第8話 港区、テレビ局、待ち伏せ
二日ほど勤務先で大人しく仕事をこなした
「あー……冷えてきましたなぁ、
人形・
夜明を自宅に連れて帰った日に見た悪夢は、結局あの一度だけだった。夜明という存在と何らかの波長が合ってしまったのか、それとも悪夢と夜明には何の関係もないのか。今の響野には分からない。謎はそのうち解けるかもしれないし、いつまでも謎のままかもしれない。現時点ではどっちでもいい、と響野は思っている。
「このままだと俺、夜明さんのこと抱えたまま年越しする羽目になるのかね〜? まあいいけど。おじいちゃんのところ行くぐらいしか予定ないし……」
はあ、と溜息を吐く響野に夜明が相槌を打つ──ということはない。今ここにはウィジャボードはないし、夜明は人形なのだから。
「……お! アレか!」
空になった紙製のコーヒーカップを握り潰し、夜明が入った鞄を肩に担ぎ、コーヒカップをゴミ箱に捨てた手でレザージャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出しながら響野は駆け足で店を出る。『局を出たらお会いしたい』というメッセージは既に作ってあり、あとは送信ボタンを押すだけだった。
「……待ち伏せをしていたのか」
苦虫を噛み潰したような──それも一匹や二匹ではない。その巣ごと口に放り込まれたかのような顔で、
「光臣さんが本日打ち合わせのために局に来る、という話をリークした者がおりまして!」
「誰だ。名前を言え、馘にしろそんなやつ」
「いやいやいやいや。だって俺が個人的に会ってくださ〜いって頼んでも無視するでしょ?」
「当たり前だ。……響野憲造。おまえ、自分がどんな記事を書いたのかもう忘れたわけじゃないだろうな?」
響野が、彼の姿を初めて見たのは地上波のバラエティ番組でのことだった。『最強霊能者』という肩書きでゲスト席に座る錆殻光臣は番組に出演していたどの芸能人よりも整った、貫禄のある顔立ちをしており、低く良く響く声にもなんともいえない説得力があった。番組が放送されたのは、数年前の夏だった、と思う。視聴者から事前に集めた幽霊が写り込んだという名目の写真や、奇怪な音声が録音されている年季の入ったカセットテープ、それに家賃が安いからという理由で事故物件で生活したところ霊障に悩まされるようになったという一般人をスタジオに招いて、『最強霊能者』錆殻光臣が事件を解決していく──というシナリオだったと記憶している。
響野は市岡兄弟の証言を、記事にした。勤務先の雑誌には載せられないので、ほとんど自費出版のような形でアングラ系の雑誌を出している知人に頼んで『錆殻光臣は偽霊能者。ほぼ詐欺師なので彼に仕事を頼むときは要注意!』というようなタイトルで掲載してもらった。
その結果、錆殻光臣が雇っている弁護士から警告文を受け取り、長期に渡って法的な殴り合いを行うことになった。
「やだぁ、結構前の話じゃないですか。光臣さん執念深〜い」
「やかましい。おまえが書いたあの記事のせいで……厄介な噂が立つことになって、本当に迷惑をした」
紙煙草に火を点ける錆殻光臣と響野憲造は、打ち合わせを終えてテレビ局を出てきた光臣を迎えにきたマネージャーが運転するクルマに乗って、港区赤坂からは遠く離れた世田谷区下北沢を訪れていた。光臣がどこに住んでいるのかを響野は知らない。下北沢を選んだのは、響野自身が下北沢を好きだからだ。
適当に選んで入った喫煙可能カフェで、光臣はブレンド、響野はハーブティーを注文した。何の用事だ、と光臣は訊かなかった。響野に関わりたくないのだろう。気持ちは分かる。響野が光臣の立場だったとしてもそうする。
だから、響野が先に口を開いた。
「
光臣が小首を傾げる。あ、覚えていないのかな、と思った響野に、
「人形を集めていた女性か。夏に死んだ」
「そうですそうです。よかったー覚えてて」
「そう簡単に忘れるか。仕事でも何回か顔を合わせたことがある」
「あーインチキお祓い番組。ああいうのって需要あるんですか?」
「でかい声でインチキとか言うんじゃない。……ああ、需要はあるさ。俺自身に需要がある」
光臣が、本当はお祓いや、悪霊に取り憑かれた人間を救うといったことができないと、本当は皆が知っているのではないかと響野は思う。錆殻光臣はそんじょそこらのタレントよりも端正な顔立ちをしているし、お祓いコーナーでの演技もうまい。本物が──たとえば市岡兄弟の兄、稟市が行う本当の祓いよりも、光臣が行う偽物の祓いの方がテレビ番組としては映えるのだ。光臣自身に需要がある、という表現は、間違いではない。
「年末もなんか、そういう番組に?」
「年末の収録はもう終わってる。今日は年明けの仕事の打ち合わせをしていた」
「へー。忙しいっすねえ」
「ああそうだ、俺は忙しい。だからおまえ……響野憲造。いったい何の用事で来たんだ?」
「これ」
小さなビルの細い階段を上がった場所にある、静かなカフェである。丸テーブルを挟んで隣同士のような格好で座った光臣の前に、響野は夜明が入っている鞄を突き付ける。
「三脚用の鞄か? それにしては小さいな」
「違いますよ。人形が入ってるんです」
「は?」
紙巻き煙草を灰皿に押し込みながら、光臣が両目を瞬く。
「人形? ……風松楓子と何か関係があるのか?」
「風松楓子さんのご自宅から回収された人形です」
「回収? 誰が回収したんだ? 警察か?」
「いや……と、友達が?」
急に歯切れが悪くなる響野を胡乱な目で睨め付けた光臣が、
「窃盗じゃないか」
「違いますよ! 違います、それは違うのです」
「何が違うんだ。風松楓子の自宅から回収されたモノなら親族か、そうでなければ警察が保管するのが筋だろう」
「まあそれはそのそうなんですけどぉ……あのですね、あっそうだ、光臣さんもちょっと見てあげてくださいよこいつの顔」
「は? なんでだ。嫌だよ」
「怖いですか? 人形?」
ニコニコと笑いながら鞄を開けようとする響野の額を指で弾いた光臣が、
「怖くはないが、不気味だろ」
「そうですかぁ〜? 俺この人形と今同棲してるんですけど、そんな悪くないですよ」
「おま、おまえなぁ……!!」
鞄を広げ、おくるみに包まれた
「じゃじゃじゃん! 夜明くんです!」
「夜明……? 人形の名前か?」
「そうです!」
「……お前が付けたのか?」
「違います」
じゃあ誰が、と目を眇める光臣に「人形が名乗ったんですよ」と響野は応じる。響野の言葉を信じているのかいないのか、「なるほど、意外と不気味じゃないな」と光臣は夜明の顔を覗き込んでいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます