第5話 新宿、純喫茶カズイ②

「なんかめっちゃ綺麗になって戻ってきたね」


 ──夜。響野きょうの憲造けんぞう市岡いちおかヒサシは、昨日と同じように新宿・純喫茶カズイで顔を合わせていた。

 カウンターの上には秋葉原から戻ってきた『美琦メイチー』がちょこんと座っている。昨日と違う点が幾つかあるとすれば、


「服と、靴と、……カツラ? これ全部響野くん買ったの?」

「ウィッグっていうんだって」

「買ったの?」

「買ったよ! 領収書もらったけど経費では落ちない気がする〜」

「領収書見せてよ〜。高かったっしょ?」

「見せねー! うるせー! 経費で落ちなくても俺のこれは必要経費だからいいの!」


 ヒサシが誘拐してきた時に着用していた桃色のセーターと紺色の半ズボンはもう着ていない。代わりに明るい柿色のボタンシャツと黒いスキニーパンツ、ブルーグレーのショートブーツを履いている。どれもPOP人形店の店長が選んでくれたものだ。更にツルツルだった頭には金茶色のボブカットのウィッグを被せ、火災現場に放置されていたせいで灰が付いてしまっていた目玉も店長おすすめのガラス製の新品に取り替えた。色は冬の海を思わせる深い藍色だ。それに加えて、ヒサシには見せていないがドールを持ち歩くための鞄も購入した。トートバッグに放り込んだままでは破損の可能性がある──という説明を受けて、なるべく頑丈そうなものを選んでもらったのだ。

 すべて、現時点では、響野の自腹である。


「急に可愛くなっちゃって〜。これだと部屋に置いててもあんまり怖くないかもね」

「俺もそう思うす」


 それに、POP人形店の店長も同じようなことを言っていた。この『美琦メイチー』は亡くなった風松かぜまつ楓子ふうこが殊更可愛がっていた『美琦メイチー』で、


「特に可愛がってた……って言うのはつまり、幾つも同じ『美琦メイチー』を所持してたってこと?」


 ヒサシの問いかけに、響野は首を縦に振って応じる。


「風松さんは『梦葵娃娃社』が作っている人形──特に『美琦メイチー』のファンだったらしくて、新しい『美琦メイチー』がリリースされる度に購入……人形用語で言うと、でしたっけ? とにかくそれをしてたらしくて」

「……他の『美琦メイチー』は全部燃えちまったのかな」


 無精髭の浮いた頬を撫でながら、ヒサシがぽつりと呟く。響野としても気になるところではあった。というのも。


「ヒサシくん、この『美琦メイチー』をどこから引っ張り出してきたんすか?」

「……言ってなかったっけ?」


 きょろりと目を回して見せるヒサシと文句を言うべくくちびるを尖らせる響野の前に、カウンターの中からコーヒーカップが置かれる。


「喧嘩するな、面倒だから」

「だっておじいちゃん」

「うはは。俺の勝ち」

「勝ちも負けもあるか。おまえがいったいどういう手品を使って人形を発掘してきたのかは、俺も気になってるんだからな」


 煙草に火を点けながら唸るマスターに、ヒサシはひょいと肩を竦めて見せる。


「風松楓子さんの寝室」

「耐火金庫があったっていう」

「そう。金庫はひとつだけだったのかな? って床板を剥がしてみたら、そこに、」


 とヒサシはカウンターに座る『美琦メイチー』を指差し、


「こいつが入った金属製の箱があった」


 それは、つまり。


「風松さんは本当に」

「大事にしてたんだろうな、この人形のこと」

「でも、金属製のケースって大仰すぎないすか……金庫はまあ、なんか分かる気がするすよ、逆に。だけど」

「金庫には自分にとっても他人にとっても価値のある人形を入れていた。だけどこっちのこいつは、」


 風松楓子にとってのみ価値があり、更に他人に触れられる可能性を徹底的に排除したかった、とでも考えれば良いのだろうか。

 目玉を入れ替えたことによって、物言わぬ『美琦メイチー』に何らかの感情が宿ったかのように見える。この人形から証言を引き出すことができれば風松楓子の真意も、あの火事の原因もすべて分かるはずなのに、と響野はひどく歯痒い気持ちになる。


