王城への帰還

「……どうやら、馬車がやってきたようだな」


 ケビンは遠くから聞こえてくる馬車の音に耳を傾け、視線を向けた。エストンが無事に帰還したのだろうか、馬車の外見はそれなりに高価そうだった。


「……ヴァナネルサ。姫さん運んでくれ。俺は周囲を警戒する」

「わかった。でも……このこ、たちは?」

「残念だが、置いていくしかない。敵がどこにいるかも分からない状況で、死体回収を行う余裕はない」


 ヴァナネルサは一瞬、骸となった子供たちに視線を落とした。微かに眉を寄せたが、それ以上言葉を発することはなかった。そして、そっとカリナに目を向ける。


 彼は、しなやかな身のこなしで少女を抱き上げた。壊れ物を扱うように慎重に――それでいて、確かな腕の力で支えたまま馬車へと乗り込んだ。


 その間、ケビンは周囲の気配を探っていた。暗闇に潜む足音や風のざわめきに混じる不自然な音を聞き逃さないよう、耳を研ぎ澄ませる。右手は腰の武器を握りしめたまま、視線を四方に走らせた。


 静寂が続く。


「……よし」


 短くつぶやき、ケビンはヴァナネルサに続いて馬車へ乗り込んだ。


 馬車内は椅子もなく、荷台のような木の床が広がっていた。ただし、空間に余裕があり、全員で身を横たえることもできそうだった。揺れるランプの灯りが、壁や床にぼんやりと影を落としている。


「……はぁ。疲れたな」


 ケビンは床に腰を下ろし、握りしめていた武器を隣に置いた。深く息をつき、背中を木の壁に預ける。そのまま目を閉じると、わずかな振動が体に伝わってきた。


「……泣きそうか?」

「だいじょうぶ」

「……そうかい」


 ケビンは軽く頷くように返した。言葉にせず、心の中でその返答を受け入れる。


 その後、馬車は揺れ続け、ひとしきりの沈黙が過ぎた。だが、ケビンはようやく口を開いた。


「……なぁ、ヴァナネルサ。一つ聞いていいか?」


 その声は静かで、少し躊躇うような響きがあった。


「どうぞ」


 ヴァナネルサは少し驚いたように返答したが、その声にもどこか疲れた響きが隠れていた。


 ケビンはそのまま目を閉じたままで、問いを続ける。


「――あの力について、何か知っているか?」


 ヴァナネルサはその言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ動きが止まった。


「……あの、ちから?」


 彼はしばらく考えるように沈黙した後、言葉を絞り出すように口にした。その間、馬車の揺れと外の風の音が、まるで二人の間の会話を隠すように響いた。


「蘇る力のことだ」


 ケビンはその言葉を低く、ゆっくりと発した。


「祝福された力ってんなら納得いくが……普通、一人一つじゃないのか?」

「しゅくふく、って?」

「……祝福ってのは、神様がくれた力のことだな。例えば、炎を手のひらから出せるとか、光を放てるとか。そんな、一般人が行使できない力の総称らしい」


 ケビンの言葉に、ヴァナネルサが反応する。


「あたしのちからも、それ?」

「……まぁ、そうだろうな。現に俺は魔法なんて一つも使えねぇし」


 ケビンは肩をすくめ、無造作に答えた。彼は床に手のひらをつけて、ゆっくりと天を仰ぐ。皮屋根の暗闇が視界に広がる。光源のないそれは、まるでどこにも続かない無限の空間のようだった。疲労で重いまぶたが一瞬閉じ、息を吐く。


