第4話 第三モトハビル、POP人形店

 ──翌日。

 響野きょうの憲造けんぞうは、秋葉原を訪れていた。

 市岡ヒサシが誘拐──無断で持ち出してきた人形、『美琦メイチー』について調べ、SNSで情報を募った結果、


「秋葉原に行けばドール専門店がたくさんあるよ」


 という情報がフォロワーたちから寄せられたのだ。

 急にドール趣味に目覚めたのかとか、もしかして風松かぜまつ楓子ふうこの件に関わっているのかなどと妙に察しの良いフォロワーたちに曖昧な御礼をし、一眠りした後自宅を出て新宿の祖父の店に向かい、回収した『美琦メイチー』をトートバッグに放り込んで山手線に飛び乗って秋葉原にやって来た。

 秋葉原には、正直まったく縁がない。知人が経営しているバーがあって、その店に何度か足を運んだことがある──程度だろうか。そのバー自体も知人の気まぐれで営業しているため、いつも開いているわけではない。つまり、頻繁に飲みに来ているわけではまったくない。


「観光客多いなぁ……」


 勤務先である出版社には、取材のために半休を取ると連絡をしてあった。詳しく事情を聞かれることはなかった。勤務先での響野はほとんど、放し飼いの犬のような存在だった。給与という餌を貰い、それなりに価値のある記事を持って戻りはするものの、上司や先輩の指示に応じることはほとんどなく、ほとんど社内にいることがない。思えば、風松楓子のインタビューを引き受けたのだってほんの気紛れに過ぎなかった。


「神田の方なの〜?」


 だったら神田駅で降りても良かったな、とボヤきながら、響野は地図アプリを眺めながら歩き始める。定食屋、ゲームセンター、無数のガチャガチャが置かれた雑居ビル──見回せば誘惑の多い街だった。ゲームセンターは好きだ。クレーンゲームは得意ではないが、ゲットできた瞬間の悦びに響野は弱い。市岡いちおかヒサシはあれで手先が器用で、大きめのぬいぐるみをゲームセンターから頻繁に持ち帰っている。最近流行りの、妙に凝ったガチャガチャも気が向けば回す。自宅のテレビ台の周りにはスイッチを入れるとライトが灯る自動車のミニチュアが幾つも並べてある。食品サンプルなんかも嫌いではない。


「この角を……曲がるの? 曲がらないの? どっちだよ〜、第三モトハビル!」


 地図アプリの指示通りに歩いてきたら、そこは行き止まりだった。三方を背の高いビルに囲まれて響野は喚く。

 と、その瞬間だった。


「第三モトハビルは、ここですけど……」

「へ?」


 低く、柔らかな声だった。顔を振り向けた先には橙色の文字で『POP人形店』と書かれた白いエプロンを着けた、同世代ぐらいの男性とも女性とも付かない人物が立っていた。


「当店をお探しだったんですね。お声がけして良かった」

「いやほんとありがとうございます。アプリに騙されたかと思った」


 POP人形店──ヒサシが誘拐してきた『梦葵娃娃社』の『美琦メイチー』をはじめとする海外産の球体関節人形、キャストドールと呼ばれる商品全般に加えて人形に関する小物などを取り扱っている、その筋では有名な店らしい。昨晩SNSを通して響野に情報を寄越してきたフォロワーたちの中にも「アキバのPOPに行けばキャストドールのことはだいたい分かるんじゃないか」と言う者が少なくなかったので、まずはこの店を探すことに決めたのだが。


「それにしても……なんていうか、壮観、ですね」

「ははは。皆様そう仰るんですよ」


 長い黒髪を肩口で纏め、両耳に大量のピアスをぶら下げたPOP人形店神田本店の店長は笑いながらそんなことを言う。その辺りの喫茶店よりは広い店内、壁いっぱいに透明の──ガラス製だろうか?──の棚が設置されており、中には大量の人形、ドールたちが様々な衣装を身に着け、ポーズを決めて佇んでいる。「風松楓子さんの件で取材をしている雑誌記者です」と素直に名刺を差し出した響野に、「それじゃあ一旦お店を閉めましょうか」と店長はドアに掛かっていた『OPEN』の札をくるりと『CLOSE』にしてしまう。丸椅子を出してもらい、「少し待ってくださいね」と言いながらパソコンに向かう店長の左耳のピアスの数を響野はぼんやりと数えながら過ごした。


