第11話

 稲賀は、タイヤが、カシャン、と音が鳴るタイプの駐輪場に、自転車を停めようとしていた。

その際、後ろの方から、ずっと視線を感じるなあ。とは、気づいていたが、稲賀は誰かの視線など気にもせずに、まずは自転車のカギを施錠した。

以前は、カギの型だった。

だが、よくカギを落とすので、数字を四つ押すと解錠されるタイプに変更している。そのためロックをするには、つまみを強く押し込むだけだった。

そのまま自転車を前に移動させ、カシャン、とする。

「ちょっと君」

 帽子を深く被った警備員のおじさんが、近寄ってくる。帽子のつばのせいで、相手の表情がよく分からない。名札を見る。

鳥丘と書いてあった。

 警備員の鳥丘は、たった今、犯罪を実行した悪者が目の前に歩いているかのような鬼気迫る勢いで、捲し立ててきていた。

 安永は用事があると言い、帰っていった。

鳥丘がいる場所を教えてくれた畑中聡はなぜかまだ来ていなかった。

「駐輪場の利用代を払わないと、犯罪になりますよ」

「お金なら、ちゃんと払ってますって」と、すかさず、反論する。

 実際、利用代はきちんと支払っていた。それで、カシャン、としたつもりだ。 

先制攻撃だ、と稲賀は足早に、その場から立ち去ろうとする。

すると鳥丘に、肩を掴まれている。


「いや、カシャンとなってないでしょ」

 鳥丘は非難の矛先を変えて、強く咎めてくる。

帽子のせいで、相手の表情がよく分からない。稲賀は本能的に、思い切り舌打ちをしてしまう。

「カシャンとしてない訳ないでしょ。さっき、ちゃんと音がしたのも訊いたし」

「本当ですかねえ」

「いや、見たら分かるでしょ?」

 稲賀と鳥丘の押し問答が始まる。その場を立ち去ろうとする稲賀に対して、鳥丘は両手を大きく広げて、進路を妨害してくる。

しばらく、膠着状態が続く。

相撲のようにお互い、突っ張りあって、揉み合い、同時に息が切れる。

 稲賀は、意を決する。鳥丘に目がけ、突進した。帽子が衝撃で落ちた。それで鳥丘の目が大きく見開かれている。と、分かった。髪も、乱れている。

その時だった。

「何をしているんですか?」

 いつの間にか背後に、畑中聡が立っていた。

稲賀は、閃く。見かけは大男だし、威嚇の材料になるかも、と畑中聡を鳥丘の対面に立たせてみた。

効果は、抜群だった。鳥丘は、背中を丸めている。

「畑中聡、いたんですか」

 鳥丘はたじろいだ後、耳たぶに手を触れた。畑中聡は、彼とはバイトが一緒です、とポケットに突っ込んだ手を首筋あたりに持ち上げている。

 鳥丘はなぜか一目散に、遠くへと逃げていく。

稲賀は、その滑稽な後ろ姿を見届けるしかない。


「あの人が、財布の持ち主?」

「そうですね」

「また厄介そうな人だね」

「厄介を通り越して、災害級の人災を巻き起こす可能性があります」

「それは困ったもんだ。ちなみに畑中聡が全員に名前をフルネームで呼ばせている。それに、理由とかあるの?」

「その方が今を生きているという存在証明になります」

 変な奴だね、と稲賀は白い歯を見せ、その勢いのまま、畑中聡の肩を抱いてみた。

鳥丘を撃退してくれた嬉しさが、思わず態度に出ていた。

完全に勢いだけの行動だったが、畑中聡は微動だにしない。

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