「……皮肉なもんだよな」


 独り言のように呟く声が静けさの中に溶けた。


「……どうしたの?」

「いや、なんでもねぇ。気にしないでくれ」


 ケビンはヴァナネルサの顔をじっと見つめ、一拍置いて返答する。だが、それ以上を深く追及することなく、ふっと口元を緩めて話題を変えた。


「そういえば、お前の力ってどうやって鍛え上げたんだ?」


 ヴァナネルサは驚いたように目を丸くしたあと、困ったように眉を下げる。


「あたしは、じぶんがしにたくなくて、なかまたちもしなせたくないから。ひっしにちからのつかいかたをまなんだの」

「……なるほどな。まぁ、あれか。過酷な環境で身につけた力ってわけか」


 彼の言葉は淡々としていたが、どこか労るような響きがあった。


 ヴァナネルサはゆっくりとうなずく。


「そうだね……いきるためには、やるしかなかった。それだけ」


 短くそう答えた彼の横顔は、どこか遠くを見つめているようだった。その静けさに、ケビンはそれ以上言葉をかけることをしなかった。


「……んっ」


 カリナが目を覚ましたのは、彼らのやり取りが終わった後だった。


 ゆっくり目を開ける。その表情に、最初はまだぼんやりとした様子が見受けられる。周囲の音に気づいたのか、視線を動かしてケビンを見た。


「……ここは?」


 彼女の声はかすかに震えているようだったが、それが疲れから来るものか、別の理由からなのかは分からない。


 ケビンはカリナのもとに駆け寄り、手を伸ばして彼女を支えようとした。


「無理すんな、姫さん。今、馬車の中だ」


 カリナは一度、ケビンの言葉を聞いてから、ゆっくりと首を動かして周囲を確認した。暗がりの中、揺れるランプの光がその顔を照らし、少しずつ表情が戻ってきた。


「……ありがとう」

「気にすんな。とりあえず、ここで休んでおけ」


 言葉の後、彼の視線は一瞬、ヴァナネルサの方に向けられた。彼は何も言わず、ただカリナの回復を見守っている。


 そんな彼らに対し、カリナだけは状況把握にいそしむ。


「……子供たちは?」


 カリナの声が静かに響いた。ケビンとヴァナネルサは、しばらく沈黙した後、彼女の問いに答えることを選んだ。


「全員、死んだよ。化け物に殺されちまった」


 ケビンの言葉は、まるで冷たい刃のように空気を切り裂いた。ヴァナネルサは視線を下に向け、何も言わずにうつむいた。 カリナはその言葉に一瞬の間を置いた後、驚きも悲しみも見せず、ただ静かに頷いた。


「ごめんね、助けてあげられなくて」


 カリナの声が、再び静けさの中で響いた。


「……いえ、あたしがわるいんです」

「違うわ。私が起きていたら、躊躇なく殺せたでしょう。だって、ケビンが私を守ることへ注力したせいで、彼らを守れなかったのでしょうから」


 ヴァナネルサは、その言葉に一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情を抑えた。


「……でも」

「でもじゃないわ。私のせい。私がそうといえば、そうなの」


 カリナの目を見たヴァナネルサが、口を噤む。

 

「……姫さん。すまなかったな」

「……私こそ。ごめんね」


 三人に気まずい空気が流れる。

 イレギュラーによって壊された平穏は、彼らに重々しい影を落とすことになった。


 そうして、月が南中したころ。馬車が王国に到着した。


「カリナさま。到着したようです」

「あぁ、そのようだな」

「…………かたとか、かしますか?」

「大丈夫だ。一人で降りられる」


 カリナが馬車の扉を押し開けると、冷え切った夜の空気が頬を刺した。

 月明かりに照らされた王城へ目を向ける。門前は重々しい冷徹な威圧感を持つ。


(何とか五体満足で帰れたが……失ったものは多かったな。敵国が奴隷を用いていたことを証明できるのは、ヴァナネルサの存在だけ。根拠としては、薄いか?)


