第9話 下北沢、人形遣い

 光臣みつおみさんとテレビで共演した時は──と丸テーブルの上に夜明よあけを座らせながら響野は尋ねる。


風松かぜまつさんは何か、こう、人形を連れてきていたりしたんですか?」

「当たり前だろ」


 目の前に夜明が座った途端、光臣の顔が険しくなる。彼のような偽霊能者でも、夜明からは何かを感じたりするのだろうか。

 取り出しかけた煙草を箱に戻しながら、光臣は唸る。


「この──夜明とかいったか? この人形は初めて見たが」

「そうですか」

「おまえだって分かっているだろう。俺が呼ばれる番組はすべて、基本的になんて求めていない」

「……そらまあ。電波にを乗せちゃったら大変なことになりますもんねぇ」


 本物。

 呪い。

 幽霊。

 怨霊。

 悪霊。


 名称はどれでもいい。偽霊能者で半分タレントのような存在の錆殻光臣にはそれらを祓うことができない。だからテレビ局は、偽物には偽物をぶつける。そうした方が誰も傷付かないし、何せ錆殻光臣は映像映えするから盛り上がるのだ。


「写真とかないんですか? 風松楓子ふうこさんの」

「撮るタイプだと思うか? 俺が」

「……思いませんねぇ」

「だが、まあ、一枚だけある」

「え?」


 ぬるくなったコーヒーをひと息に飲み干した光臣が、自身のスマートフォンの画面を響野の目の前に突き付ける。そこには風松楓子の姿はなく、代わりに、夜明とはまるで違う顔立ちの──これは、なんという名称の人形だったか──とにかく人形を腕に抱いた仏頂面の光臣が写っていて──


「キャストドール!」

「種類までは知らん」

「球体関節人形っていうんですよ。夜明と同じです。レジン製で……ええっと……」


 POP人形店の店長から教えてもらった言葉をどうにか吐き出そうとする響野を「説明は要らん」と光臣は制止する。


「それより。この写真は──風松楓子に『ぜひに』と言って撮らされた写真だ」

「……ぜひに?」


 ──ぜひに、ぜひ、ねえ記者さん、ぜひ、この子を抱いてあげて。

 声が蘇る。そうだ。風松楓子は響野にも同じことを言ったのではなかったか。


「ちょっと待ってください光臣さん」

「もうそろそろ解放してもらいたいんだがな」

「俺も撮ったんですよ写真!」

「何?」


 スマートフォンの画像フォルダを遡る、半年よりももっと前。風松楓子の取材をしたのはいったい何年何月何日のことだったか。

 見つけた。

 ビスクドール展の図録に掲載するためのインタビューを取りに行った際、風松楓子に「ぜひに」と言われ、一体のビスクドールを腕に抱いて写真を撮った。響野のスマートフォンで、風松楓子が撮った。


「これ」

「……ビスクか。俺が抱かされた人形とは種類も顔もまるで違うな」


 こいつとも、と夜明を顎で示す光臣の言いたいことはなんとなく分かる。ただの偶然。風松楓子の気紛れで、響野も光臣も彼女が偏愛する人形を腕に抱いた。それだけの話。

 ──本当に?


「光臣さん」

「これ以上何の話をしようっていうんだ。いい加減面倒臭いぞ」

「人形供養を行う、風松神社って知ってます?」


 転瞬。

 光臣の表情が変わる。

 呆気に取られ──それから警戒の色に。


「おまえ──何を言っている?」

「光臣さんも何を知ってるんですか? 教えてください。今の俺には必要なんです」


 迫る響野を大きな手で拒みながら、光臣は低く舌打ちをする。


「風松楓子は死んだ。俺が勝手に語っていい話じゃない」

「ずいぶん頑なですね。風松さんに何か恩義でもあるんですか」

「……」


 図星。

 そうだ。錆殻光臣はなのだ。が現れた場合、彼にできることは何もない。

 だが。死んだ風松楓子が、人形供養の『風松神社』と何らかの関係を持っていたとしたら? 人形に絡む『本物』に纏わる事件を解決するために、光臣に力を貸していたとしたら?


「光臣さん──」


 言葉と同時に光臣が手を伸ばし、夜明の小さな顎をそっと掴む。

 顔を傾けた夜明の藍色の瞳に、錆殻光臣の顔が映っている。


「あの女は、自分のことをだと言っていた」

「人形供養……ではなく、人形遣い?」

「おいおい記者さん、気の抜けたことを言うなよ」


 夜明の顔から手を離し、席を立ち、上着を羽織りながら光臣は片頬で笑った。


「それとこれは繋がっている。そう考えるのが定石だろ?」


 人形を遣って呪い、人形を供養して祓う。


(──まあ、マッチポンプだよね)


 市岡ヒサシの声が脳裏に響く。

 錆殻光臣の姿は、既にない。

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