「すみません、お待たせしました。開店時間が少し遅れる旨、SNSに」

「あーっ、お手数おかけしまして申し訳ない。ほんと手短に済ませますんで。ほんとに」

「いえ、構いませんよ。風松楓子さんの件……と仰いましたよね?」

「あっはい」


 トートバッグの中の『美琦メイチー』を取り出そうとする響野の肩口を眺めながら、


「とても良いオーナー様だったので」


 と、店長は言った。響野は大きく両目を瞬き、


「えっ。風松さんは、こちらのお店にも?」

「もちろん。風松さんはその……世間的にはビスクドールだとか、日本人形だとか、そういった一風変わったドールを好む方として知られていたようですが。それだけじゃなく、たとえばこれ……」


 と、レジカウンターの前に立ててあった小さな人形が店長の手から響野の手に渡る。


「ちっちゃい! なんですかこれ?」

「ブラインドドールって分かります?」

「あっ……風松さんから聞いたかも……」


(──最近こういうお人形が流行ってるの、記者さんご存じ?)


 たしか、風松楓子も今の店長のように小さな人形を響野の手に乗せてくれた。記憶が蘇る。


「あの、なんか、箱に入ってるんですよね? で、開けるまでどんな人形が出てくるか分からないっていう」

「そうそう。比較的安価で手が出しやすいので、良く売れるんですよね。これが箱です」

「へえ〜……なんかでっかいガチャみたいだ。あ、この横に描いてある絵が……」

「そうです。この六体がメインのラインナップで、運が良いとシークレットが出る」

「そうなんだ! 面白いですね。俺もひとつ買っていいですか?」


 取材のことをすっかり忘れた──いや忘れてはいなかったが、風松楓子がいったいどのような気持ちでこの人形を購入したのかを知りたくなった響野は、上着のポケットから財布を取り出しながら目を輝かせる。


「どうぞどうぞ。こちらからお好きな箱をお選びください」

「すごいいっぱいある〜。人気なんですねぇ。風松さんもこうやって選んだんですか?」

「そうですね。特に気に入ったデザインの商品はオールインで購入されていましたが」

「オールイン……あ、箱買いか」

「そうです。シークレットが出る可能性も少しだけ上がりますしね」

「なるほど。あ、俺これ買います」

「かしこまりました。4500円になります」

「ありがとうございます。開けてもいいですか?」

「もちろん」


 会計を終え、丸椅子に座り直した響野はウキウキとした気持ちで小さな箱を開封する。中から出てきたのは──


「あ! 店長さん! これ!」

「おや、すごい。シークレットじゃないですか」

「すげえ! ビギナーズラックだ!」


 箱の側面に描かれていたどのデザインとも違う人形が箱の中から登場し──少なからず興奮してしまう。嬉しくないといえば嘘になる。


「へー! なんかこうやって手に入れると愛着湧いちゃうなぁ。……風松さんもこういう気持ちだったのかなぁ」


 一頻りはしゃいだ後、人形を箱の中に片付けて響野は呟く。そうですね、と顎を撫でながら店長が神妙な口調で応じる。


「店頭で開封されて、可愛いからもうひとつ買う……なんてことも良く」

「4500円かあ。絶妙な値段ですよねぇ」

「それで──記者さん、響野さん。何もブラインドドールを購入しにいらしたわけではないでしょう? 私でお力になれることがあれば良いのですが」

「あ、そうだ、それでした」


 ブラインドドールの箱をトートバッグに入れ、代わりにバスタオルに包んだ『美琦メイチー』を取り出す。

 店長が「風松さんの『美琦メイチー』じゃないですか」とぽかんとした様子で声を上げた。

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