 カリナが顎下に手を当てながら思慮を巡らせていると、


「おやおやぁ? これはこれは、カリナさまではありませんか」


 男が声をかけてきた。ワラガオだ。


「ワラガオ卿。久方ぶりですね」

「久方ぶりです。いやぁ、エストン将軍から戦場での働きはお聞かせいただきました。素晴らしい功績をなしたようですなぁ。しかしぃ、五体満足で帰られたとは――いやはや、実に驚きですな」

「……それは、どういう意味ですか?」


 ワラガオの言い方に何かひっかかる感じを覚えたカリナが問いかける。


「言葉通りですよ。あなたはまだ幼い。それ故に、戦場での疲労が蓄積しているはず――ですが、無事に帰ってこられた。だから、驚いたのですよ」

「……私のことを、バカにしているのではないと?」

「えぇ。勿論です。私みたいに戦えない人間からすれば、カリナさまは尊敬に値しますから」


 ワラガオの言葉に、カリナはそうかと頷く。


「ささ。お体も冷えますから。早く城内へお戻りになってください」

「……その前に、一人紹介したい人物がいる」


 カリナの言葉にワラガオは眉を上げ、彼女の後ろを見る。

 彼が見たことを目で確認してから、カリナが口を開く。


「彼は、ヴァナネルサと言います。奴隷です」

「ほぉ! ちゃんと捕虜を確保できましたか。なるほど……監禁する手はずで?」

「いや。私の下で専属使用人として働かせようと思っています。彼の魔法は相当練度が高いものですから」


 カリナの言葉に、ワラガオがオウム返しする。


「専属使用人……ですか?」


 エストンは、驚きと疑念の入り混じった目でカリナを見つめた。


「私はてっきり、奴隷は交渉材料にするだけで後は処理するものとばかり考えておりました。何せ、捕虜兵は何が体に仕込まれているかわかりませんから。爆弾やセンサなどが体に仕込まれていれば、姫様の重要情報が盗まれる恐れもあります」

「それはない」

「なぜ?」

「だって、彼は人間だからだ。やり取りもできるし、何より――顔つきがちゃんとしている。お前もそう思うだろ? ケビン?」


 名指しされると思っていなかった青年は後頭部をかじりながらため息をこぼす。


「俺ゃ全肯定はしねぇぞ? 何せ、奴隷上がりの使用人なんて一度たりとも、聞いたことがねぇからな」

「……」

「そんな睨まないでくれよ。俺だって根拠があれば認められるけどよ、根拠となる、情報がないんだよ。仕方ねぇじゃねぇか」

「……はぁ。確かにそうね」


 カリナはケビンへため息をついてから、ワラガオへ再度顔を向ける。


「取り合えず。彼は処分させません。いいですね?」

「……わかりました。いう通りにさせていただきましょう。ですが……私は責任を取りませんからね。裏目に出て、私が止めなかったからと言ったりしても、白を切らせていただきますから」


 ワラガオの言葉を聞いたカリナは「わかっています」と相槌を打つ。


「……じゃあいいです。先に戻らせていただきます」


 ワラガオが不機嫌そうに肩をすくめて立ち去るのを見届けた後、ケビンが小さく舌打ちをした。


「相変わらず癪に障る野郎だな、ワラガオのやつは」

「聞こえる可能性があるからやめなさい」

「へいへい……けどよ、姫さん。あんた、無理しすぎじゃねぇか?」


 ケビンの言葉に対し、カリナは顔をそむける。

 空腹感とのどの渇き、戦闘による脳疲労がたしかにあった。


「今、無理しないと後で苦労しそうだから……頑張るしかないでしょ」

「……はぁ、そうかい。ならいいよ。頑張んな」


 ケビンはそう言いながら、王城前から町へ消えようとする。


「――待て」


 そんな彼に対し、引き留めの言葉を口にしたのはカリナだった。


「どうしたよ姫さん」

「……お礼を言い忘れてたと思ってね。……助けてくれて、ありがとう」


 カリナの言葉を聞いたケビンは、彼女へ背を向けながら手を挙げる。


「いいってことよ。助け合うのは、お互い様だからな」


 ケビンは手を挙げながら、その場を去っていった。

 やがて御者も帰り、王城前に残されたのはカリナとヴァナネルサの二人だけだ。

 

「……さて。そろそろ王城へと向かいましょうか。貴方について、報告しないといけないから」

「わかりました」


 ヴァナネルサがそういったことを確認してから、カリナたちは王城へと歩を進めていく。

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