第7話 人形供養

 翌日。

 響野は数日ぶりに職場に顔を出した。風松かぜまつ邸の跡地を確認に行ったり、秋葉原に遠征したりしていたせいで会社に足を運んでいる余裕がなかったのだ。それもこれも、職場に於ける響野が放し飼いの犬のようなポジションだからこそ許されている蛮行である。


 久しぶりの通勤ラッシュ。少し迷ったが、夜明よあけが入っている鞄を職場に持って行くことにした。奇妙な夢を見たからという理由もある。それに加えて、


(……ヒサシくん、妙なこと訊いてたもんな……)


 新宿、純喫茶カズイにて決行した、市岡神社謹製ウィジャボードを用いての人形・夜明に対する事情聴取。名前を聞き出し、風松楓子との関係や彼女の死について認識するかなど様々な問い掛けを行った後、ウィジャボードの持ち主である市岡ヒサシは意図の分からない質問を口にした。


「夜明くんが生きてるって分かると困る人間って、どこかにいたりする?」


 

 夜明は、人形なのに。

 何を考えているのかとヒサシの横顔を呆れ半分に見詰める響野が指を乗せている五円玉は、『はい』の上に動いた。ヒサシが自分で動かしているという可能性を完全に捨てたわけではなかったが、


「ほーん……なるほどねぇ……」

「何がなるほどなんすか」

「いや。大量殺人現場の唯一の生き残りが犯人から命を狙われるって、ハリウッド映画みたいだな〜って」

「はあ?」


 繰り返すが、夜明は人間ではない。人形だ。見れば分かる、はずなのに。


 乗車率120%の電車の中で、奇跡的に席に座ることができた。夜明を持ち運ぶためのバッグは一見するとカメラの三脚ケースに似ている。夜明──キャストドール・『美琦メイチー』たちは体長が四十センチ程度で、『美琦メイチー』は同じ四十センチ前後のサイズの人形たちの中でも殊更華奢なつくりをしているということもあり、


「バッグに入れる前にフェイスカバーで顔を守って、それからこちらのおくるみで包んで、大きな衝撃を受けたり、メイクが剥がれたりしないようにしてあげてくださいね」


 と、POP人形店の店長から響野は言い含められていた。フェイスカバーというのは文字通り人形の顔を覆うためのプラスチック製のカバーで、おくるみというのは人形を持ち運ぶための鞄と一緒に買ったふわふわの白い布団だ。昨晩祖父の店を引き上げる際にPOP人形店の店長に教えてもらった通りに梱包──梱包?──をして、自宅に戻ってからは一度も鞄を開けていないので、出勤時もソファの上から鞄を回収してそのまま真っ直ぐ駅に向かった。

 膝の上に鞄を立て、その上に顎を乗せて満員電車に揺られる。夜明の頭の向きはこっちが上で正しかっただろうか。良く分からない。開けていないので。スマートフォンの麻雀アプリを立ち上げ、名前も顔も分からない人間たちと対局をしているうちに勤務先のある駅に着いた。「降ります、降りまぁす」と声を上げながらスーツや制服姿の人間たちをかき分けて今にも閉まりそうな扉に向かう。左手に引っ提げたままの鞄からは、何の異常も感じられない。


「響野」

「あー編集長。はざす」

「はざすじゃないんだわ。おまえ今度は何やってんの?」


 タイムカードを押して十秒も経たないうちに、上司──響野が勤務する出版社、その一角にある週刊誌編集部の編集長・諏訪部すわべが声をかけてくる。諏訪部は響野よりもひと回りほど年上の男性正社員で、響野が今の編集部に配属になる以前からずっと編集長を勤めている。

 響野より年上ではあるが小柄で細身の諏訪部が、「なんだそれ」と左手に引っ提げたままの鞄を顎で示す。


「あー。夜明です」

「は?」

「人形の名前です。見ます?」


 いや、いい、と言う諏訪部を無視して、響野は自身のデスクの上で鞄を開く。懸念していたような事態は起きておらず、響野が「こっち側」と思っていた側に夜明の頭はあった。


「えーっと、どうやるんだっけ……服は着せたままだし……あっ、ウィッグ。ウィッグだ。あったあった」


 柿色のボタンシャツと黒いスキニーパンツは、POP人形店で入手した際に着せたままだ。夜明をパソコンの隣に座らせて、私物が入った小さなバックパックの中から金茶色のウィッグを取り出す。


「ウィッグと……あとブーツか。でもブーツはいいや。俺のデスクの上だし土足厳禁」

「おまえ何言ってるんだ? 響野」

「何も言ってませんよ。ていうか見てくださいよ編集長。これ風松かぜまつ楓子ふうこさんのおうちの跡地から回収された人形なんですよ」

「はあ?」


 誇らしげに夜明を紹介する響野を、諏訪部は呆気に取られた様子で見詰めている。やがて、


「おま……それ……窃盗……」

「違いますよ!! ……連れ出したのは俺ではないので……」

「でも今おまえが所持してたら窃盗だろうが。風松さんのご遺族にお返ししろ」

「あーあーそれがですね、そうできない理由があるというか!」

「理由ってなんだよ!」

「ハリウッド的な理由が……」

「おまえ! ……おまえと話をしていると、こっちがおかしくなりそうだよ、もう……」


 うんざりと嘆息した諏訪部が、「夜明?」とデスクの上の人形に視線を向ける。響野は頷き、


「中国の人形会社、『梦葵娃娃社』の看板人形、『美琦メイチー』す。『夜明』は個体名です」

「勝手に名前を付けたのか?」

「いや……」


 ウィジャボードで本人から聞き出して──と正直に伝えようとしてやめた。ウィジャボードから得た情報に関しては、響野とてすべてを信用しているわけではないのだ。


「げ、現場に名札が落ちてて……?」

「嘘だろ」

「嘘ですが……」

「まあいい。とにかく、現場にあったものは現場に返せ。それに響野、なんでおまえ今になって半年前の事件を掘り返したりしてるんだ?」


 それに関しては響野も正直良く分からなくなっている。そもそもの始まりは、故風松楓子の甥に当たる男性・風松眞一しんいちから舞い込んだ依頼だった。風松楓子は既に亡くなっているが、その孫、風松眞一にとっては姪という扱いになる娘・時藤叶子きょうこが人形に取り憑かれているから、その手の事件を良く記事にしている響野憲造に霊能者を紹介してほしい、という依頼──。

 だが既に、事件は、夜明は、風松眞一から遠く離れて動き始めている。


「響野」

「あい」

「俺はその……何? 『美琦メイチー』? 夜明? なんでもいいけど、人形のことは良く分からんが」

「夜明って呼んであげてください。男の子です」

「知るかよ。それよりこっちだ、読め」

「うわぁ」


 響野の顔面に週刊誌や雑誌の記事が大量に貼られたスクラップブックを押し付け、諏訪部はそそくさとその場を去った。「何これぇ……」と呟いた響野は取り敢えず自身の席に腰を下ろし、デスクトップパソコンの傍に座っている夜明の目の前で押し付けられたスクラップブックを開く。


『御人形供養承ります』

『どの様な御事情が有っても詮索致しません』

『手に負えぬ御人形は、まで』


「──は?」


 開いたページに張り巡らされていたのは──一般的な雑誌や新聞の記事ではない。

 人形供養を引き受けるという『風松神社』という組織の広告。更には、『風松神社』で訳ありの人形を供養してもらったという人々の感謝の手紙や、手記──。


「手に負えぬお人形って……なんだよ」


 思わず、夜明に問いかけていた。

 彼が答えを知っているはずも、ないのに。

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