第13話
すっかりレッドアイの捜索ではなく、畑中聡の財布を見つける日々になっていた。
「肩こりでもひどいの?」
肩に手をやる畑中聡に、稲賀は尋ねている。
畑中聡は喧騒の中、急に立ち止まっていた。耳を澄ますような仕草を見せつつ、手で肩を揉んでいる。
安永は退屈そうに、視線を地面に落としている。
「いえ。そうではありませんが、誰かに尾行されています」
畑中聡は眉ひとつ動かさない代わりに、今度は膝の辺りに手をやっている。
その後、何かを測定するような動作をしばらく見せ、一人もしくは二人ですね、と畑中聡は当たりをつけていた。
「本当に?」
「間違いないです」
「まさか鳥丘が?」
「そこまでは分かりません」
夕陽が、地に呑み込まれようとしている。
稲賀は気配を感じて、視線を下に移す。影を縫うようにして、猫が歩道をスタスタと移動している姿があった。首輪を見る限り、野良猫ではなさそうだ。
「かわいいネコちゃん、おいで」安永が必死に、手招きを開始する。
一見、無愛想に見えた黒猫は、安永の声に応じて、くるりと向きを変え、三人の元に近寄ってきた。畑中聡が怪訝そうな顔をしている。
「畑中聡は動物が苦手だった?」
稲賀は、既に黒猫を撫でていた。安永も続いて、猫に手が伸びる。
「いえ、好きでも嫌いでもありません。ただ……」
「ただ?」
畑中聡のゴツゴツとした硬そうな右手が、急に猫の方へと伸びていた。
瞬時に危険を察知したのか、黒猫が機敏な反応を見せ、その場で脚をもがくようにして、全身を回転させる。するりと稲賀の手から、逃げていく。
そのまま一気に、黒猫は遠くへと走り去ってしまった。
「あーあ。もっと撫でていたかったのになあ」
名残惜しそうに、安永が呟くと、畑中聡が華奢な肩を強引に両手で掴み、彼女の顔を正面に向けさせている。あまりに急な展開であったためか、安永の頬が紅潮しているようにも見える。
「畑中聡は変わっているけど、本当に優しいんだよ」
安永は穏やかに笑っていた。
「例えば?」仕方なく、稲賀は合いの手を入れる。
「絶対に荷物を持ってくれるとか。それに、しんどいとか弱音も吐かないよ」
「え、もしかしてそ畑中聡と付き合ってるの?」
それはねえ、と安永は勿体ぶるような仕草を見せた。
「畑中聡は寒がっている女の子には上着を貸さずに、一緒に脱いでくれるんだよ」
極寒の中、大男が服を脱ぐという行為に、なんと反応すればいいのか分からない。
稲賀の曖昧な反応を快く思わなかったのだろう。安永は、あっという間に不貞腐れていた。
「それに畑中聡は、車道の近い方を率先して歩いてくれるよ」
こ何度か見かけたことがある光景だった。稲賀が小気味よく頷くと、一気に安永の機嫌が、回復していく。
「あの猫の首輪には、小型カメラがついていました」
我関せず、の畑中聡は鋭い目つきで猫が去って行った方向を睨んでいる。
「はは、珍しいんだね」
照れたように下を向く安永に、稲賀はへえ、と乾いた反応をする。恋愛ドラマを目の前で見せつけられているような気分になっていた。
「あれは戦争などで、稀に採用される手口です。カメラだけではなく、爆弾を動物にくくりつける手法もありました。不気味ですね」
「変なことに詳しいね」
「そうですね。一応、これでも稲賀さんの言うラブアンドピースのリーダーでしたから。その時の遺産みたいなものです」
え、と稲賀が驚く。
畑中聡は猛然と前に、右足を踏み出していた。勢いをつけて、走り出している。
安永は畑中聡を捕まえようと、右手を大きく前方に振りかぶった。だが、空振りし、稲賀も突然の事態に、足が竦んでいる。
大きな背中は、段々と遠くなっていく。二人は、取り残されてしまった。
猫も、もういない。二つの影が、むなしく路上で揺れている。
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