5 再会(1)




 はじまりは、インスト曲から。


 ハイハットの静かな音が、暗闇を打つ。

 歌うようなベースラインの上を、ギターの奏でるアルペジオが踊る。

 レスポールの深い音が真空管を抜けて、鼓膜へと響く。


 フィルターを通した照明がスモークに当たって、妖しげにステージを映し出した。

 ミステリアスな仮面舞踏会マスカレードのはじまりに、観客の期待は、おのずと高まっていく――。



 そして、流れるように二曲目へ。

 一曲目の残響音に乗せて、静かに公爵デュークが歌いはじめる。

 柔らかに、密やかに、語るように。澄んだ歌声が脳髄に染み渡っていく。


 徐々に歌声は大きく強くなっていき、そして、一斉に。


 音が弾ける。


 公爵デュークの歌声に寄り添うように、ギターが泣き、ベースがうねり、ドラムが叫ぶ。


 そこにあるのは確かな熱量。魂の叫び。

 気付けば、私の頬は涙に濡れていた。

 涙と一緒に、心の中の黒いものが全部流されていく。



 masQuerAdesマスカレードのライブは、あっという間に終わった。

 最後に、最推しである公爵デュークと、仮面の奥の目が合ったような気がして、私は幸せに包まれ、帰宅した。


 ――こんなにすぐそばで、masQuerAdesを観ることができるなんて。


 修二との関係も清算……もとい、なかったことになったし、推しも近くで観られるし、今のところ幸せしかない。

 どうしてタイムリープしたのかは分からないけれど、すり減っていた私の心は、久々に満たされている。それだけは確かだ。



 masQuerAdesのライブを観に行った次の日。

 私の家を、珍しい人が訪ねてきた。高校生の時に仲が良かった友人の一人、優樹ゆうきだ。


 タイムリープ前は、優樹とは卒業と共に疎遠になってしまって、まったく会っていなかった。

 卒業までは、みんなで自宅にも何度か遊びに来ていたから、優樹が訪ねてくること自体は不思議ではない。

 けれど、一人で訪ねてくるのは、おそらく初めてだった。


「よお、愛梨あいり。元気?」


 記憶にあるのと変わらない優樹の姿に、なんだかホッとしてしまう。

 あまり意識したことはないけれど、優樹はかなり整った顔立ちをしている。今は高校時代よりも前髪がちょっぴり伸びて、片方の目にかかりそうになっていた。

 服装は、ラフなパーカーにジーンズ。相変わらず、ファッションへのこだわりはないらしい。


 そんな優樹は、気取ったところのない、明るい男子だ。

 わがままでマイペースな朋子と、頑固な面のある修二、意見も言えずに周りに合わせて笑っているだけの私――そんな一見バラバラな私たちと、なぜか優樹は仲良くしてくれていた。


 容姿といい性格といい、人気者になってもおかしくなかったと思うのだが、優樹は、目立ちすぎず埋もれもしない絶妙な立ち位置をキープしていた。

 彼はクラスの前面に立つようなタイプではなくて、どちらかというと、一歩下がって調和を取るのが好きな人なのだと思う。


「元気元気。優樹は? 学校どう?」

「あー、まあ、ぼちぼち」

「あはは、ぼちぼちって何よ」


 優樹は、音楽系の専門学校に通っている。

 詳しいことは知らないが、人当たりのいい彼のことだから、なんだかんだでうまいことやっているのだろう。


「で、今日はどうしたの?」


 私は優樹にピアノの椅子を勧め、自分はベッドに腰掛けて尋ねる。


「ん……ちょっと聞きたいことがあってさ」

「聞きたいこと? なあに?」

「あのさあ、愛梨――」


 優樹はピアノの椅子に腰を下ろすと、無造作に耳の後ろを掻きながら、何気ない口調で尋ねた。


「――最近、何か変わったこととか、あった?」

「…………え?」


 ――急に冷や水を浴びせられたように、すうっと血の気が引いていく。


 なんで突然、そんなことを?

 どうして、タイムリープ前には疎遠になっていたはずの、優樹が?

 優樹は、何を知っているのだろう……?


 しかし、私の反応が予想外だったのか、優樹は目を丸くして、にわかに焦り始めた。


「え? ま、マジで何かあった? いやあの、俺、そういうつもりじゃなくて……、おい、愛梨、大丈夫か……?」


 余程私の顔色が悪かったのだろう。

 優樹は椅子から立ち上がると、両手を私の肩に置き、心配そうに私の目を覗き込む。

 私は優樹から返ってきた反応が予想外だったことと、整った顔立ちが急に目の前に現れたことで、面食らってしまった。


「ち……、近いよ、優樹」

「あっ……!? わ、悪い……!」


 私が顔を背けてぼそりと言うと、優樹はようやく気がついたらしい。顔を真っ赤に染めて、私からガバッと距離を取った。


「そ、その……ごめん」

「ううん、いいよ。大丈夫」


 申し訳なさそうに小さくなっている優樹を見て、私も何だか気恥ずかしくなってしまう。そのためだろうか、先程の質問に対する動揺も少し落ち着いた。私は改めて優樹に質問を返す。


「それで、何かあったかって……どういう意味? 優樹は、私に何があったか知ってるの?」

「え? 何があったかって……やっぱり、何かあったのか? いや、そうじゃなきゃそんな反応、しないか」

「んん?」


 優樹は質問に質問で返した私に対して、さらに質問を返した。

 私が疑問符を浮かべていると、優樹も首を傾げる。


「……ちょっと待って。話、噛み合ってなくない?」

「うん、俺もそんな気がする」

「とりあえず、落ち着こっか。飲み物持ってくるから、ちょっと待ってて」

「あ、うん。ごめん」


 私はまたピアノの椅子に座る優樹を横目に、一旦部屋を出たのだった。

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