ音源が販売されていないこの時間軸では、細かいところの確認をすることができない。

 当然、楽譜もまだ販売されていないので、自分で書き起こして密かに楽しもうと思っていたのである。


 優樹は、私の書いた楽譜を真剣な表情で読み込んでいた。

 彼は音楽系の専門学校に通っているから、楽譜は難なく読めるはずだ。楽譜を眺めながら頭の中で曲を再生しているのかもしれない。


「それで……さっきは、ごめんね。普通に、世間話だったんだよね? 私が変な風に取っちゃったから……」

「あ……ああ、そうだった」


 私が尋ねると、ようやく優樹は顔を上げた。

 譜読みしていた時の真剣な表情から一転、彼はやさしく目元を細めると、ふわりと笑う。

 きっと、私を安心させようと思ってくれているのだ……さっき、私が取り乱してしまったから。


「愛梨が言ったとおりで、さっきのはただの世間話のつもりだったんだよ。新しい友達できたのかとか、卒業してから高校のやつらに会ったのかとか。あとは……最近どんな音楽聴くのか、とか。色々」

「やっぱ、そうだよね……」

「うん。けど……何か悩んでるなら、俺でよければ聞くぞ?」


 優樹はそう言うと、再び私の瞳をのぞき込み、眉尻を下げた。色素の薄い茶色の瞳が、気遣わしげに揺れている。


「あ、えっと……ううん。大丈夫。心配かけてごめん」


 私は、ほんの一瞬だけ、優樹に全て打ち明けてみようかと考えてしまった。

 けれど、私はすぐにその考えを否定する。

 ――こんな荒唐無稽な話、信じてくれるわけがない。それに、やさしい彼に、これ以上気を揉ませたくなかった。


 私は笑って誤魔化すと、先程の優樹の質問に答えようと、頭をひねった。


「それで、うーん、そうだなあ。友達は……、できたような、できてないような。高校の同級生には……卒業してから? どうだったかな、会ったっけか……」


 私は一生懸命ここ最近のことを思い出そうとするが、完全に記憶は遙か彼方に行ってしまっている。

 それはそうだ、この時間軸では卒業してから二ヶ月弱しか経っていないが、実際の私の記憶では三年以上も経ってしまっているのだから。


「なんだそれ、はっきりしないな」

「ごめんごめん。最近色々あって、ちょっと覚えてないっていうか……記憶があやふやっていうか……」

「…………なあ、本当に大丈夫なのか?」

「あっ、ごめん。大丈夫、気にしないで」


 ……しまった。また優樹に心配をかけてしまった。

 彼は真剣な顔で私を見つめ、ぎゅっと眉を寄せている。


「そ、それで、優樹は? 同級生には会ったりしてるの?」

「ん……ああ、琢磨たくまとなら時々会ってるけどな」

「えっと、隣のクラスだった、真面目そうな子だよね? 確か、山南琢磨やまなみたくまくん」

「そうそう、そいつだよ」


 琢磨くん……あまり話したことはないけれど、記憶にあった。

 確か、吹奏楽部に入っていて、打楽器を担当していた気がする。


「そんで、愛梨は? 朋子とか、修二とかとは会ってたりすんの?」


 ――優樹の口から何気なく出た名前に、私の心は再び凍りついた。

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