第10話 新宿、純喫茶カズイ③

 数日後。

 響野きょうの憲造けんぞうはまたしても祖父の店を訪れていた。当たり前のように人形・夜明よあけが入ったバッグを抱えている。

 今日は、響野が自分から店を訪れたわけではない。祖父・逢坂おうさか一威かずいから呼び出しがあったのだ。

 曰く、


「──おまえが調べている案件のヒントになりそうなものを発見した、らしいぞ。市岡いちおかヒサシが」


 というどこまで信頼して良いのか分からない内容の呼び出しで、響野は祖父のことは信頼しているが市岡ヒサシのことは心から信用してはいない。別に響野とヒサシの友情が上っ面だけのものだから、というわけではなく、市岡ヒサシとはそもそもがなのだ。


「おじいちゃん〜、俺が来たよ〜」

「あーっ来た来た」

「響野さん、お久しぶりです!」

「……おお?」


 カウンター内でティーカップを並べ直しているのは──祖父でありこの店の主人である、逢坂一威。カウンター席に腰を下ろしてひらひらと手を振っているのおは市岡ヒサシ、今回の案件のヒントになりそうなものを発見したかもしれない男。そしてそのヒサシの傍らの席に腰掛けているのは、


鹿野かのちゃんだ〜!」

「どうもどうも、急に押しかけて来ちゃいまして」

「いいよぉ! ヒサシくんとふたりであーでもないこーでもない言ってても煮詰まるだけだしぃ!」


 何その言い方、とくちびるを尖らせるヒサシには申し訳ないが、実際問題ふたりは煮詰まっていた。何かヒントを持っていそうな、亡くなった風松かぜまつ楓子ふうこと過去テレビなどで共演したことがある偽霊能者・錆殻さびがら光臣みつおみからは『』という不穏なフレーズしか引き出すことができなかった。加えて職場の編集長から渡されたスクラップブックに張り巡らされていた『』に関する記事。これらが市岡ヒサシが言うところの『マッチポンプ』だったとして──だから何だという話だ。完全に行き止まりである。

 黒髪にエメラルドグリーンのインナーカラーを入れ、丸眼鏡をかけてニコニコと微笑む女性・鹿野かの素直すなおとは旧知の中である。とはいえ彼女は記者でも偽霊能者でも市岡ヒサシと同じ生き物でもない。彼女は、演出助手だ。演劇を生業としている。雑誌記者響野憲造は本当にどんな記事でも書くので、鹿野素直が関わっている舞台に関する講評を書いたことがある。響野は演劇のプロではないので、匿名でこっそり書いた。それ以外にも日本で初めて上演される海外戯曲の稽古場に取材に行ったら鹿野が仕事をしていたり、響野と個人的に付き合いがある舞台監督が「信頼できるスタッフ」として飲み会の場に連れてきたのが鹿野だったりと──とにかく何かと縁はあった。

 そして今日も。

 風松楓子を巡る、何かのために鹿野素直は純喫茶カズイにやって来た。


「ねーねー鹿野ちゃん、響野くん来たし見せてあげてよ」

「いいですけど、市岡さん煙草吸わないでくださいよ。私もの前では絶対に吸わないんですから」

「分かってるよ〜。あっ逢坂さんも吸っちゃ駄目だよ」

「ヒサシおまえ本当にうるせえな」


 ──この子?

 何となく、何を見せられるのか予想ができた気がした。


「はい! うちの子、ハコちゃんです!」

「おああ〜……」


 鹿野素直が横長の鞄の中から取り出したのは──『梦葵娃娃社』生まれの人気キャストドール『美琦メイチー』だった。


「鹿野ちゃんも……あのそのアレなの……人形屋敷」

「違いますよ〜! 風松さんみたいに色んな人形をいっぱい集められるだけの財力も場所もないですよ、私には」


 私にはこの子だけです、と鹿野は柔らかく微笑みながら『美琦メイチー』こと、


「……ハコちゃん? って名前?」

「はい! 箱馬のハコちゃんです」

「演劇関係者っぽい名付けだね」

「名前付けるのって結構難しくて、お迎えしてから半年ぐらいは『美琦メイチー』って呼んでたんですよね。それで、新しい現場に入って暫く経って、不意に『ハコちゃん』って名前が浮かんで」

「そういう感じなんだ……」


 ──ハコちゃんの髪を撫でながら言った。


「でヒサシくん」

「はい?」

「ヒントって何すか。鹿野ちゃんが何を知ってるっていうんです」

「まあ何というか……俺ら、人形のこと好きな人って亡くなった風松さんしか知らないじゃん」

「それはそうですが」

「絶対数が少なすぎる。ひとりだよひとり。それも亡くなってる」

「む……」

「市岡さんから伺ったんですけど」


 と、ハコちゃんをカウンターの上に敷いたハンカチの上に座らせながら鹿野は言った。


「風松楓子さんが、金庫以外の場所に『美琦メイチー』を隠していたって本当ですか?」

「それは……そう……本当」


 一応の依頼人である風松眞一しんいちにも伏せている『夜明』の存在を、なぜ簡単に開示してしまうのか。ヒサシをじっとりと睨みながら、響野は首を縦に振る。


「見たぁい……」

「見たいんですか……?」

「見たいです! ほら、私にはハコちゃんだけなので……もちろん他のお人形も可愛いって思うんですけど、ハコちゃんがいちばん可愛くて、ハコちゃんと同じ種類の『美琦メイチー』を風松楓子さんが隠していたってなると……テンション上がりませんか!?」


