第10話
三人は、ファミリーレストランの席に腰を掛けている。
「コーヒーくらいなら奢ってあげるよ」
稲賀は財布がきちんと入っているのか不安になり、一度、バッグのチャックを開閉する。
「いえ、食べません。ダイエット中ですので。お金もありませんし、職場ダイエットをしていますし」
「何なのそれ?」
畑中聡の意味不明な言動に、安永は吹き出していた。
「それより暑苦しく見えるから、せめて上着くらい脱いだらどう?」
安永の意見に従い、畑中聡は、淡々と作業着を脱いでいく。
すると、予想に反して、下は、堅苦しい服装ではなく、バンドのTシャツを着ていた。
服の至る所に、小さなハートマークが点在している。
それは安永が着用している服とまったく同じものだった。
図らずともペアルックのような格好になっている。
安永はその光景に照れたのか、頬を紅潮させ、同じ服だね、とたどたどしく畑中聡に訊いている。ええ、まあ、と素っ気ない返事を畑中聡がして、話はそれで終わるのかと思いきや、二人はその後、バンドの話で盛り上がっている。
どうやらTシャツはビンテージ物らしく、無知な稲賀が、そんなに高いの、と口に出してしまう程には、高価なペアルックだった。
「人間が一番、活動している時間は働いている時です。この時間帯の食事を我慢すれば、一気に痩せられるはずです」
バンドに関する談義は終わり、そろそろ何かを食べようという流れになっていた。
畑中聡は、相変わらずダイエットの手法を力説している。稲賀はメニューリストを何度もめくり、どの料理がいいのかを吟味している。
「昼が一番エネルギーを使うからこそ、食べても大丈夫なはずだよ。太らないよ」
「いいえ、その油断こそが命取りです」
畑中聡は時間を持て余しているのか、どこか痩せ我慢のような発言を繰り返している。
「食事はストレスなく、美味しいものを食べていたいよ。普通は」
「食事を抜いてストレスを感じるとは、どういう理屈ですか?」
稲賀は畑中聡を無視して、メニューを何度も見る。畑中聡は学校の先生のような口調で、食事を制限するメリットを語り続けている。
「それで、いつ財布を落としたのさ?」
「分かりません」
途端に畑中聡は、無表情になった。
どう考えても、落とした瞬間があるとすれば、サラリーマンの男がぶつかってきた時だろうね、と稲賀は安永に同意を求める。
安永も同じことを考えていたのか、畑中聡に優しい視線を向けていた。
「サラリーマンの男に財布を盗まれたんじゃないかなあ?」
それはないと思いますが、と畑中聡はぶっきらぼうに答える。
「どうしてそう、言い切れるの?」途端に安永は、頬を膨らましている。
「その男の財布を、拾ったからです」
答えになってない。
ただ財布の中身を見れば、サラリーマンの男の正体が分かるのでは、と稲賀は期待する。
安永も同じことを考えていたのか、それじゃあ拾った財布を見てみようよ、と畑中聡に促していた。
拾った財布を、三人で物色すると、あっさりと身分証が見つかり、持ち主の名前が分かっていた。
「ああ、鳥丘さんですか」
「なんだ、畑中聡と知り合いなの?」
「ええ、まあ」
畑中聡は、淡々と答える。
「どうして知り合いがぶつかってくるのかな?」
「互いに存在は知っていますが、誰も友達だとは言っていません。それが理由じゃないでしょうか」
稲賀は思考を続けながら、鳥丘の財布を隈なく観察する。大量のカードだけではなく、いくらかの現金も入っていた。
それだけじゃあ、何のヒントにもならないなあと、財布を閉じようとするが、その時、財布の内側に何やら文字が刺しゅうされていることに気づき、稲賀の手はピタリと止まる。
「東京ロマンス倶楽部」安永が財布に刻み込まれた文字を、そのまま読んでいた。
畑中聡は、安永をまじまじと見ていた。一方で、安永は稲賀を見つめている。
「これは何かの団体かな?」
稲賀の問いかけに、安永が、分かんないよ、と左耳に手をやっていた。
もう一度、入念に調べようと思っていたのだが、手に持っていた革財布を、ひょいと、安永から、あっという間に取り上げられている。
「財布の持ち主である鳥丘さんに会いに行きましょう」
急に畑中聡が立ち上がっている。
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