「響野くん」

「なんすか」

「人形から証言取れればいいなって思ってるっしょ」

「は? そんな非現実的なこと……」

「いいや、俺には分かるね。響野くんは非現実的なことを考えてる、そこで」


 と、ヒサシは足元に放り出していた革製のクラッチバッグをつま先で引っ掛けて持ち上げ、


「これ、使ってみない?」


 取り出されたのは一枚の紙。響野は大きく顔を顰め、「正気すか?」とうんざりと尋ねる。

 ヒサシが持参したのはウィジャボード──日本では『』の名で知られる降霊術に用いられる品だった。


「そんな嫌がらなくたっていいだろ! これ俺ん家謹製のちゃんとしたウィジャボードだよ!?」

「だから嫌なんすよ! ヒサシくん家って……じゃないすか!」

「そうだよ! 悪いか!」

「今回に関してはすごく悪い!!」

「……おまえたち、喧嘩するなら外で……」


 マスターが割って入らなければ、ヒサシと響野は掴み合いを始めていただろう。

 ヒサシ──市岡いちおか氷差ヒサシの実家はとある片田舎の山の上にある神社で、所謂稲荷神社とは異なる形で狐を祀っている神社である。一方、『こっくりさん』の『こっくり』は『』とも表記され、狐をはじめとする動物の低級霊を呼び出してしまうため気軽に手を出してはいけないと噂されることが多い。

 狐を祀る市岡ヒサシの実家・市岡神社謹製のウィジャボードでこっくりさんを行って人形の言葉を聞き出す。NG要素が多すぎる。


「見て見てほら、『はい』『いいえ』のあいだにある神社マークのところに『市』って書いてあるでしょ。市岡神社が作ったウィジャボードですよ〜っていう証明ね」

「要らなすぎる」

「オークションとかフリマアプリに出すと高く売れるんだよこれ?」

「売らないでくださいよ! 危ないでしょ!!」

「危ないことが起きたら市岡の人間が解決に走るってことで……まあ、マッチポンプだよね」

「自分で言うな!」


 ヒサシと喋っていると脳が溶けそうになる、と言っていたのは彼の兄である稟市りんいちだっただろうか。響野はヒサシと年頃が近いためそこまで鬱陶しく感じたことはないのだが、今は稟市の気持ちが良く分かる気がする。


「いいじゃんいいじゃん。こっくりを呼び出すんだったら危険かもしれないけど、今回の相手は人形だし」

「お、おじいちゃん……」

「やるなら勝手にやれ。俺は知らん」


 新しい煙草に火を点けようとする祖父の冷たい声に、響野はがっくりと肩を落とした。

 こうなってしまうともう、ヒサシのペースからは逃れられない。


「よーし! 腹を括れ響野くん!」

「嫌す……」

「ピカピカの五円玉を用意してきたからね! 行くぞ〜!」


 ウィジャボードの開始地点──神社のマークが書かれた場所に五円玉を置き、更にヒサシと響野がそれぞれ人差し指を添える。


「こっくり──じゃなくて、お人形さん、お人形さん、いろいろ聞きたいのでおいでください」

「おいでください……」

「響野くんもっと声張って! 話をしてくれるのであれば、五円玉を『はい』の上に移動させてください」

「ください……」


 スイッと。

 五円玉が『はい』の上に動く。

 響野は大きくため息を吐く。始まってしまった。

 これがヒサシの仕込みであれ、本物であれ、始まってしまったからには終わるまで逃げ出すことは許されない。


「おーっ」


 ヒサシが感心したような声を上げる。


「いいねいいね、協力的だ。それじゃあ次は……ああ、名前がいいかな」

「名前?」


 五円玉の上に添えた指は動かさぬまま、横目でヒサシを見て響野は尋ねる。


「いつまでも『お人形さん』じゃ呼びにくいじゃん」

「『美琦メイチー』って呼んでますけど、俺は」

「それは商品の名前っしょ? 風松さんがつけてた個体としての名前があるんじゃないかな? と俺は踏んでるんだけど……」

「まあ、好きにしてください」

「好きにする。お人形さん、お人形さん、何かこう……俺たちに呼んでほしい名前があるなら、下のひらがなから字を選んで教えてください!」


 五円玉が再び、静かに動き始める。ヒサシは両目を輝かせている。響野は五円玉の動きを漫然と眺めながら、不意にカウンターの上に座らせたままの『美琦メイチー』の顔に視線を向ける。


 ガラス玉の瞳が輝いているような、気がする。


「あ、響野くん……」

「何すか……あ」


 五円玉が、文字の上でゆっくりと動きを止める。


『よ』


「……『よ』?」


 ヒサシの眉間に皺が寄る。想定外の回答だということだ。


『あ』


『け』


「『夜明よあけ』……?」


 思わず呟いた響野に応じるかのように、五円玉がグンッと勢いを付けて動く。


『はい』


「お人形さん、夜明よあけって名前なのか」


 ヒサシの声音からは、おふざけの色は綺麗に消え去っている。

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