 鹿野素直のテンションは既に上がっている。先日顔を合わせた錆殻光臣とは正反対だなと思いつつ、わかりました、と響野は首を縦に振る。


「でも服とか髪の毛とか……目とか。結構変えちゃってるから、風松さんセンスを期待しない方がいいすよ」

「あ、市岡さんに聞きました。POP人形店で一式揃えたんですよね?」

「ヒサシくん……?」


 なぜ、なんでもかんでも簡単に人に話してしまうのだ、この男は。口の中でため息を噛み殺し、響野は慣れた手付きで夜明が入っている鞄を開ける。


「あっ、ちゃんとおくるみに包んでる!」

「これもPOP人形店で買ったんすよ」

「私も時々行きます! 品揃えがいいですし、相談にも乗ってくれるから助かるんですよね」

「相談?」


 言葉を交わしながら、夜明の体をおくるみの中から引っ張り出す。フェイスカバーを外し、鞄の内ポケットに入れてあったウィッグを被せてやる。服は着たままだから、これで響野が連れ歩く『夜明』は完成だ。


「はい、夜明です」

「おお……」


 カウンターの上、鹿野のハコちゃんの隣に座らせる。もともとは同じ『美琦メイチー』という人形ということもあり、目鼻立ちなど顔のつくりはほとんど同じだ。


「鹿野ちゃんのハコちゃんは何かこう、限定の『美琦メイチー』だったりするんすか?」

「ぜーんぜん! 違いますよ! 限定品の『美琦メイチー』ってすっごく高いんですよ。安くて六桁当たり前。私じゃ到底手が出ません」

「じゃあ、ハコちゃんは……?」

「所謂ってやつですね。いつでも売ってるし、値段も高すぎない。私のハコちゃんはお洋服込みで五万円でお釣りがきました」


 ベーシック──どこかで聞いた響きだ、と思う。


「響野くん、響野くん」

「何すか」

「これこれこれ」

「……」


 鹿野の肩越しに、ヒサシがウィジャボードを示している。そうだ。市岡神社謹製のウィジャボードを用いて夜明から事情を聞いた際、「自分はベーシックである」と夜明本人が証言したのだ。


「これこれこれこ、」

「なんですかそれ?」


 くるりと振り返った鹿野が尋ねる。ヒサシはにっこりと笑みを浮かべ、


「ウィジャボードだよ!」

「ウィジャ……なに?」

「鹿野ちゃんの世代ってこっくりさんとか流行らなかった感じすか?」

「ああ……なるほど、こっくりさん……」


 カッコ良く言うとウィジャボードになるんですね、と鹿野が納得した様子で頷いている。本来はそういう事情で名称が変わっているわけではないのだが、訂正するのにも時間がかかるので響野は一旦口を噤んで目の前に置かれたコーヒーに手を伸ばす。


「なんでこっくりさん用の紙なんて持ってるんですか、市岡さん」

「こないだね〜、これを使って夜明くんから事情聴取をしたんだよ」

「へえ。すごいですね。風松楓子さんのお人形ともなると喋るんですね」

「鹿野ちゃん受け入れないで……」


 ヒサシの適当な発言を適当に許容する鹿野に、響野は地を這うような声を掛ける。


「まあ……でもまあ、別に驚くような話でもないですよ。何せ風松楓子さんといえば、

「え?」


 風松神社。

 なぜ、鹿野の口から、その響きが。

 呆気に取られる響野を更に驚いたような目で見据えた鹿野が、


「え? ……って。その話をするために私を呼んだんじゃないんですか?」

「え? ええ? ヒサシくん?」

「鹿野ちゃんのパッパは〜」


 カウンターの上に肩を並べて座るハコちゃんと夜明──ふたりの『美琦メイチー』の姿をスマートフォンで撮影しながら、市岡ヒサシは言った。


「民俗学の界隈ではそれなりの名の知れた先生だよね〜」


 鹿野かの迷宮めいきゅう

 そうだ。忘れていた。

 人生の大半を日本各地の神社仏閣を巡るフィールドワークに費やし、とある私立大学の教授として関東圏に落ち着いたのはここ数年のこと、という鹿野の実父。市岡ヒサシの実家である市岡神社も、鹿野迷宮の研究対象である。


「鹿野ちゃんのお父さんは……風松神社、風松楓子さんのことを幾らか知ってるんすか? 情報があるなら聞かせてもらえると嬉しいす」


 鹿野素直は数秒沈黙し、そうですね、と短く応じた。


「私も市岡さんから連絡をもらって、すぐ父に話を聞こうとしたんですが──あの人今、ヨーロッパの学会に呼ばれていて」

「あらま。この年の瀬に」

「だから本当に断片的な返答しか得られなかったんです」


 と、鹿野は一枚の紙切れを飴色に磨かれたカウンターの上に滑らせた。

 鹿野迷宮──曰く。


 風松楓子は、風松神社を既に放逐されている。

 半世紀前の話である。

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