第9話

 休日だったが、ビジネス街は賑わっていた。

目当ての店や施設を求めた大勢の若者を中心に、歩道は徐々に賑わいを増幅させている。

暑い。

「黒石に連絡を取ってみるわ。日本にいれば、今から会いに行くつもり」

 つい数分前の出来事だ。東城はオフィスから颯爽と出ていった。

「靴屋が繁盛さえしていなければねえ」

 名残惜しそうな表情を浮かべた萬城は、冷房が効いたオフィスに残る選択を取った。

こうして残った三人はレッドアイを探してみようと、街に繰り出した。

 畑中聡は安永を車道から遠ざけるようにして、彼女の隣に立ち、そのまま歩調を合わせるようにして、並んで歩いている。

 そんな二人の様子を、稲賀は少し後ろから眺めていた。

 対面からはスーツ姿の男が、やって来ている。休日なのに、サラリーマンは大変だなあ、と最初は他人事のように相手を見ていた。

 早足で通過しようとしているスーツ姿の男に不信感を抱いたのは、それから数秒後のことだった。稲賀は、目を凝らす。男はこの世に畑中聡しか実在していないのでは、と勘違いするくらいには、畑中聡のみを見続けていた。

 稲賀は、首を傾げる。

まさかね、と思った時には、スーツ姿の男は風を切るようにして、更に速度を上げていた。

そのまま大柄な畑中聡に、猪突猛進していく。スーツ姿の男は、か弱そうな肩をぶつけつつ、畑中聡に衝突した。間違いなく、意図的な行動だった。

 稲賀は、面食らう。

 ラガーマンを二人以上合体させた、映画でもあまり見かけないスーパーマンのような体躯、それが畑中聡だ。

当然、微動だにしていない。

 ただの一歩すらも後退しない畑中聡に恐れ戦いたのか、スーツ姿の男は取引先の相手にお辞儀をするような格好で、一度、深い会釈をして、逃げていく。

「みっともないね」と安永は一連の様子を見て、笑っていた。

今の行動は無謀だったろうに、と稲賀は訝る。

あ、と急に畑中聡が、大きな声を出したのは、それから数分後のことだった。

「どうしたの?」

 安永が畑中聡の左肩に、そっと手を置く。

畑中聡はポケットの生地を突き破ってしまうのではないか、と心配になるくらいには勢いよく、何度もポケットの中をまさぐっていた。

「財布を落としたみたいです」

 だが畑中聡は右手に、財布を握りしめている。

「持ってるじゃん」安永が、失笑する。

「いいえ。これは別の人の物です」

 どうやら、さっきぶつかってきたスーツの男が財布を落としていったらしい。

それを畑中聡が俊敏に拾ったのだという。

隅々まで手入れが行き届いている革の長財布を握りしめたまま、畑中聡は動かない。たしかに財布の色は赤ではなく、黒になっていた。

 もしかしたら大事な物や愛すべき人を失った時にしか表現できないような顔つきが、人間には備わっているのかもしれない。

悲痛と哀愁と切なさを一緒くたに混ぜ合わせて、それを綺麗に割り切ったかのような表情を、今、畑中聡は顔面で表現していた。

 最寄りの交番に立ち寄り、遺失届を提出し、とりあえず腹ごしらえをしようよと、空気を切り替えるようにして、稲賀は提案する。

財布はしばらくしたら見つかるよ、と慰めの言葉も忘れない。

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