第14話

 もうすぐ晩ご飯時だというのに、ハンバーグ屋には客が少ない。

 対面席に座る安永の表情が、みるみる曇っていった。稲賀は、窓から外を見る。

嫌がらせかな、と疑うくらいには、快晴だった。夜の時間になったとは思えないくらいには、まだ外が明るい。

店内に、視線を戻す。

たった今、注文した品がテーブルの上に置かれている。湯気が出ている。そのせいではないが、対面の男からも、蒸気が放出されている。

「よくあれだけ走った後に、これを注文しようと思うね」

 畑中聡は、あの後、全力疾走で尾行をしていた犯人を猛追したものの、結局は、標的を見失い、そのまま安永と稲賀が入った店を目ざとく見つけ、今、ハンバーグをわんこそばのようにして、胃袋の中に流しこんでいる。

「ダイエットはどこにいったのかな?」

「終了しました、ついさっき」

 畑中聡は平然としていた。ウェイターがやって来て、パフェを鉄板の皿の隣に置いている。稲賀はアイスコーヒーを味わいつつ、畑中聡の早食い競争をただじっと見つめていた。

「で、ラブアンドピースのリーダーは畑中聡だったんだよね?」

「そうですね」

「じゃあ『欠落のレッドアイ』が好きになったのも?」

「僕です」

 靴屋にいた女性は、畑中聡に軽いお辞儀をしていた。あれは、リーダーお疲れ様です、の意味が込められていたのだ、と今さら理解する。

「どうして最初からラブアンドピースのリーダーです、と言ってくれなかったのさ?」

「その方がカリスマ性があって、いいじゃないですか」

「カリスマって言葉、本当に好きだよね」

安永が肩をすくめると「揚出連也さんに少しでも近づきたいんですよ」と畑中聡は胸を張っている。

「でも、揚出連也に会ったことはないんでしょ?」

 安永の問いに、ええ、と畑中聡は悄然とした様子を見せ、視線を落とし、その視線の先にはパフェで使うスプーンがあったことに、これまたラッキーと目を輝かせ、最終的にはパフェのグラスを、手元に引き寄せている。

「それで財布を盗まれる心あたりはあったの?」

 ないだろうな、と思いつつも、稲賀は確認はしておきたかった。

「当然、ありません。でも誰かに盗まれる予感はしていました」

 そんな予感があり得るのかと、疑う。安永は、耳たぶに手を触れている。

「で、今、畑中聡が飲もうとしているジュースは誰の財布から支払われるんだろうね?」

 稲賀は意地が悪いと自覚しながらも、質問をせざるを得なかった。

畑中聡は、喉をオレンジジュースで潤した後、一度、稲賀をしっかりと凝視した。

だが、またグラスに手を伸ばし、畑中聡は着実にジュースを飲む。

その動作を、繰り返している。

 財布を探す旅は、前回の調査で行った軌跡を辿っただけだった。警官を訪ね、嘆息し、疲れ果て、安息を求め、二人はファミリーレストランの角の席に座っている。

「ごちそうさまです」

 畑中聡は名残惜しそうに、グラスの底を見つめている。

「ごちそうさまじゃないんだよ」

 稲賀は辺りを見渡し、ご飯はいいのかな、と訊いてみた。

「そこまではいいです」

 ここで畑中聡が、動く。徐に、稲賀がテーブルの上に置いていた財布を食い入るように覗きこみ、「これに、たくさんのお金が入っています」と指を差す。

稲賀は畑中聡の動きをゆっくりと静止させ、「それは、畑中聡の金じゃない」と強く咎めた。それは、鳥丘の財布だ。

「この前、会った時に、返さなくてもよかったのかなあ」

 一度、提案はしてみたものの、畑中聡が断固拒否した。だから、今もこうして稲賀の手中に収まっている。

「切り札はずっと持っておくべきですよ」

「切り札?」

 カードバトルじゃないんだから、と薄笑いするも、畑中聡は鳥丘の財布を執拗に確認しており、返事がない。

何度も何度も、東京ロマンス倶楽部の刺繍を手でなぞっていた。意識している。

「蝉って美味しいんですか?」

 ふと、会話が途切れた瞬間だった。

畑中聡は窓から確認できる木に同化した蝉を指差して、誰にともなく訊いている。

「意外と美味かもしれない」

「この世のすべてにルッキズムがあるのだとすれば、一般的に魅力的ではない外見から食事の材料としての摂取を避けられる蝉は、ルッキズムの被害にあったということですか?」

「いいや、それは違うよ。今でも、中国では蝉の素揚げを食べたりするからね。日本にやって来た中国人がヨダレを垂らしながら、そこら中の木々にいた蝉を乱獲してしまった事件もあったくらいなんだ」

「そうなんですね。では、ルッキズムの定義では一括りに断定できない生物こそが蝉であると」

 仮説を立ててから、問題解決のために行動する理論派の人間が、畑中聡の考えに触れれば、間違いなく混乱し、頭がショートするだろう。

だが、これこそが畑中聡が畑中聡たらしめる所以であり、魅力でもある。と、稲賀は考えていた。

ついでに蝉って美味しいのだろうか、とも想像する。

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