第3話

「それで、紅茶はいるかい?」

 汗だくになった稲賀を見ながら、萬城は紅茶の入った箱を紙袋から取りだそうとする。

「今はいらないですよ」

 隣でも畑中聡が、紅茶の誘いをすぐに断っている。

「なんだい、残念だなあ。それでリアル脱出ゲームはどう、面白かった?」

「あれはリアル脱出ゲームじゃなくて、リアル人捜しゲームですよ」

 稲賀は萬城に「いや、でも、人気はすごいですね」とフォロー気味に、感想を続ける。

靴屋には、若い客が頻繁に出入りしている。

 その客の目当てがリアル脱出ゲームばかりだと、立ち去る多くの若者が握る紙切れ一枚により、瞬時に、判明していた。

だったら、ここでゲームの愚痴を言うのはまずいかもしれない、と論調の方向修正を、稲賀はすぐに実行している。


 留学前にも、アルバイトが適度に暇にならない程度の心地よい客数が、靴屋の中には、常にいた。それは知る人ぞ知る通な店といったイメージだった。


 だが、ここまで萬城の靴屋が世間に浸透し、一般化され、アルバイトが舌打ちをするような人気店になるとは、想定外だった。

一年近く店から離れていたとはいえ、短期間で人気店へと上り詰めるとは思ってもいなかった。あまりの盛況ぶりに、驚く。


「誰かを追い求めることこそが『欠落のレッドアイ』のゲームがもたらす魅力なんじゃないかな」

 萬城は愉快げに、店内を徘徊した後、稲賀があげたクッキーを美味そうに、また頬張る。

 今、接客のフォローをしようという気概が、萬城にはまるでない。たった一人で多くの客を捌いている若い女性が明らかに、こちらを強く睨んでいる。


「間違いなく『欠落のレッドアイ』は名作です。稲賀さんは、リアル脱出ゲームに興味はないんですか?」畑中聡が、訊いてくる。

「あれは、リアル人捜しゲームだね」

 いなご、と萬城は一度、首を傾げ、ああ稲賀くんのことか、と少し遠くでぶつぶつと勝手に、腑に落ちている。

「地域の活性化に打ってつけなゲームをカリスマが作っています。最高です」

「どうしてゲームを考えただけで、カリスマになるのかな?」

「若者の意見が、あのゲームには反映されているからです。ゲームを考案した揚出連也あげいでれんやさんはカリスマ的な存在です」

 へえ、と稲賀は意図的に乾いた返事をする。


 日本で『欠落のレッドアイ』が爆発的なブームになった頃、靴屋の客の中に、揚出連也を知っていると言い張る人物が現れたらしい。

「海外からの旅行客といっても、日本人でした。その客に、揚出連也に会いたいと正直に伝えてみました。すると、レッドアイと接触すればあるいは、とヒントを教えてもらいました」

「でもレッドアイってゲームのキャラなんじゃ?」

「実在するモデルがいるらしいんです」

「でもそれだけじゃ、その客が本当のことを言っている確証は持てないんだけどな」

「はい。ですので、揚出連也と知り合いだという決定的な証拠を見せてもらいました」

 それがこれですね、と畑中聡は、一枚の画像を、電子機器から提示した。それは旅行客が『欠落のレッドアイ』の原案ともいえる冊子を持っている様子だった。


 稲賀は、顔をしかめる。

どこから来た日本人かなと尋ねると、ドイツです、と畑中聡は即答した。足袋を買いに、わざわざ日本の靴屋にまでやって来たのだという。

「揚出連也の顔が分かる写真は見せてもらったの?」

「いえ、そこまでは。そもそも名前は知っていますが、揚出連也の顔をこちらも知りません」

 よく顔の知らない人をそこまで崇拝できるね、と稲賀は苦笑いをする。


「作品が素晴らしければ、顔は関係ありません。ところで、どうやったらテロを防げると思いますか?」

「と、いうと?」

 畑中聡の質問の意図がよく分からず、稲賀はクッキーに手を伸ばす。

「稲賀さんが留学中のことです。日本の若者を中心に、世界中の平和を願う運動が盛んになりました」

「平和と愛の組み合わせは、なんか響きがいいね。ラブアンドピースだ」

 稲賀はクッキーの味を確認した後、甘いね、ともぼやく。


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